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(回答先: 船場吉兆を家宅捜索 虚偽表示の疑いで大阪府警(朝日新聞) 投稿者 シジミ 日時 2007 年 11 月 16 日 20:50:21)
http://www.asahi.com/national/update/1116/OSK200711160073.html
2007年11月16日16時52分
「吉兆ブランド」に捜査のメスが入った。高級料亭「船場吉兆」(大阪市)をめぐる食品の表示偽装発覚から2週間余り。大阪府警は16日、異例の早さで強制捜査に乗り出した。偽装は現場の独断か、それとも会社ぐるみだったのか――。「吉兆さんだけは信じていたのに」。信頼を寄せてきた消費者らは、オフィス街の本店に次々と入る捜査員を落胆や怒りの表情で見守った。
「主人がすべてを仕切っていた店なのに。従業員や業者のせいなど、昔ならありえない話」。吉兆で板前修業していた男性(63)は古巣の「変質」に首をかしげた。
吉兆は、文化功労者となった故・湯木貞一氏が1930年に創業した。大阪・高麗橋の本店から船場、京都、東京などに店を増やしていった。
本店には長男、ほかの店は4人の娘に料理人の夫を迎え、多店舗展開を支えた。「船場吉兆」の前身にあたる船場の店は「ビル吉兆」と呼ばれ、三女と、婿で九州出身の正徳氏が切り盛りを任されていた。
「魚は明石、牛肉は近江牛、鶏は名古屋コーチン。仕入れは貞一さんが認めたところだけ」。魚は毎朝、高麗橋店から受け取っていた。20歳で船場の店に入った男性にも、貞一氏のカリスマ性が心に残った。
「うちの店は料理の世界の東大みたいなもん。誇りを持ちなさい」。貞一氏は若い板前に足をもませながら、料理人の心得を語り聞かせた。入り婿を意味する「新宅(しんたく)さん」と呼ばれていた正徳氏も、同席して静かにうなずいていた。
正徳氏は夜明け前から板前たちと青果市場に出かけ、仕事後は、売り上げ日報を自らの手で高麗橋店まで届けた。「とにかくよく働き、貞一さんに絶対服従していた」
90年代、各店は五つの会社組織になり、独自性を強めていった。
男性は、船場吉兆本店でも牛肉と鶏肉の産地、原材料偽装が発覚した9日の記者会見を見た。「福岡出店も、地元九州を思う正徳さんの意向が強く働いたのではないか。あの貞一さんから学んだ正徳さんが『従業員まかせ』『業者まかせ』ですませていたとは考えにくい。悲しいとしかいいようがない」
大阪市中央区の船場吉兆本店ビルには午前10時過ぎ、府警の捜査員約20人が従業員用の入り口から家宅捜索に入った。現場は繊維会社などの事務所が立ち並ぶオフィス街の一角。多くの報道陣で騒然とする中、近隣のビジネスマンらも仕事の手を止めて捜索を見守った。
会社員徳安文雄さん(63)は「高い料金をとるわ、偽装やわと、あんまりな話。どこまで偽装が広がっているのか、だれがうそをついているのか、府警は徹底的に解明してほしい」。近くに勤めていながら一度も利用したことがないという高級料亭に捜査員が入っていくのを複雑な思いで見つめた。
近くの繊維会社社長(65)も「大阪を代表する老舗(しにせ)料亭として信頼してきたのに、『まさか吉兆が』と裏切られた思いだ」と驚いた。別の繊維会社に勤める大阪市淀川区のパート藤本和子さん(72)は「『どうせ消費者には分からへん』と、たかをくくっていたのだろう。強制捜査は自業自得です」。
中央区の商業ビルにある心斎橋店では、この日昼過ぎに「誠に勝手ながら臨時休業させていただきます」との張り紙が入り口ドアに張られた。同店の川浦訓好マネジャーは「本店とは一切連絡がつかない。私の判断で休業を決めた。今後、どうすればいいのか」と困惑しながら話した。
福岡市の船場吉兆博多店(博多区)もこの日、通常営業を急きょ取りやめ、予約客限定の営業に変更。同市中央区の天神店は10日から休業している。
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