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□書評/「朝日vs産経」(朝日新書) [毎日新聞]
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/column/seoul/news/20070605org00m030045000c.html
第61回 書評/「朝日vs産経」(朝日新書)
黒田勝弘(産経新聞ソウル支局長、論説委員)と市川速水(朝日新聞ソウル前支局長)両記者による対談本である。
日韓問題、北朝鮮、韓国報道をめぐって、それぞれの自論を戦わせた。一読すれば明らかなように、対談本としては、黒田の「圧勝」に終わっていると言うしかない。
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2人の年齢差、コリア取材歴の差から見て当然の結果だ。しかし、ここでは黒田と「一度激突してみたかった」という市川の勇気を評価しておくべきだろう。コリア報道を「党派性」「メディア・フレーム」の狭い枠組みから脱却させるための試行として、きわめて貴重であるからだ。
この「特派員対談」企画は一緒に酒を飲んでいるうちに持ち上がったという。「2人が思い切り会話形式で意見を交わしたら、複眼的な見方が生まれるかもしれない」(市川)「これは市川記者の先駆性である。こんな先駆的記者がいれば朝日新聞の将来は大丈夫かもしれない」(黒田)。
このような「エールの交換」を経て行われた対談だが、量、質的にも黒田の発言が圧倒しているのは、すでに指摘した通りだ。たとえば第1章「朝日と産経」では、黒田の発言量は約800行分もあるのに、市川の発言は400行弱で半分ほどしかない。黒田の「独演」を市川が「拝聴」しているような場面もある。
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黒田は対談で「コリア報道における先駆性とは何か」という命題を議題に載せ、「朝日の守旧派」ぶりを攻撃した。これは毎日新聞ソウル支局長だった私の観点から見ても、自明の事実だ。
1980年代以降、コリア報道を主導したのは、黒田と重村智計(毎日新聞元ソウル支局長、現早稲田大学教授)である。朝日のコリア報道は総じて、現実から遊離した「ご高説」が少なくなかった。
たとえば金大中政権が誕生した時だ。朝日新聞の編集委員は「これでやっとソウルの高層ビル群に、民主化という魂が入った」とコラムに書いた。ソウル支局長を長年務めた人物であった。
朝日の記者にとっては「ビルにも民主化の灯が点るのか」と、私は驚いたものだ。すでに「民主化(1987年)以降の民主化」が問題になり始めていた時期に、いまもってキンダイチュウ式のミンシュカ、これは守旧派というより教条主義に近い、と思ったものである。
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その点、黒田や重村は現実ウオッチングに基づいたコリア報道の先駆者だった。岡崎久彦が1983年に出版した名著『「隣の国で考えたこと』で、「何よりも望まれる」として待望した「才能と勇気のある方々が俗論や偏見を乗り越えて(中略)その成果を発表されること」を、マスコミの世界で実現すべく努力したジャーナリストだ。
「朝日特派員の後裔」である市川が、先駆者の黒田に立ち向かうには、ハンディキャップがある。それは市川も十分承知の上での対談だったに違いない。
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ただ、対談における黒田の発言は、従来の著書で展開している論議とほぼ同じであり、新味は感じられない。
むしろ興味深いのは、市川の発言内容だ。1960年生まれ、40歳代半ばの市川は、黒田と19歳の年齢差がある。市川の発言は朝日における「新コリアスクール」の登場を感じさせるとともに、今後、「ポスト団塊世代」のコリア観に共通した思考傾向が伺える。
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「韓国だけでも100人以上の元慰安婦がいますが、僕の取材でも、腕を引っ張られて、猿ぐつわをはめられて、連行されたという人は1人も現れていません」(55ページ)
「日韓のメーンの外交マターとは何か、歴史感覚がすべてではないだろう、といわれれば、その通りですね」(100ページ)
「(北朝鮮に対しては)社会主義幻想、贖罪意識、韓国への反発の“三点セット”で目が曇っていた」(162ページ)
これらの部分だけをピックアップすると、黒田の発言として紹介されても違和感はないだろう。
特にソウルの日本大使館前での「反日デモ」の様子を取材しながら、市川が「はいパフォーマンス終わりって感じで。(中略)。警官も彼らを取り巻くけれど、火をつけるところまで黙認する。(中略)。これがやらせかというと微妙で、韓国的なんです」(113〜114四ページ)と説明するあたりは、社会部出身ならではのリアルな観察眼が感じられる。
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黒田も若いころは、そういうタイプの記者だった。市川と同年齢のころに黒田が書いた「韓国人の発想〜コリアン・パワーの表と裏」(1986年、徳間書店刊)は、旺盛な取材力と読書量が結実し、目配りのきいた著書だ。
それに比べると、最近の記述はいささか演繹的で、固定的な印象を与えるものが少なくない。変化球の多投も目立つ。ポスト団塊世代の後輩記者が懸念する部分でもあろう。
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「コリア報道の先駆性」を強調する黒田に対し、市川が反論しそこなった点がある。「サッカーW杯の日韓共催」だ。
市川の上司である若宮啓文・論説主幹(1948年生まれ)が、あちこちで(例えば朝日新聞社刊「韓国と日本国」)述べているように、朝日の社説が先鞭をつけた。産経ではなかった。この点を反撃しておけば、対談はもう少し盛り上がったかも知れない。
黒田に代わって若宮説を批判しておこう。「自画自賛」論で欠けている部分があるからだ。それは朝日新聞が主に商業的な利益から、W杯の「オフィシャル・ペーパー」になったことによって、W杯機関紙になったとの批判に答えていない点である。
日韓W杯は「韓流ブーム」の源流でもあったが、ネット社会を中心とした「嫌韓論」(コリア報道への不信が根底にある)台頭の原因を作った。2人の対談に、そのような自覚と議論がないのは残念である。(敬称略)
2007年6月5日
下川正晴(しもかわ・まさはる)
1949年鹿児島県生まれ。大阪大学法学部卒。毎日新聞ソウル、バンコク支局長、論説委員などを歴任。立教大学大学院博士課程前期(比較文明論)修了。05年3月から韓国外国語大学言論情報学部客員教授(国際コミュニケーション論、日韓マスメディア論)、ソウル市民大学講師(日本理解講座)。日韓フォーラム日本側委員(01〜03年)、NPO「韓日社会文化フォーラム」運営委員(04年〜現在)。
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