★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評5 > 541.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
●今のような新聞は、朝日新聞であれ産経新聞であれ、なくなっていいでしょう
投稿者:miyadai
投稿日時:2007-05-30 - 17:57:45
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=510
宮台◇ 河内さんは新聞社経営の危機の主因として、人口減の問題と、インターネット化の問題を挙げています(河内孝『新聞社 破綻したビジネスモデル』新潮社)。前者はどうにもならないし、後者は適応していくしかありません。要は、環境変化に適応して生き残れるようなビジネスモデルがあるか、ということですね。
宮台◇ 本にも書かれていますが、(読売新聞は)販売店には1000万部を卸しているでしょう。しかし、販売店に卸された新聞がその後どうなったかは知ったことではない、という体制ですよね。
宮台◇ グラフの傾斜率から趨勢分析すると、2010年ごろには新聞広告とインターネット広告が交わります。あと3年から4年ですね。
宮台◇ 僕の考えでは、一般的には以下のような構図が問題です。
ネオリベ的な市場万能主義は誤りで、市場をコーポラティズム(協調的談合主義)的に制約すべきです。でも、コーポラティズムが不透明な権威主義なのか、透明ゆえにチェックに開かれているのかが問題です。コーポラティズムが不透明な権威主義なら、米国系外資が自分たちの好きな所から政治問題化できます。その結果、利権でズブズブの権威主義の撤廃が、米国系外資に有利な市場万能主義を帰結するのです。
本来は、不透明なコーポラティズムを、透明なコーポラティズムへと自浄すべきなのに、そうなりません。構図を変えられないのはなぜか。不透明なコーポラティズムの裏に与野党の政治家が貼り付いているのもありますが、これを叩くべき新聞とテレビが不透明なコーポラティズムの恩恵を受けていることが大きい。
そうやって新聞が叩かないから透明なコーポラティズムへの自浄が進まず、外資から不公正取引として外交問題化されるヴァルネラビリティ(攻撃され易さ)を抱えて、外資次第ですぐに丸裸にされてしまう。ところが新聞やテレビは、不透明なコーポラティズムの典型なのに、言葉の障壁で外資に狙われにくい。だから問題を放置しているのでしょうね。
宮台◇ 先日『NHKスペシャル』で、再生可能エネルギーが各国でどの程度普及しているかを紹介していました。グローバル・ウォーミングは重要な政治問題ですが、メディアがまともに報じません。重要だというのは単に公共的だからでなく、国益の問題だからです。
出演していたレスター・ブラウン博士が、地球という船が没めば船の下方にいようが上方にいようが海の底に没むのだから、タイプA(現行)からタイプB(エコエコノミー)へのシフトは国益を超えた問題だと言います。僕の考えではこうした呼びかけは無効です。
なぜか。福沢諭吉がマキャベリストだったことがヒントです。タイプA(前近代)からタイプB(近代)にシフトすべきだとして、近代的政治手法は使えません。近代的政治手法はタイプBが実現していればこそ有効なのであって、タイプAの段階では共同体主義が有効だからです。共同体主義的な動員で、脱共同体主義を実現するしかない。同じことで、国益主義的な動員で、脱国益主義を実現するしかない。広く言えば、脱政治主義的な社会を実現するにも、政治主義的なストラテジーが必要です。
地球環境問題のこうした微妙さ一つ取っても、新聞やテレビが役目を果たしません。だから僕は新聞を読みません。インターネットでヘッドラインを収集するソフトや、携帯メールにヘッドラインを飛ばすサービスを使い、気になるニュースがあったらグーグルで検索して専門家の議論を読みます。新聞には必要な情報が載らない以上、読む意味がない。あるとすれば世間話のネタですが、最近の若い人は新聞を読まないので必要なくなりました。
宮台◇ 僕は『ダ・ヴィンチ』誌で創刊以来十数年連載していますが、あの雑誌が続いている理由は、毎月5000冊分の書籍情報を500冊分に圧縮し、そこに全体像が映り込むような誌面を提示するからです。現在の出版動向を、書籍内容まで含めて知りたい場合、単なる売上げランキングも役立たないし、単なる書評誌も役立ちません。だから三年前に朝日新聞社主催のシンポに参加した時、これからの新聞は、速報性で勝負せず、セカンドニュースの全体を見渡すための比較的中立なポータルとして機能するのが良いと言いました。さして能力のない記者や論説委員の、朝日風・産経風に色のついた解説は無用です(笑)。あっても良いのは、マッピングする分野の得意不得意ぐらいでしょうか。
宮台◇ テレビジョンとは単なるインターフェースの名前です。テレビの裏に地上波アンテナが繋がっていようが、衛星アンテナが繋がっていようが、インターネットが繋がっていようが、関係ありません。ブロードバンド化していけば、単にコンテンツの勝負です。一時間三千万円で番組を作る御大尽の時代はまもなく終了です。
新聞についても、有機EL(自発光の有機素子を用いた薄型液晶)が実用化されつつあります。巻紙状の物を持ち歩いてそこに情報が配信されるようになるでしょう。その際、今の新聞社のコンテンツをダウンロードするかどうかは僕たちが選びます。新聞社には頭の良い方が集まっているのだから、そこで自分たちのコンテンツが選ばれるように勝負すればいいのですよ。
▲このページのTOPへ HOME > マスコミ・電通批評5掲示板
フォローアップ: