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21人もそろえた大弁護団の滑稽さ──光市母子殺害事件・差し戻し控訴審
星野 文孝(2007-05-29 05:00)
http://www.ohmynews.co.jp/news/20070528/11556
1999年4月14日、当時18歳の被告は、本村さん宅を訪問し、妻の弥生さん(当時23歳)と娘の夕夏ちゃん(当時11カ月)を殺害した事件である。
水道工事員を装い、本村さん宅に上がり込み、弥生さんを殺害する。動かなくなった弥生さんにガムテープで巻いて姦淫した。母に近寄る夕夏ちゃんを床に叩きつけた後、首を絞めて殺害した。
(写真はイメージ) 1審、2審とも無期懲役の判決。検察はそれらを不服として上告し、2006年6月最高裁は「死刑回避の十分な理由は認められない。」として2審の無期懲役判決を破棄し、広島高裁に差し戻した。
2007年5月24日、その差し戻し控訴審が始まった。
被告側には、頼まれもしない21人もの弁護士が顔を連ねた。被告は、21人もの大弁護団になったことを聞き、驚いていたらしい。思ってもいなかったことにびっくりした、と言っていると聞く。被告はこの状況になり、どんな心境になったであろうか。
自分を死刑から救うために、世の中が立ち上がってくれた。21人もの弁護士が自発的に応援してくれる。自分の罪は本当はそんなに重いものではなかったのではないか──。そんな風に勘違いしたのか、過去8年間の真摯な審議内容とはかけ離れた「新たな理由」を主張し始めた。
曰く、事実誤認があり、被告に殺意はなかった。水道工事屋さんになりすました「ママゴト遊び」で、被害者に抱きついた目的は被害者に甘え、じゃれることにあった。
動かなくなった弥生さんの体にガムテープを巻き、強姦したことについては「死者に精子をつぎ込んで復活させる魔術とも言うべき儀式」「被告人は精子が死者を復活させると信じていた」などと主張し、その上で「計画性があり殺害方法も残忍」という今までの審議は誤りだとした。
司法制度を弄ぶ所業である。
21人もの大弁護団ができたことが問題だと言っているのではない。被告と、この事件を利用して、「死刑制度廃止のパフォーマンス」がなされていることが問題なのだ。8年間の審議を全く無視した、荒唐無稽な犯行動機と状況を理由に、減刑を求める卑劣さ。
真に被告の減刑が相当と考え「被告のために」自発的に集まったのであれば文句を言う筋合いではない。
だが、すでに裁判が始まっているにも係わらず、まだ被告に会ってもいない、話すら聞いていない弁護士たちは、一体何が目的なのか。売名か。21人の弁護士の中で、被告に接見している弁護士は10人ほど。
それ以外の弁護士は、ただ伝聞を鵜呑みにして、居並んでいるに他ならない。被告のために自らの意思で参加したのなら、自らが納得し、確信を持って減刑を争ってもらいたい。弁護士として恥ずべき事はないか。本件審議に頭数だけそろえて何の意義があるのか。
私はこの事件における裁判の報道をずっと注視してきた。遺族である本村洋さん(31)の、無念をにじませながらも、冷静かつ毅然とした態度に尊敬の念すら持っている。彼の8年にも及ぶ戦いが如何に大変なことだったかは誰も知る由もない。
遺族は言う。
「今集まっている弁護士の方は、被告人を救おうと言うよりも、救うことが手段であって目的は死刑制度廃止を社会に訴えること。私たちだけではなく被告人すら、利用されている」
「8年の間に認定された事実や発言、そういったものを全部反故にするようなことはやめてもらいたい」
法は被害者・遺族に代わって罪を裁き罰を与える。国民は国家による判断に不服があっても法の元に従わなければならない。それは原告・被告とも同様だ。
本件については冤罪の可能性がない。被告の犯行が明らかな事件だ。最高裁が「特に酌むべき事情がない限り、死刑を選択するほかはない」としたことは、「法を厳格に適用して公正な判決を下すように」と言っているのだろう。
公正な審議で公正な判決を持って罪を償わせるという本旨が蔑ろにされていないか。次回公判は6月26日から3日間連続して行われる。
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