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18〜19日、30回目の日テレ『24時間テレビ』チャリティーマラソン70キロ “欽ちゃん走り”どうなるの!?【東京新聞】2007年8月16日 朝刊
今年で30回の節目を迎える日本テレビ「24時間テレビ 愛は地球を救う」(18−19日)。恒例のチャリティーマラソンは、初代司会者の萩本欽一が70キロに挑む。番組史上最高齢の66歳。欽ちゃん、こんな仕事引き受けちゃって、本当に大丈夫なの? このほど東京都内で行われた炎天下の最終練習に“随走”した。 (宮崎美紀子)
大名行列ならぬ“大将”行列だ。両脇に日テレの女性アナウンサー、後ろに約二十人のスタッフを従え、欽ちゃんは走りだした。
最終練習日の今月十日の都心は、最高気温が三五度を突破した今年初めての猛暑日。東京消防庁によると、都内で六十一人が熱中症で救急搬送された日の、よりによって最も暑い午後一時過ぎに練習は始まった。
一周五キロのコースを一キロ十一分ペースで、休憩を挟んで二周。日光を避けるかのように首を右に傾け、両腕を右側に振る「欽ちゃん走り」風。徒歩程度の速さだが、ランニング姿勢を保ち、淡々と進んでいく。
立っているだけで、命の危険を感じるほどの暑さ。汗だくのスタッフたちの体臭が周囲に立ちこめ、足元からアスファルトの熱が昇っている。後ろをついて走っていた記者は、時々「ランニングもどき歩き」してしまったが、欽ちゃんは決して足を止めない。同じコースを偶然、マラソンランナーの谷川真理さんが逆走していたが、我々が一周する間に彼女と二回はすれ違った。
昨年十一月からの総走行距離は四二〇キロに達した。歴代ランナーの中で練習期間、距離とも一番だが、猛暑日の練習は初めて。
「今まで十キロくらい休憩なしに行けたのに。こんなにお日様って、きついのか。最後にわかってよかった」。走り終えた欽ちゃんは、氷袋を胸に抱えて、こう話した。「欽ちゃん走りは優れた走り方だ」とも。腕や足が痛くなると、手を横に振ったり着地の足を変えて、違う筋肉を使うのだという。練習では六種類の欽ちゃん走りが編み出された。
一九七五年にニッポン放送で「ミュージックソン」を、七八年に「24時間テレビ」を始めたチャリティー番組の先駆者ではあるが、なぜ、この年齢でマラソンなのか。
「今まで『無理』『やりたくない』『ダメ』の先に大きな成功があった。もしかするとまた、ステキなことに会えるかもと思った。先に何が見えるのか秘密ってのがいいよね。でもきっとあるんですよ。それを目指して走っていくよ」
◇
「24時間テレビ」にマラソンが登場したのは九二年の第十五回から。初代ランナーは間寛平。番組中、最も盛り上がると同時に、「感動のあおりすぎ」「見ててつらい」との批判もある。「なんの意味があるのか」との疑問も、毎年必ず出る。
同番組の糸井聖一プロデューサーは「白い目で見る人もいるが、一生懸命頑張っている姿に、理屈じゃなく感動してくれる人がいるんじゃないか」と説明する。
同局によると、十五年前に「二十四時間通しで何かやれないか」と当時の担当者が寛平に相談したところ、ランナーとして活躍していた寛平が「走ることくらいかな」と言ったのが発端。
候補者は事前に病院で検査を受け、医師の許可を得る。今回も脳血管から視力まで検査したが、過去の全ランナーを指導してきた坂本雄次トレーナーは、「問題は年齢じゃない。自分が納得しないと受け入れない大将の性分」と苦労を明かす。芸能人が完走できる理由については「最後は誰でも筋肉痛との闘い。目立つのが仕事だけに、芸能人のモチベーションは、素人よりはるかに高い」と解説する。
今年はどんな結末になるのか。「大将がこんなに練習しているのは、痛々しいところは見せたくないから。感動の押し売りはしたくない」との糸井プロデューサーの言葉を信じれば、演出が過剰気味になってきたマラソンは原点に戻れるかもしれない。
欽ちゃんも、こう話している。
「『頑張れ!』と言われるのは好きじゃない。『ああ、やっと着いた』と見ている人が笑顔になるのがいい。笑顔でゴールインしたいね」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2007081602041384.html
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