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□放送への行政介入を当然視する新聞 [JANJAN]
http://www.janjan.jp/media/0704/0703312760/1.php
放送への行政介入を当然視する新聞 2007/04/01
「あるある大辞典」問題で関西テレビが、総務省から「行政指導で最も重い警告を受けた」と各紙が大々的に報じた。
タイミングを合わせたかのように民放連も「関西テレビの除名」を発表している。
この2つのニュースの発信者の間のつばぜり合いの音は、新聞記者諸公の耳に入っていないのだろうか。民放連のメディアとしての危機感を、同業者として新聞は見落としたのではないか。
問題なのは、新聞の取材・編集に、電波行政の主管官庁が、法的根拠に乏しい言論にかかわる「行政指導」を行うことへの危機感がゼロであることだ。この場合、放送制度の専門家の間では、役所に法的な権限はないと見るのが常識だ。だから、自ら「行政指導で最も重い」と記者クラブに説明し、新聞はなんのうたがいもなく、「警告」をそのまま伝えてしまう。
不祥事が起こって、放送会社の社長が監督官庁に詫びを入れると、一面トップであつかって、懲罰的な表現の見出しが紙面に躍る。ペルー大使館突撃取材の時、テレビ朝日の社長が役所に呼びつけられたことを、「このふとどきものめ」といわんばかりの扱いで、朝日新聞が一面で大きく扱ったのは今でも記憶に新しい。
新聞社が、ジャーナリズムとしての放送を見下していることはありありだ。実力の差をここで論じるつもりはない。要は、今の政権が、じわじわと進めている放送行政、なかでも改革の名の下のNHK介入や、行政指導を名目にした懲罰的民間放送介入など、国家による放送統制への、新聞の感度の低さが心配なのだ。
「受信料罰則化」と「受信料値下げ」を「アメとムチ」の問題などと考えてはならない。受信料制度は、NHKと視聴者の間で決めるべき問題であり、制度に忠実な担当課長の首を切って、大臣が横車を押したり、自民党の族議員が決めるのは、放送法のタテマエを大きく踏み外している。
NHK会長の「抵抗」も、「罰則化受け入れ」も時間の問題と見てはならない。問題は、「値下げが出来る出来ない」の問題ではない。受信料制度には「罰則」はなじまない、という公共放送の根幹に関わる問題なのだ。
NHKと視聴者の、自由な契約関係から生まれる緊張感から、視聴者にもNHKへの関心が生まれ、NHKも視聴者の期待に応える努力を要請することになる……というのが放送法が期待している「信頼関係」であり、変えてはならない「原則」ではないか。NHKは、「罰則化」で楽をしようなどと考えてはならない。ここを譲ると、日本の公共放送は、国民の側にある軸足を、政権の側にうつすことになり、一歩も譲れないのだ。
NHK会長は、まず、この根本的な認識を、国民に理解できるように説明することが先ではないか。値引きの可否で言葉を濁している場合ではない。
ここは、はっきり、行政介入を拒否し、「罰則」などによらない、自主路線を貫くことを表明すべきだ。新聞も、ことの本質をしっかり追ってほしい。
その点、民放連会長は態度を明確に打ち出した。「関西テレビ除名」という非常手段で、行政介入を待つまでもなく、放送業界の自主的な解決を表明したとみるべきだろう。問題は、その方法であり実行力だ。新聞もしっかりフォローしてほいしい。
(桜木七郎)
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