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□テレビに「期待」してはいけない [池田信夫 blog]
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/43a70d9ee119c0abefd9399845013e51
テレビに「期待」してはいけない
2007-01-30 / Media
ところで問題の「女性国際戦犯法廷」だが、東京高裁も期待権を認める判決を出した。メディアでは、原告の要求を是認するような論調が多いが、この事件は最初からの経緯を知らないと本質を見誤る。
最大の間違いは、そもそもこの企画が通ったことである。NHKには「チャイナスクール」と呼ばれる中国べったりの一派があり、その代表である池田恵理子氏(私とは関係ない)が問題の番組の企画者だった。彼女はVAWW-NET JAPANの発起人で、「戦犯法廷」の運営委員だった(この事情は、形式的には彼女の部下が番組のプロデューサーになったことで隠蔽されている)。つまり主催者が実質的なプロデューサーなのだから、もともと中立な報道などできるはずがなかったのだ。
しかし教育テレビの提案会議は、ほとんど現場にまかせきりで、編成などがチェックするのはタイトルぐらいだから、この最初のボタンの掛け違えが気づかれなかった。教育テレビは「左翼の楽園」だし、だれも見ていないから、普通ならそのまま放送されて、あとで関係者が始末書を書かされるぐらいだったろう。ところが、この内容が事前に右翼にもれたことが第2の間違いだった。それがNHK予算審議の直前だったものだから、幹部があわてて政治家に「ご説明」に回ったことが問題をかえって大きくしてしまった。
そこで自民党の圧力を受け、番組を大幅に改竄して放送したことが第3の間違いだった。たしかに放送された番組はめちゃくちゃだが、「戦犯法廷」の中身は弁護人もつけずに昭和天皇を被告人として裁き、何の証拠もない「従軍慰安婦」を理由にして天皇に「有罪」を宣告するデマゴギーで、とてもNHKが番組を丸ごと費やして紹介するようなイベントではない。政治家に説明したりしないで、純然たる番組論として没にすべきだった。
もちろん取材された側としては、改竄しても没にしても「われわれが期待したものと違う」というだろう。しかし、それは編集権の問題だ。テレビの取材では、撮影したテープの90%以上は没にするのが普通である。没にされた相手がみんな「放送されることを期待していた」と訴訟を起こしたら、番組制作は成り立たない。
先日の「あるある」も今回のNHKの事件もそうだが、視聴者や取材相手にリテラシーがなく、テレビを信用しすぎていることが間違いのもとだ。誤解を恐れずにいえば、あるあるの実験なんて毎回ブログなどで笑いものになっていたネタである。健康にきくすごい食品が、毎週みつかって500回以上も続くわけがない。作る側も、被験者を「出演者」だと思って演技をつけていたのではないか(それがいいと言っているわけではありませんよ、念のため)。
テレビは(報道も含めて)本質的には娯楽であり、そこに出す情報を選ぶ基準は、おもしろいかどうかだ。NHKでも、番組の最大のほめ言葉は「おもしろかったね」であって、「勉強になったよ」というのは半分皮肉である。NHKを叩いた朝日新聞だって、「政治家が介入した」というストーリーにしたほうがおもしろいから、そういう話を捏造したのだろう。
今回の判決は、こういうリテラシーをもたない原告が過剰な「期待」の充足を裁判所に求め、それ以上にリテラシーのない裁判官が期待権などという変な権利を認めたもので、今後の報道への悪影響は大きい。もちろん捏造も改竄もよくないが、どこからが捏造(改竄)でどこまでが演出(修正)なのかという基準は必ずしも明らかではない。品質管理のハードルをあまりにも高く設定すると、今回のようにメディアが自分の首をしめる結果になる。少なくともメディアがメディアについて報道するときは、読者に過大な期待をもたせず、「自分だったらどうするだろうか」と胸に手を当ててみたほうがいいのではないか。
追記:小飼弾氏からTBがついている。テレビ番組はリテラシー最低の人を想定してつくらなければならないというのは、1/23にも書いたように私も同じ意見だが、それは法的責任ではない。放送法にも「業務停止命令」の規定はあるが、捏造ぐらいで発動するものではない。編集権はテレビ局にあるという原則は、理解してもらうしかない。たとえば政治家に取材したら、彼らの期待どおりの番組をつくらなければならないとしたら、報道は成り立たない。
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