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バチカンがイスラエルへのユダヤ人移送に「尽力した」のは事実です
http://www.asyura2.com/07/holocaust4/msg/262.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2007 年 4 月 13 日 06:12:02: SO0fHq1bYvRzo
 

(回答先: バチカン大使:「不快感を覚える。尽力した証拠、相対する解釈がある」 投稿者 kamenoko 日時 2007 年 4 月 13 日 02:58:41)

バチカンがイスラエルへのユダヤ人移送に「尽力した」のは事実です


下の投稿にも書いたことなのですが、

http://www.asyura2.com/0601/holocaust3/msg/472.html
バチカンとナチスの関係はそこまで単純ではないようです

そこで紹介している拙稿からいくつか引用します。

http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/377.html
超巨大カルト、バチカン:(4)「ユダヤ教カトリック支部」?

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先ほども触れたが、ピウス12世(在位1939〜58年)こそ、バチカンのマフィア化を完成させた人物なのだ。そしてこの「マモン教の教皇」についてはさらに注目しなければならないポイントがある。それがナチズムおよびシオニズムとの関係である。
Traditional, American Conservatism for and from the Common Manという注釈のつくサイトOriginal Dissentに寄せられた論文Christian Zionism: A Contradiction in Terms(by Robert A. Sungenis and Thomas E. Woods, Ph.D:2002年6月)の一部である。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
http://www.originaldissent.com/forums/archive/index.php/t-7952.html
【前略】
これはイスラエルについてのキリスト教の伝統的な理解であり、そして旧約の預言は教皇たちのシオニズムに対する同情の欠落を説明しているようである。1904年にピウス10世に面会する機会を得たヘルツルによると、この教皇はいくつかの討論の後で、「我々はそれには賛同できない。したがって、もしあな たたちがパレスチナにやってきてそこにあなたたちの民を住まわせると言うのなら、我々は教会を作り神父を送ってあなた方全員に洗礼を授けるだろう。」
教皇ピウス12世は面白いことに『ヒトラーの教皇』と非難されているのだが、ユダヤ人に対して多くの親切と慈善をおこなったのだ。しかしバチカンは常に慈善 とシオニズムへの支持との区別を注意深くつけていた。こうしてピウス12世が4000人のスロバキアの子供たちを救ってパレスチナに送る手助けをしたと き、ワシントン司教区のアムレト・G.シコニアーニは、この教皇の行動がシオニズムへの援助であることを意味しない、と大急ぎで言及した。「かつてパレス チナにはヘブライ人が住んでいたことは事実である。」シコニアーニ大司教は1943年6月にローズベルト大統領のバチカンへの使節団に対して手紙を書いた。「しかし歴史の中には、19世紀も前に立ち去った国に人々が戻る必然性を証明する道理は存在しない。」そして彼は付け加えた。「もし『ユダヤ人の祖 国』が望まれるのなら、パレスチナよりもふさわしい土地を見つけることはそれほど難しいことではないだろう。その地でのユダヤ人たちの人口増加で、新たに 深刻な国際問題が沸き起こるかもしれない。」
【後略】

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http://www.asyura2.com/0502/cult1/msg/822.html
1958年のバチカン・クーデター:簒奪された「グレゴリオ17世」の教皇位

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ヨハネス23世、本名アンジェロ・ロンカッリ(Angelo Roncalli)は、1881年に貧しい小作農の息子として、イタリアのベルガモ県の寒村Sotto il Monteで生まれた。前任者であるピオ12世(エウジェニオ・パセッリ)が代々ローマ教会に人材を送り込む貴族の家柄だったのと非常に対照的である。
彼が正式にカトリックの僧侶になったのが1905年であり、1935年にトルコとギリシャに、バチカンの大使に相当するApostolic Delegateとして派遣された(〜44年)。その間に大司教ロンカッリはヨーロッパから逃れてきた数千人のユダヤ人たちを助けたと言われる。
これに関しては、トルコの首都アンカラにあるビルケント大学のトルコ史教授STANFORD J. SHAWが次のように書いている。
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://www.sefarad.org/publication/lm/044/5.html
TURKEY AND THE JEWS OF EUROPE DURING WORLD WAR II
【前略】
大戦中にロンカッリはさらに先に進んだ。彼は女子修道会「シオンの姉妹たち(the Sisters of Sion order of nuns)」に、ユダヤ機関が情報をやり取りするのを助けるために東ヨーロッパにある彼女ら自身の通信ネットワークを使うようにさせた。そして特にハンガ リーのユダヤ人たちに衣服と食料を与えたのである。イスタンブールから東ヨーロッパに向かう他のバチカンの使者たちもロンカッリの命令で同様のことをし た。彼はナチスからハンガリーのユダヤ人を救うために、偽の改宗証明書を彼らに持っていかせることすらしたのである。
【後略、翻訳・引用終り】
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「シオンの姉妹たち」という女子修道会はいわゆるシオン修道会と関係があるのかどうか判らないが、ロンカッリがユダヤ機関と協力して東欧のユダヤ人をナチから 救い出していたことは、他の数多くの資料からも明らかである。(これはADLやブナイブリスのページでも絶賛されている。)ピオ12世の在位中に数千人の 東欧のユダヤ人がカトリック教会の援助でパレスチナの地に向かったはずだ。その活動の中心がこのロンカッリ、後のヨハネス23世である。

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 バチカンの情報網をなめちゃいけない。アンジェロ・ロンカッリ(後のヨハネス23世)の動きをピオ12世が知らなかったはずがありません。ロンカッリはその後とんとん拍子に出世し、教皇の座に上り詰めて「バチカンのユダヤ化」を決定したバチカン公会議を開きました。
 いろんな秘密をばらされて困るのはシオニストの方じゃないのかなあ。

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