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噂の眞相96年12月特集2
風が吹かなかった民主党の仕掛人政界フィクサー稼業・高野孟の”正体”
●本誌特別取材班
小選挙区比例代表並立制というとんでもない選挙制度の下、戦後最低の投票率となった先の総選挙は、結果だけをとらえれば、新進党の「敗北」、社民・さきがけの「消滅」と、当初の予想通り「自民回帰」に終わった。それはあの民主党にしても例外ではなく、結局、100議席どころか、公示前勢力維持にとどまった。爆発的な「風」は、ついに吹かなかったわけである。
だが、大政党に有利な選挙制度だったことゃ、直前に発足した党であることを考えれば、あるいは菅直人、鳩山由紀夫の両代表の言うょうに「善戦」だったのかもしれない。少なくとも自民、新進に次ぐ第3の勢力となったことで、民主党が政権に対してある種の対抗勢力となったことだけはたしかなはずだ。そういう意味では、この”リベラル新党”が52議席を得た事実は、国民が少なからず寄せた期待感だったともいえる。つまり、民主党=菅直人ならば、この国のどうしようもない政治状況を多少なりとも動かし、行財政改革も本気で断行してくれるのでは、と。
しかし、民主党という政党に、果たしてそこまで期待できるのだろうか。たしかに、掲げた政策には耳触りのいい言葉が並んではいる。が、菅直人はともかく、鳩山兄弟に横路孝弘、海江田万里……。党の主だった面々を見ると、とても行革を本気で考えている面々とは思えないのである。そしてなによりこの党には、体質的にも極めて問題のある人物が、発足以前から深く関与し、その個人的思惑が党の性格、人選にまで強く影響を及ぼしていたフシがあるのだ。
●民主党旗揚げの仕掛人
総選挙の日程を巡り、与党3党首会談が行われていた頃、複数の永田町関係者の間で民主党についてこんな話がささやかれていた。
「民主党には高野孟が深くかかわっている。どうやら民主党の基本理念や政策は、すべて高野孟が書いたものらしい」(政治部記者)
高野孟といえば、本誌が過去何回か取り上げてきたように、情報紙『インサイダー』の編集発行人で、テレビ朝日『サンデープロジェクト』や『朝まで生テレビ』に、田原総一朗とともに準レギュラー出演している”朝ナマ文化人”のひとり。その高野孟が民主党の政策や理念を書いたというのだ。
たしかに高野の『インサイダー』では、民主党がまだ「鳩山新党」と呼ばれていたころから、その進行状況が毎号のように詳しく報じられていた。実際、民主党が9月17日に発見したその直前の『インサイダー』(9月15日号)では、高野自身がそれを匂わせるような記述も行っていたのである。
たとえば1ページ目で、民主党の経緯に少し触れてから、嬉々としてこう書いている。《新党の理念は、要約は報道されましたが、全文はまだ余り出ていないので、本号に掲載し解説を加えました。本誌読者にはお馴染みのキーワードや表現が出てきて、アレレ?と思われるかもしれませんが……。》
たしかに高野が言うように、民主党の基本理念や政策綱領には、「自立と共生の下からの民主主義」「地球型市民社会」「インターネット社会」といった彼がよく使う表現が頻繁に登場するのだ。
政治部記者はこう言う。「それに民主党の基本理念は、高野孟の言うように要約は報道されたが、全文は”余り出ていない”どころかどの新聞、雑誌も掲載しなかった。全文を紹介したのは実は『インサイダー』だけ。しかも、高野はその解説の中で、理念に使われている表現をどういった文献から引用したかまで書いている。噂通り、理念や綱領は高野が作ったと考えていい」
さらに、民主党代表のひとり鳩山由紀夫が『文藝春秋』11月号に発表した19ページにも及ぶ論文「民主党/私の政権構想」も、実際の筆者は鳩山ではなく、8割以上は高野孟がゴーストライターとして書いたものだったという説が根強い。こうして見ると、民主党が結成される過程に、高野孟が一定以上のかかわりを持っていたのはほぼ間違いないだろう。実際、高野自身もそのことを隠そうともしていないのだ。
