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http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20071230-01-0901.html
なぜネット上の言論を規制するのか
2007年12月30日 ビデオニュース・ドットコム
ゲスト:堀部政男氏(一橋大学名誉教授、通信・放送の総合的な法体系に関する研究会座長)
堀部政男氏
インターネット上の言論や表現に法的規制がかけられる可能性が、現実のものとなりつつある。
総務省の「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会」が12月6日に発表した最終報告書に関する報道では、そのような文言がメディアの見出しを飾った。
実際、同研究会の最終報告書は、現在、10本以上ある、放送と通信に関する法律を「情報通信法」(仮)に一本化し、放送から携帯電話、インターネットにいたる通信と放送全体をプラットフォーム、伝送インフラ、コンテンツの3つの階層に分けた上で、階層ごとに適切な規制を設けることを提言している。そして、階層の最上段に位置するコンテンツについては、影響力に応じた段階的な規制を提唱している。これは、政府によって影響力が大きいとみなされれば、インターネット上のコンテンツでも放送並の規制を受ける可能性があることを意味していると受けとめることが可能だ。総務省はこの報告書をもとに具体的な検討をはじめ、2010年をめどに、法案を国会へ提出する予定だという。
通信と放送の融合については、新たなIT技術の登場とともに、これまで現状を追認する形で新たな法律が次々と作られるパッチワーク的状況が、1980年代以降続いてきた。しかし、1990年代後半以降のインターネットの普及によって、いよいよ通信と放送の識別が困難になってきた。NHKを含む各地上波放送局がネット上でも動画配信を行うようになる一方で、インターネット上での個人情報の流出やプライバシーの侵害が社会問題となるなど、旧来の電波法と放送法を中心とする法体系の枠組みの中で、消費者や視聴者保護の観点から必要となる規制を実施することが、困難になってきていることは間違いない。
そうした状況を受けて、今回の報告書では、これまで事業体別に個別に規制されてきた縦割りの法体制を見直し、コンテンツ、伝送インフラ、プラットフォームの3階層ごと横ぐしの法規制を行うとしている。例えば、コンテンツには、地上波テレビ番組、CATVの番組、SNS、2ちゃんねる、個人のブログが一律に含まれるが、これまでインターネットのコンテンツには新聞や出版と同様に、一切規制がなかった。しかし、この提言通りに法制化が進めば、インターネット上のコンテンツも、影響力に応じて「地上波テレビ」並みの規制がかかる可能性がでてきたわけだ。少なくとも、報告書発表直後の報道では、そのように解釈されていた。
しかし、同研究会の座長を務める堀部政男氏は、この法律で「ネットの自由が侵される」という一連のマスコミの報道を言下に否定する。個人情報保護法の生みの親としても知られ、個人情報やプライバシー保護に造詣が深い堀部氏は、匿名掲示板を舞台とする犯罪行為やプライバシーの流出、個人ブログなどでの事実無根の情報の流布など、インターネットが多くの問題をはらんでいることは指摘しつつも、今回の研究会の報告書でインターネットのコンテンツに規制を掛ける意図は無かったことを明言する。
同報告書ではむしろ、インターネットそのものは原則自由であることを堅持する姿勢を明確に打ち出し、むしろ、既存の放送メディアがインターネット上でコンテンツを配信する場合に、現在は何の規制も受けていない状態を改め、現存の放送法並みの規制を設けることを提言しているに過ぎないと説明する。つまり、SNSや掲示板、個人ブログなど従来からあるインターネットのコンテンツは「オープンメディアコンテンツ」として今後も自由が堅持され、地上波テレビやCS放送、CATVなど既存の放送メディアが、「特別・一般メディアサービス」として、社会的な影響力に応じた段階的な規制が設けられるべきと考えたに過ぎないと言うのだ。
研究会の座長が直々にそう説明していることの意味は重いが、とは言え、あたかも報告書が「ネットの言論にも規制が必要」と提言したかのように一部で報じられ、それが一人歩きし始めている兆しも散見される。また、影響力を誰がどのような基準で測るかなど、一歩間違えば言論への政治介入となり得るような懸念も少なからず残る。
今回は、そのような誤解を解く意味でも、研究会座長の堀部氏に報告書の真意を質すと同時に、ネットの言論規制に対する考え方と、ネット上で発生している個人情報の流失やプライバシーの侵害などの諸問題にどう対応すべきかを考えた。
ネット上の言論は本当に規制されるのか
神保:通信は1対1であり、通信の秘密は守らなければならないことが前提。一方で、放送というのは希少性な公共の電波を使って行うので、中立公正、誹謗中傷があってはいけないなど、放送法によって一定の規制があった。そこに通信なのか放送なのかがよく分からないインターネットというものが登場した。
インターネットによる誹謗中傷や個人情報の流出など実害を伴う事件が起きたために、インターネットの規制が俎上に上ったということなのか?
堀部:私自身はインターネットを規制しようという意識はない。インターネットは重要な情報の発信・受信手段だと思っていて、インターネットによる情報発信権、受信権は最大限尊重されるべきだと言ってきた。そのため、新聞の「ネット情報も規制」という見出しは不本意だ。
宮台:当局が捜査するにしろ、民法などで訴えるにしろ、一般の市民を裁く現行法とトレーサビリティを用意しておけば、相手が特定できるので民事訴訟が可能になる。そういう意味で、内容規制よりもトレーサビリティが重要になるだろう。
猥褻物の問題では2つの場合がある。チャイルドポルノのように内容そのものが社会的に許容されないものと、大人の裸のようにゾーニングで対処すべきものだ。しかし、日本のメディア規制はゾーニングではなく、刑法175条に基づいた表現規制、つまり内容そのものが反社会的であるという規制のみでやってきたため、時代の流れに合っていない。
このように、局面を分けて議論すると、無用な誤解や危惧を生まないのではないか。
規制対象をどのように分けるのか
神保:報告書によると、メディアを特別メディアサービス、一般メディアサービス、オープンメディアコンテンツの3種類に分け、社会的影響力の大きさに応じて段階的に規制するよう提言している。また、社会的影響力を測る尺度として視聴者数、有料か無料か、音声か映像か、という3つを例に挙げている。現在、影響力に有無にかかわらずインターネットに関する規制はないが、なぜ影響力によって規制対象を分けるという結論に達したのか?
堀部:アメリカで放送が始まってから、規制を設ける理由として影響力理論があった。希少性理論もあったが、ケーブルテレビの普及で多チャンネル化し、希少性が無くなった。そうして、テレビ放送やケーブルテレビ放送は、インパクトという観点から一定の規律を設けてきた歴史がある。
日本でも放送は「公安及び善良な風俗を害しないこと」、「政治的に公平であること」、「報道は事実をまげないですること」、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と放送法で定められている。これは1950年に制定されたときに外国からの影響を受けたものだ。
研究会でも、音声・映像メディアはやはり特別な社会的影響力があるのではないかと考え、「特別」という言葉を入れて、特別メディアサービスを分けた。既存の放送局などはここに入って規制を受ける。しかし、一般メディアサービスでは様々な形で記述されている物を今後できるだけ自由にしていき、オープンメディアコンテンツは原則自由にする、このような考え方で分けている。
宮台:影響力という言葉がミスリードされている。影響力で裁量するのは恣意性を招くため、形式的な基準で行くべきだと批判されている。影響力を左右するパラメータを形式的に規定するということであれば、そうした批判はある程度クリアできる気もするが。
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