★阿修羅♪ > ホロコースト4 > 327.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
http://eunheui.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_33d8.html
2007.06.06
ホロコーストから学ぶ
アンネ・フランクと同い年だった少女の日記が新たに公開された。AP電 "Moving diary of 'Polish Anne Frank' unveiled"。日記は、ポーランドの Bedzin という町に住んでいたユダヤ系ポーランド人 Rutka Laskier さんが 1943年の1月から4月にかけて書いたもの。彼女が目撃したナチの残虐行為や日常の恐怖、諦めなどがつづられているほか、少女らしく、ヤネックという名の少年へ募らせる恋愛感情や、自らの性への気づきも記されているという。また、西欧ではほとんど知られていなかった「ガス室」の存在に言及がなされていることも注目に値すると記事は記している。ルトゥカさんはその後、アウシュビッツに送られ、消息を絶っている。
日記は親友の Stanislawa Sapinska さん(キリスト教徒のポーランド人)に託され、長年、死んでしまった友の思い出の品として彼女の家に置かれていたが、親類から重要な歴史的な証言だからと説得され、昨年、イスラエルの Yad Vashem 博物館に寄贈されたらしい(ヤド・バシェム博物館の地理的な位置を把握していないので、「イスラエルの博物館」と書くことに、ためらいを感じている)。記事には、出版された日記の表紙の写真のほかに、ヤド・バシェム博物館を訪れているサピンスカさんの写真が載っている。
私は、この日記が偽造されたものだろうと考えるほどの猜疑心は持ち合わせていないが、このニュースがイスラエルによるガザや西岸地区の占領の端緒となった1967年の戦争の40周年にあたる今週に配信されていることには強く政治的な意図を感じる。それを再生産するために私がこれを書いているのではないことを明らかにしておきたいと思う。
なぜ、かくも過酷な迫害を受けたユダヤ人たちは、今、パレスチナの人々を苛む側に立つ自分たちを許しているのか。人とは、教訓を学べないものなのだ、という早急な結論に満足したくない私たちは、ここから何を考えればいいのだろうか。
おそらく、いかに戦争が悲惨なものであっても、それを被害者としてのみ語り継いでいくことは、平和を守る力になるとは限らないということなのであろう。ホロコーストも。原爆投下も。数々の空襲も。自分の受けた苦しみを他者への思いやりに転化させる能力はすべての人の中で自然に発揮されるわけではない、と言い換えることができるかもしれない。
自分たちの歴史を都合よく勝手に作ってしまうこと(例えば「地なき民、民なき地」というシオニズムの思想や「大東亜戦争はアジア解放のための戦いだった」という驕り)の悪についても学ぶことができるであろうか。
そして、もちろん、他人の悪い点をあげつらうことばかり上手な人たちのいる社会で、自分たちをこそ厳しく律しようという良心の声を絶やさないことだ。その学びの証しとして、今、私はこれを書いている。