さる9月22日、台風が東京を襲ったこの日、高野孟はホテルオークラで行われた民主党の「結成記念の集い」に出席し、菅直人や嶋山由紀夫、後援組織関係者とともに最前列に座っていた。そして連合事務局長・鷲尾悦也に続いて、こうスピーチしたのである。「この間、ジャーナリストの職分を超えて新党の動きに荷担してきた。私自身のこととしてともに喜びたい。(略)ジャーナリストとして書いてきたが、書くことがなくなった。面白いことをして、素知らぬ顔をして書くしかない。だが、その前に、一個の市民として、望ましい政策を作る責任がある===」
高野孟がジャーナリストであるかどうかの論議は置いておくとしても、高野は毎週報道番組であるテレビ朝日の『サンデープロジェクト』に出演し、政治問題についてコメントしていた立場だったはずである。加えて、一介の出演者であるばかりではない。『インサイダー』は情報紙発行に加えて『サンプロ』の製作プロダクションでもあり、高野は経営者として番組の企画じたいにも深くかかわってきたはずなのだ。それが、民主党の結成に関与してきたことを誇らしげに語り、一方でその当の政治家たちを”自分”の番組に出演させていたというのであれば、3年前のテレビ朝日「椿発言事件」の反省など、高野にはまったくなかったことになる。
テレビ朝日関係者は、こう語る。「実は局としても椿問題の教訓から、高野さんの政界フィクサーとしての動きには以前から神経を尖らせていて、報道局内でも問題化したことがあったんです。そういう蓄積があったところに民主党の”結成記念の集い”で高野さんがああいう発言をしたものだから、一気に問題になり、結局投票日の10月20日放送分まで出演を自粛してもらうことになった。まあ、自粛という名目の出演禁止ですね。高野さんは不服だったようですが……」
高野はこのテレ朝側の措置に、「テレビでコメントするのとああいう場でしゃべるのとでは立場が違う」という趣旨の反論をしたというが、それでは本末転倒だろう。<ジャーナリストの職分を超えて新党の動きに荷担してきた>と自ら語る人物が報道番組を製作することに、問題がなくていったいなんだというのだろうか。
しかも、高野孟と民主党とのかかわりは、実をいうと理念・綱領を書いたり、鳩山由紀大のゴーストライターを務めるという程度のレベルではない。高野は、民主党が鳩山新党として姿を現す以前から常にその動きの中心に存在し、ブレーン、というよりも黒幕、フィクサーとして事実上新党運動を仕切ってきたのである。
●フィクサーとしての暗躍
民主党の原形は、その後さまざまな紆余曲折を経るにせよ、横路孝弘が主宰し、嶋山由紀夫、海江田万里ら7人が参加して昨年7月に発足した「リベラルフォーラム」にある。約1年前、当時「社・さ」丸ごとの新党を画策していた首相の村山富市や武村正義さきがけ代表が、鳩山由紀夫を前面に出すという久保亘社会党書記長のアイデアに乗り、嶋山に打診したのがきっかけだった。
「さきがけ代表幹事だった増山由紀夫が先に新党をつくり、その後、社会党が合流するというもので、当時の鳩山は”社・さ”丸ごとに抵抗感は持ってなかった」(政治部記者)
この鳩山由紀夫主導で新党という案自体が、そもそも高野孟の考えだったといわれる。当時、高野は久保亘と非常に近い立場にいて、社会党の新党運動の裏ブレーン的な存在だった。その後久保とは決裂することになるが、一説に高野と久保の間では新党の結党草案を書く約束もできていたともいう。
そして一方の「リベラルフォーラム」も、高野が深く関与していたグループだったのだ。「海江田と高野といえば、安東仁兵衛が主宰していた『現代の理論』で海江田が編集委員をしていた時代に知り合い、以来ずっと同志関係にあるのは知られた話。海江田の秘書は元『インサイダー』所属だしね。一方、横路孝弘とも彼は以前から親しい関係にあり、鳩山由紀夫を横路に引き合わせたのも高野といわれている。おそらく、久保に鳩山主導案を焚き付けたのが高野で、彼は当初、横路が主体の新党を作りたかった」(社民党関係者)
たしかに高野は横路を代表に、そこに鳩山や海江田、社会党右派、中間派、それに羽田孜、船田元といった新進党の一部までを合流させた新党結成を画策していたフシもある。今年4月に表面化した「鳩船新党」は、その流れを汲むものだったのだろう。事実、この「鳩船新党」が取り沙汰されていた時も、高野の姿は常に見え隠れしていたのである。
