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(回答先: ノーベル平和賞受賞者、襲われる=ユダヤ人作家ウィーゼル氏―米 [AFP=時事] 投稿者 white 日時 2007 年 2 月 11 日 22:46:17)
その一方で、リヴィジョニストに向けられた暴力
1978年11月20日:フォーリソン教授が学生に襲撃される。
1980年11月5日:イギリス東サセックスの修正主義的出版社『歴史評論』プレスへの放火。
1981年1月29日:フランスの修正主義者Michel Caignetの顔に酸が投げつけられ、傷跡が残る。
1981年4月5日:歴史評論研究所(IHR)の職員が事務所の外で殴られる。
1981年6月26日:早朝、IHRに対する放火、さしたる損失なし。
1982年4月25日:IHRへの放火、本の焼失。
1982年5月27日:修正主義的な歴史教師ジョージ・アシュレーに対する爆弾攻撃。
1982年9月5日:IHR事務所への発砲。
1982年12月:修正主義者ジョージ・アシュレー宅、荒らされる。
1984年2月6日:ユダヤ防衛連盟員、エルンスト・ツンデルに対して暴力を振るう。
1985年5月15日:ジョージ・アシュレー宅前で爆発事件。
1985年6月5日:ユダヤ防衛連盟、修正主義者のドイツ系アメリカ人ハンス・シュミットを爆弾で狙う。
1987年7月12日:ニコラス・ウルマンなる人物が、故郷の町のフィットネスクラブで運動をしているフォーリソンに暴力を振るう。
1987年12月12日:フォーリソン教授とその一行が、パリのソルボンヌ大学でのゼミナールの最中に、ユダヤ人群衆の襲撃を受けて負傷。
1988年1月14日:リヨン第三大学の修正主義的歴史家ジャン‐ポール・アラールが群衆に襲われて負傷。
1988年2月10日:修正主義者に共感していたドイツのメインストリームの歴史家エルンスト・ノルテ教授博士の車が放火される。
1988年7月18日:カナダの修正主義者ジェームズ・キーグストラ宅が放火される。
1990年2月6日:フランスの修正主義者オリヴィエ・マティウが殴られる。
1991年3月21日:フォーリソン裁判の冒頭、傍聴人のグループが彼を襲う。
1992年1月22日:ユダヤ人修正主義者デイヴィッド・コールがロサンゼルスの大学で殴られる。
1992年3月17日:スウェーデン・モロッコ系修正主義者アフメド・ラミのもとを訪れているときに、フォーリソン教授が群衆によるリンチ寸前となる。
1992年10月28日:ベルギーの修正主義者Jean-Marie Borbouseの書店が放火・破壊される。
1993年4月22日:修正主義者デイヴィッド・ウルコックスが、ワシントンのホロコースト博物館の開館に抗議するデモを行なっているときに、ひどく殴られる。
1995年4月4日:「反ファシスト民警団」、ドイツ系カナダ人エルンスト・ツンデルに、剃刀とネズミ捕りの入った匿名の脅迫文を郵送。
1995年5月7日:カナダのトロントのツンデル宅への放火。
1995年5月20日:ツンデル、偽の発送者の住所からの小包を受け取る。ツンデルはそれを警察に持っていった。X線検査をすると、半径90m以内のものを破壊してしまう強力な爆弾が発見された。警察はこの爆弾を石切り場で処分した。TVクルーがこの場面を撮影し、ツンデルはそれを夕方のニュースで見た。
1996年7月16日:パリの修正主義の書店Librairie du Savoirが荒らされる。
1996年9月6日:『歴史評論』プレスに対する二度目の放火。
1996年9月7日:パリの書籍業者パトリック・エリンが、修正主義的書籍を売ったとの理由で殴られる。
1998年1月15日:パリで開かれていた修正主義者ロジェ・ガローディとピエール・ギヨームの裁判の過程で、この二人が襲われ、負傷。
1998年2月27日:ガローディに判決が下されているときに、彼と彼の支持者が襲われ、負傷。
1999年1月16日:スペインのバルセロナで、修正主義的傾向のLibreria Europaに放火。