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2007年8月17日(金)「しんぶん赤旗」
マスメディア時評
探究の時代 問われるあり方
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自民党が歴史的な大敗を喫し、自民・公明の与党が過半数を大きく割り込んだ参院選挙の結果は、国民が自公の枠組みでは日本の前途はないと判断していることを、浮き彫りにしました。選挙後も、安倍自公政権の内閣支持率は低下の一途です。同時に選挙結果は、自公の政治に代わる新しい政治の中身と方向については国民の選択はまだ明らかになっておらず、模索が続いていることを示しています。新たな探求の時代にどうこたえていくのか、マスメディアとしてもそのあり方が問われます。
“二分法”でなく
この点で、これまで日本の新聞、放送などが常とう手段にしてきた、「自民か非自民か」とか、「自民か民主か」と「二大政党」の「対決」をあおり立てる“二分法”の発想では、まったく時代に合わなくなり、有害になってきていることは明白です。
今度の参院選の報道でも、大勢を占めたのは、自民が勝つか民主が勝つかと対決構図を極端に単純化し、選挙結果を誘導するような報道です。とりわけ、コンピューターを使って自動的に電話をかけるRDDの開発で、選挙ごとに盛んになっている世論調査を使って支持率を競わせるやり方は、政策的な論議よりも自民と民主の勝ち負けだけに国民の関心をゆがめる悪影響をいよいよ激しくしています。
見過ごせないのは「読売」「朝日」などの大手紙や、テレビのキー局がそうした世論誘導の先頭に立ったことです。なかでも事実上支持率を競わせるような「朝日」の調査は、五月半ばから十回以上に上りました。そのたびごとに、民主が自民を抜いただの、差が広がっただのの報道が繰り返されたのですから、知らず知らずのうちに世論が誘導されることになったのは明らかです。
“二分法”による単純化した「二大政党」報道は、それ以外の党を選択肢のらち外に置く点でも、選挙の真の争点や対立軸を隠してしまう点でも重大な誤りです。それは、政治の中身を、どうすれば、どう変えられるのかという国民的な論議を、後景に押しやることになります。選挙の公平をいちじるしく踏みにじり、国民が主権者としての権利を行使する選挙で、事実上その選択を狭めるものというほかありません。
選挙後の各紙の追跡調査を見ても、民主党に投票した理由では「安倍首相の政治姿勢に失望した」や「政治に変化を望んだ」が多く、「小沢代表に期待した」や「民主党の政策を評価した」は少数です(「読売」十一日付など)。それでも投票する政党や候補者をきめる情報としては「新聞やテレビの選挙報道」がダントツです(同)。マスメディア、とりわけ巨大な部数を持つ新聞は自らの果たす役割を自覚し、選挙報道、政治報道を抜本的に見直すべきです。
対決軸明示こそ
選挙にあたってマスメディアに求められているのが、それぞれの政党や候補者の主張を正しく伝えることとともに、政治的な争点について対決軸がどこにあるかを浮き彫りにすることにあるのは論をまちません。そしてこの面でも、参院選での報道や論評は課題を残すものでした。
安倍自公政権と国民の矛盾が深まるなかで、今度の参院選にあたっては各新聞や放送も、「消えた年金」問題や「政治とカネ」、相次ぐ閣僚の暴言・失言などを、相当きびしく取り上げてきたことは事実です。
しかし、たとえば、自民党がマニフェストの第一番に掲げた改憲問題について、きちんと報道し、改憲問題についての各党の主張や対決軸がどこにあるかを踏み込んで解明した報道はほとんどありません。日本共産党は海外で「戦争する国」を目指す九条改憲には反対することを強く主張しました。ところが民主党が態度を鮮明にせず、マスメディアがこうした報道姿勢をとったため、憲法問題の対決軸がどこにあるのか鮮明にされないまま、国民の審判を迎えることになったのです。
小泉内閣以来の「構造改革」で、耐え難いまでに拡大した貧困と格差の問題でもそうです。マスメディアが地方との格差や国民の負担が急速に増えていることは取り上げても、それらはあくまでも表面的で、「構造改革」の路線そのものへの立ち入った言及はほとんどありません。選挙中大きな争点に浮上した消費税増税についても、対決軸を浮き彫りにする報道や論評はありませんでした。ここでも、国民の審判が明白に示されるまで対決軸は浮き彫りになりませんでした。
今回の参院選の結果が、全体として自公の枠組みへの国民のきびしい審判を示す一方、それに代わる新しい政治の中身と方向については明白な審判を示すにいたらなかった要因の一つが、マスメディアの報道にあったことは明白でしょう。そして、新しい政治に向かって新しい探求の時代を迎えた今日、マスメディアが果たさなければならない役割もまた明りょうではないでしょうか。
日本のマスメディアは戦前、軍部のいうがままに戦意高揚をあおり、破滅の道を突き進んだ恥ずべき過去を持ちます。戦後もアメリカや財界に弱い体質が批判されてきました。「自民か、民主か」という“二分法”に固執する報道も、「二大政党」づくりが財界の戦略であったことと無関係ではありません。
新しい政治が探求される時代はマスメディアにとってもそのあり方が試されることを銘記すべきです。(宮坂一男)
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