ある議員秘書は、こう話す。「この4月ごろまで、新党に関する”7人委員会”というのがあったんだ。メンバーは鳩山兄弟に横路、赤松広隆、リベラル96の大畠章宏、海江田、そして船田。この”7人委員会”には高野も度々出席していて、ここに横路を押し込んだのも高野だったようだ」
この新党案は、4、5月ごろまでは船田が政策を提示するなどかなり保守色が強いものだった。ところが、船田が離脱し、「7人委員会」が「コア会議」と名前を変えた6月ごろから社民党寄りになり、高野のかかわり方も深くなっていったという。
「またの名を”11人コア会議”といって、7人委員会の船田を除いたメンバーにさきがけの簗瀬進や社民党の渋谷修らを加えた面々だった。このコア会議は6月ごろ、さきがけ事務所の裏の東急観光ホテルで2、3日に1回会合が持たれ、このころから高野は毎回出席し、本格的に関与してくるようになった。コア会議では政策、発足までの段取り、そして参加メンバーの3点が話し合われたが、そこでの理論的ブレーンとなったのが高野であり、海江田だった。”新党は個人参加型”という案は、ここで高野たちが考えたんだ」(議員秘書)
民主党の政策は、表向きは簗瀬や五十嵐ふみひこが考えたものとされているが、実は高野と横路の秘書の松本収という人物のふたりが叩き台を作成したのだという。そして、武村や村山抜きという例の「排除の論理」も、もともと高野が主張したものだった。実際、高野は村山・武村の「社・さ」丸ごと案を『インサイダー』で毎号のように批判。9月15日号では、武村や村山、中西績介、佐藤観樹、野坂浩賢ら社民党の老齢派、旧国対族を、《馬鹿としかいいようがない》《老齢でまともな判断が出来ない》と、ムチャクチャにコキ下ろしているのだ。
このヒステリックさは、まさに「ジャーナリスト」というよりも当事者としての感情であり、高野は、新党参加者の条件として『インサイダー』にこうも書いている。
鳩山や菅が内々に合意しているところでは……と断りつつも、《入党はもちろん理念・政策に共鳴するすべての人々に開かれているが(だから中西績介はダメ)、反社会的行為を行ったり、新党運動にさんざん誹誇中傷を加えてきたような人物はお断りすることもありうる》……。
丸ごと移行か、個人参加かで紛糾していた8月下旬、鳩山由紀夫は『サンデープロジェクト』に出演し、「武村さんはさきがけのマイナスイメージをひとりで背負ってしまった。新党への参加は遠慮して欲しい」と発言。公の場ではじめて「排除の論理」を明言した。その後の騒動の幕開けとなったこの鳩山由紀夫の発言の真にも、高野の意向があったという。
「なんとか武村・村山を新党から排除したい高野が煮え切らない鳩山に業を煮やし、田原総一朗を使って鳩山に選択を迫らせたと言われている。番組の会議で田原に武村排除の方針をリークしてね」(前出・テレ朝関係者)
そして、菅直人もまた、キチンと一線は引きつつも高野と通じていたひとりなのである。菅と高野も旧知の仲であり、菅が厚生大臣だった当時は、高野がしきりに接触を求めたり、菅が高野に諸問題で相談を持ちかけることも度々あったといわれる。
「菅直人はコア会議には入っていませんでしたが、当初から鳩山と足並みは揃えていた。高野も表面上は鳩山を立てつつ、裏では菅とも連格を取り合っていたんです。鳩山と菅はよく酒を飲みながらふたりで新党問題を話し合っていて、その席に高野が加わることも度々あった。事実、9月の8日から10日にかけて、東陽町のホテルイースト21で鳩山と菅たちは極秘で会合を持ち、その席で菅が新党に加わることが決まったのですが、そこには高野もいたとされている」(前出・政治都記者)
高野は横路主導の新党にしたかった。が、横路には海江田や赤松、自治労側の反発があり、横路から菅に乗り換えざるを得なかったという。
ベテランの政治部記者はこう語る。「結局、極端なことを言えば、今回の民主党発足までの動きは、すべて高野孟のシナリオ通りだったといってもいいくらい。安保や防衛問題の政策で社民党もついてこれるように考えたのは後だし、邦夫を悪役にして”排除の論理”を言わせたり菅直人を前面に出すタイミングなども、すべて高野の筋書きだったと思うよ。もちろん旧社民の連中には高野が仕切ることへの反発があったが、高野に理論上で論破され、誰も口が出せなかった」
