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議論は何のためにするのか?
真理の探究のため。
任意の集団の中で多数の合意を形成するため。
過去から現在までの、事象の中から発展する法則を見出し、未来のよりよい発展を推測・検証するため。
まだまだ、理由はあるだろうと思うが、少なくとも、その議論を通してよりよいものを構築するためである。
勿論、世の中には、ためにする議論を好む人もいることは否めないだろう。
自分が提起した問題について、反論や批判をされると、その反論や批判の趣旨を理解したうえで、議論を深めていくのではなく、新たに、似たような問題を提起してゆく。
あたかも、相手の反論できない問題探しのごとく。
「無理・難題」で相手を「困らせ」、「勝った」と、一人悦に入る。見苦しい限りである。
これこそが「百害あって一利なし」、ためにする議論である。
相手の主張の趣旨を理解するということは、相手に同意することではない。
趣旨を理解しなければ反論もできないということである。
「反論をすると場が荒れるという意見もある」
「場が荒れる」というのが、「阿修羅」が荒廃するという意味ならば、ためにする議論をする側にその責任がある。
「場が荒れる」というのが、議論が盛り上がって、「阿修羅」が賑やかになるというのなら結構なことである。
ためにする議論どころか、後ろ向きの主張をする人もいる。
例えばこうである「先生が「太平洋戦争」における軍国主義の教育に荷担し、教え子を戦場に送り出したことを反省し、二度と教え子を戦場に送り出すまいと、軍国主義の復活に反対し、平和を愛し、自分の良心に対して正直に生きる子供たちを育てようとしている」ことを、「正直者が馬鹿を見る」現在「社会的に不利益となる」教育は、「子供たちの為にならない」と主張している。
これを「暴論」と言わずして何を言う。
こんなことは、たとえ「腹」で思っていても、軍国主義者でさえ言えないことだ。
同じ人がこうも言っている。「社会が「正直者が報われる社会」であるなら、こんなジレンマはないでしょう。」
これは正しい意見だ。「ジレンマ=矛盾」と理解するならば。
だからこそ矛盾を解決し「正直者が報われる社会」を創るために、「未来を担う」「自分の良心に対して正直に生きる子供たち」を育てる必要がある。
だからこそ、その「矛盾」・「正直者が馬鹿を見る社会;正直者が報われる社会」「支配するもの;支配されるもの」「軍国主義者;平和主義者」を、止揚する。
あなた、そう、あなたのことです。
あなたは、「掲示板」で言ってることを、あなたの子供や、妻、兄弟、職場の仲間たち、大勢のあなたを知っている人の前で、堂々と主張できますか。
「掲示板」は、顔も見えないし、素性も知られない、「何を言ってもいい」、しかし、
そんなあなたを見ている人がいるのです。
そうです、あなたの良心です、あなたに良心があれば
日本国憲法第19条
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。