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「教育再生審議会」が「第一次報告」を出したらしいが、現在表面化している「教育」問題の真の原因を抉り出し、正していかなければ「再生」はできないだろう。
◎「日の君」問題だけではないだろうが、「自己保身」の「でも、しか」先生を生徒たちは信頼できると思っているのだろうか。子供たちの目は、純粋でごまかしはすぐに見抜いてしまう。
◎「体罰」の「基準」の見直し?
体罰に基準を設けたとして、いつ、誰が、体罰のランクを決めるの?ホームルーム「裁判」でもやる?
「体罰」があればすぐに「刑事事件」になるような現状では、本当に子供たちをしかることはできないだろう。
◎「出席停止」
これは、「教育」の放棄だ。
「ヤンキー先生」も「出席停止」の意見らしいが、「教育再生会議」の「人寄せパンダ」に過ぎない。
◎教育の再生の為には、「教育の自治」を確立する必要があると思う。
「教育委員会」や「校長」は、権力の言いなりになる「先生」をつくるのではなく、先生が、教育者としての、自らの教育理念に基づき教育する自由を保障すべきである。
「学校」内の出来事は、「学校」内で処理すべきだと思う。
「いじめ」も、「生徒の先生に対する暴行」も、どんなことが有っても、教育者は、教え子を
警察に引き渡すべきではない。
「PTA]の「うちの子に限って派」や「「体罰教師」つるし上げ派」や「あの先生は取り替えて派」やEtc
「先生」にどんな「否定的」なことが有っても、「教育委員会」「校長」は、学校の外からの攻撃や批判から「先生」を守らなければならない。「庇う」のでは決してない。「教育の自治」の中で解決するのである。
「校長」の顔色ばかり伺う先生が多ければなかなか難しいとは思うが、、、、
「体罰」は「時機」が必要だ。「私語」を発していたり、「居眠」りしている生徒にチョークをぶつけたり、「ゴッツン」とやるには、そのときでなければ意味がない。
問題は「体罰」の「基準」作りではなく、その「体罰」は、「なにがあってそうしたのか」「教育」上適切であったか、「教育の自治」の中で検証すればよいことだ。
「生徒」を「警察」に売り渡してはいけない。
「体罰」であろうと何であろうと、「マジ」で向かってくる「先生」は、生徒に信頼されるものだ。
思いのつくままに、、、、