●スターリン官僚的政治力学
ここまで深く特定政党にコミットしている人物が、その政党の幹部も出演する報道番組の出演者であり、番組に強い影響力を持つ立場にいるとするならば、これは第二の”椿事件”どころではないだろう。すでに指摘したょうに、高野の行為は間違いなく<ジャーナリストの職分>を完全に踏み越えたもので、選挙期間中だけ番組への出演を自粛させて終わるレベルの話ではない。
高野孟という人物の一連の行動は、1972年に日本共産党を除名になって以降の過去を振り返っても、常にこうしたフィクサーまがいのものだった。
彼が書いたという民主党の理念は、<政官業癒着の利権政治との決別><官僚主導の国家中心型社会からの転換><市民中心社会を構築>……と、それ自体は間違っていない。だが民主党は、「消費税5%」容認といい企業献金OKの路線といい理念からはかけ離れた政策を打ち出している。リベラル勢力を結集し第3極をつくるという発想もけっして悪いわけではないが、ならば土井たか子まで巻き込む政策が不可欠だったのではないか。
高野の主張はキレイ事すぎはしないか。たとえば「青の会」ではどうだったか。「青の会」は今から12年ほど前、高野や田原総一朗が中心になってつくった学者やジャーナリストの集まりで、当時の自民党のネオニューリーダー、藤波孝生、森喜朗、加藤紘一そして羽田孜の4人を囲んでは頻繋に勉強会を行っていた。
当時の関係者はこう話す。「メンバーは高野、田原のほかに舛漆要一、三枝成彰、月尾嘉男、大磯正美、元TBSディレクター田中良紹らで、当初は将来の首相が確実視されていた藤波孝生が会の中心だった。ところが藤波がリクルート事件で失脚したため羽田にシフトしていき、そのうち羽田を総理にする会といった色彩が濃くなった」
高野は、田原、三枝とともに羽田と頻繁に会合を持ち、羽田を『サンプロ』などに出演させては売り出しに力を注いだのだ。羽田が政治改革という名目で小沢一郎らとともに自民党を離党、当時の新生党党首に就任したころは、その動きはさらに露骨なものだった。
「代表的なのが93年9月の『エイズ撲滅コンサート』。羽田がプロの交響楽団を前にタクトを振って話題をまいたが、実はこれは高野と三枝が羽田のイメージアップのために仕掛けたイベントだったんです」(同)
この高野の”企画屋”らしい手法は、今回の民主党の際にもまったく同じパターンで使われた。今年6月28日、まだ新党が「鳩船新党」と呼ばれていたころ、やはりエイズのチャリティーコンサートが企画され、貴公子のような派手な衣装に身を包んだ鳩山由紀夫と船田元が、交響楽団を前にタクトを振ったのだ。これもやはり高野―三枝ラインの仕掛けで、同じ舞台には菅直人もいたのである。
前回の衆院選前の92年には、やはり高野らの仕掛けで当時の社会党議員、社民連を中心とした政策研究会「シリウス」を発足させた。そのメンバーは江田五月、伊東秀子、菅直人、渋谷修、仙谷由人、筒井信隆、長谷百合子など30人ほどに上り、今回民主党に加わったメンバーも数多い。
「シリウスは、92年11月3日に発会趣意書を各方面に送っていて、その文面を書いたのも高野。”議員が個人として横断的に集まり……未来思考型の議論をしたい”とか、いかにも高野らしい文章だったよ」(政治部記者)
そして、衆院選で自民党、社会党が大敗、日本新党ブームで細川政権が誕生すると、社会党右派とのパイプを温存しつつ元NHK会長故・島桂次ことシマゲジを通じて細川政権に接近。海江田を日本新党の代表補佐にネジ込むなどの動きをみせるのだ。
さらに細川政権が小沢一郎―斎藤次郎の国民福祉税構想で頓挫するや、今度は再び社会党右派にシフトし、久保亘や山花貞夫らの社会党新党運動の裏ブレーンとして暗躍する。
「周知のように結局それも、久保が蔵相として自民党に取り込まれてしまったことで頓挫してしまったんです。高野は久保のこの行動に激怒し、<拝啓久保亘書記長殿>という決別の”手紙”を『インサイダー』紙上で2ページを費やして書いたぐらい」(関係者)
高野が民主党発足までの過程で、村山や野坂といった社民党老齢幹部を執拗に攻撃していたのも、おそらくは当時の社会党新党運動を潰された怨念もあってのことだろう。この後、高野は「社・さ」の新党、つまり鳩山新党の動きに加わっていくのである。
こうして見る限り、高野が民主党の政策でどんな立派なことを主張しようとも、保守や革新、リベラルもなく、ただただ政治的には無節操で、共産党時代に学んだと思われるスターリン官僚的な政治力学だけを考えているとしか思えないのである。
そもそも、高野が組んだ鳩山由紀夫といえば、友愛どころか創価学会や統一教会との関係を指摘されている人物で、弟の邦夫に至っては、田中角栄型政治を脈々と受け継いだズブズブの自民党体質の持ち主ではないか。
「今回、民主党の党資金は鳩山家が一応用意したけれど、一説にその一部は、鳩山家所有の八王子の創価大学に隣接する土地を、学会に売却してつくつたものといわれている。横路や海江田にしても黒い人脈との関係が指摘されているし、行革云々というが民主党も自民・新進と大差はない」(前出・政治部記者)
そして、体質的に高野孟のもっとも問題で、”犯罪的”とさえ思えるのは、特定の政治勢力と密接な関係を築く一方で、それを自らの私的な事業、利権と結び付けるある種のミニ政商、フィクサーとしての顔である。
●火の車の経営からの脱出策か!?
その典型的な例が、あの信州国際音楽村を巡る数々の疑惑だろう。
信州国際音楽村は、高野や田原総一朗と密接な関係にある羽田孜の地元、長野県丸子町の総敷地面積7800平米もの土地に、コンサートホールや野外劇場を建設した文化施設で、羽田の利権、一大金脈でもある。
「信州国際音楽村は、林野庁のモデル木造建設事業に指定され国の補助金で建設されたんですが、その決定をしたのが、当時林野庁を管轄する農水大臣だった羽田。音楽村を運営している財団法人の理事、役員もほとんど羽田の地元後援会役員の建設業者で占められ、彼らは音楽村の施設建設も請け負っていた。そしてその金が羽田に政治献金として還流されるという構図です」(丸子町関係者)
高野や田原、三枝といった「青の会」は羽田の要請で、この信州国際音楽村で89年に行われた「JTスーパーシンポジウム/日本人ってなんだ?」というイベントにそろって出演し、企画・運営まで行っていたのである。
「電通を間に入れ、JTにスポンサーをさせたりでかなり大掛かりだった。そして一定の企画・運営費がおそらく高野の『インサイダー』に入ったはず」(「青の会」関係者)
さらに高野たちは、この音楽村一帯にマルチメディア関連施設や映像ソフト会社、CATV局などを誘致し一大文化発信基地にするという計画、新映像都市構想にも深く関与し、その実現に向けて実際に動いてもいた。
「そのひとつ、マルチメディア支援センターは、通産省が全国で一カ所のみ建設を計画していた総工費22億円という国家事業で、丸子町がそれを誘致できた裏には羽田の政治力や高野ら『青の会』の事前運動も大きかったといわれている」(前出・丸子町関係者)
さらに、利権を巡る羽田との連携はなにも信州に限らず、永田町でも堂々と行われていたのである。
89年当時に計画された国会中枢専門局の創設がそれで、本会議やすべての委員会にテレビカメラを入れ、衛星やCATVを使ってフルタイム放映しようというこの計画は、羽田が自分の利権にすべく強引に働きかけ、「青の会」がそれに呼応したものだった。
「当時実現に向けて審議されていた『国会審議テレビ中継に関する小委員会』は、自民党選挙制度調査会長だった羽田がこの計画を言い出したことから設けられた委員会で、この羽田の動きに合わせ、『青の会』のメンバーの元TBSの田中良紹が実現に向け『株式会社C−NET』という会社まで設立させていた。結局、この計画は頓挫するが、高野は役員としてこの『C―NET』にも全面的に協力していた」(前出・「青の会」関係者)
また、89年から91年にかけ、「青の会」は日商岩井をスポンサーにしたシンポジウムを企画、実施しており、羽田や加藤紘一といった親しい政治家をゲストに呼んでいた。
「こうした『青の会』が関係したシンポジウムなどのイベント関係は、たいてい高野が主体となって企画、運営されており、企画・運営費は日商岩井から『インサイダー』に支払われていたはず」(同)
特定の政治家と癒着、それを利権化して商売に結びつける……。高野がジャーナリストというよりもフィクサーといわれる所以だが、実はこうした手法は、今回の民主党との間でも行われているのである。 民主党は、他の政党同様、発足とほぼ同時にインターネットにホームページを設け、選挙中の膨大な新聞・雑誌の党広告にはそのアドレスを明記していた。そこにはこうある。「http://dpj.smn.co.jp/」
このアドレスにある「SMN」とは「島メディアネットワーク」の略称であり、つまりは高野が故・島桂次と設立し、現在は高野が代表取締役を務める「島メディアネットワーク株式会社」のホームページなのである。
インサイダー関係者がこう話す。「高野は政策や人選に関与するだけでなく、民主党のインターネットにおける一種のハウスエージェンシー業務も請け負っていたということになる。SMNはインターネットの英語週刊誌『東京万華鏡』の発信をしているが、アイコンをクリックしてスポンサーの情報発信サービスを見る形式のインターネット上の広告がなかなか集まらず、経営はうまくいっていない。辛うじてソニーや東芝といった企業のスポンサーは入っているが、それも生前の島ゲジが集めてきたもの。たぶん、民主党を通じてSMNの経営を少しでも上向きにしようという思惑があるんじゃないか」
そういえば、『東京万華鏡』の執筆陣には民主党事務局長・海江田万里の名前もある。 リベラル勢力の結集と言いつつも、その実、高野にはただ単に民主党を通じて利権を増やそうという思惑がミエミエなのだ。
かつて東海テレビ『週刊大予測』の司会を蓮舫とともに担当し、番組自体の製作も丸受けして隆盛を極めた高野と『インサイダー』も、番組の打ち切りと同時に経営は下降線をたどり、最近では社員の給料の支払いにも四苦八苦、借金している状態ともいわれる。野村証券・田渕節也元会長らと計画した環日本海経済開発構想、マダム朴の金剛山観光グループから世話された豪華新築事務所疑惑など、極めてウサン臭い事業、人脈とかかわり続けてきた高野孟も、結局のところ、行き着くのは昔の仲間や政界フィクサー業であり、そこで細々とした利権にありつくしかなかったということか。
だとすれば、こうした人物が当初から深くかかわり、裏から仕切っている民主党というリベラル新党の言う行革も、しよせんハナから期待できるものではないだろう。鳩山兄弟や海江田、横路はもちろん、高野のような人物と組んで新党を興した菅直人にしても、早々に底が割れていくのではないか。
それはそれとして、この際、高野はジャーナリストなどという看板をはずし政界フィクサー、もしくは利権屋事業家としての途を進むことを強くおすすめしたい。少なくとも公共の電波を私心と私欲に利用することだけは願い下げである。 <敬称略>
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Internet Archive smn.co.jp
http://web.archive.org/web/*/http://smn.co.jp/
Internet Archive dpj.smn.co.jp (旧民主党)
http://web.archive.org/web/*/http://dpj.smn.co.jp/
INSIDER(インサイダー) 高野孟
http://www.smn.co.jp/insider/
http://web.archive.org/web/*/http://www.smn.co.jp/insider/
高野孟 余り短かくない自分史
http://www.smn.co.jp/takano/who.html
テレビ朝日 サンデープロジェクト
http://www.tv-asahi.co.jp/sunpro/
テレビ朝日 朝まで生テレビ!
http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/
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