| 破局的危機が始まった 金融操作で隠すことができなくなった実体経済の矛盾/h2> 第二次大戦以後最大の金融危機 現在の危機は、一九二九年に始まった大恐慌以来、最も破滅的なものとなる可能性がある。それは第二次大戦以来見ることのなかったほどの深さを持つ短期的な金融危機であるとともに、文字通り、数十年に及ぶ債務が隠してきた実体経済における深刻で解決できない問題を明るみに出した。 根っこにある資本蓄積の弱体さと、銀行システムのメルトダウンの結び付きは、下降へのなだれ現象を政策決定者たちにとって手に負えないものにし、破局の可能性をきわめて重大なものにしている。抵当流れとなって見捨てられた家屋の大群が――多くの場合破壊され、銅線までふくめて丸裸に剥ぎとられてしまっている――は、とりわけデトロイトや中西部の都市に広がっている。 この危機が示す数十万の家族とコミュニティーの人的災害は、こうした資本主義の危機が示すものの、ほんの最初のシグナルに過ぎないのかも知れない。一九八〇年代、九〇年代、そして所得と富の人口の最富裕層一%への画期的な移転をともなった二〇〇〇年代における金融市場の歴史的な疾走は、先進資本主義国の実際上の長期的な弱化から、人々の注意を逸らすことになった。すべての実質的な標準指標――生産、投資、雇用、賃金の拡大――が示す米国、西欧、日本の経済的パフォーマンスは、一九七三年以後、十年ごとに、ビジネスサイクルごとに悪化していった。 二〇〇一年初頭に始まった現在の経済サイクルの各年度は、最悪のものだった。米国でのGDP(国内総生産)の成長は、一九四〇年代後半以後の比較対象となるどの期間よりもゆっくりしたものであり、新しい工場や設備の増大、雇用創出は戦後期の平均よりもそれぞれ三分の一、三分の二低かった。労働力の八〇%を占める製造業と非管理職労働者の実質時間賃金はほとんど変わらず、一九七九年のレベルに沈滞している。 西欧や日本でも、経済成長は顕著なものではなかった。先進資本主義諸国における経済的ダイナミズムの衰退は、利潤率の大きな下落に根ざしたものであり、それは一九六〇年代後半から七〇年代初頭にさかのぼる、世界的な製造業部門の長引く過剰能力の傾向に主要な原因がある。二〇〇〇年まで、米国、日本、ドイツでは、民間経済での利潤率は回復せず、一九九〇年代のサイクルは一九七〇年代に比べて利潤率は高くならなかった。 利潤率の低下の中で、企業は工場や設備を付加的に増設し、また拡大するためのインセンティブを得るほどの利潤を獲得しなかった。一九七〇年代以来の利潤率低下の持続は、先進資本主義国全体を通じて、GDPとの比率で見た投資の確実な衰退をもたらし、それとともに生産高、生産手段、雇用の段階的な低下をもたらした。 資本蓄積の長期にわたる低下、ならびに収益率を回復するための企業による賃金の抑制は、資本家の利潤を支えるための政府による社会支出の切り捨てとあいまって、投資の拡大、消費者と政府の需要、すなわち全体としての需要の拡大の鈍化に帰結した。究極的には利潤率の低下の結果である総需要の弱さは、先進資本主義経済の成長の壁を長期にわたって構成するものとなった。 総需要の持続的な弱さに対処するために、米国が主導する諸国政府は、いっそう多種多様でグロテスクな回路を通じて経済の運営を維持するために、さらに巨額の債務に裏書きする以外の選択を持たなかった。当初、一九七〇年代と八〇年代には、諸国家は成長を維持するためにさらに巨額の公的財政赤字に陥らざるをえなかった。しかし経済の相対的安定を維持する中で、こうした赤字はますます停滞性の増大としてはねかえった。この時代の議論の中では、政府は次第にその出したカネに見合う価値を失い、どれだけ借金を重ねてもGDPの成長は低くなるということになった。予算削減からバブル経済へ したがって一九九〇年代初頭、米国と欧州の双方において、ビル・クリントン(大統領)、ロバート・ルービン(財務長官)、アラン・グリーンスパン(連邦準備制度理事会議長)の主導下に政府は右傾化し、均衡予算に向かう試みを通じて経済停滞を克服しようともくろむ新自由主義的思考(民営化、社会予算の削減)に導かれることになった。しかしこの事実は、同時期のほとんどの事象の中に立ち現れたわけではなく、この劇的な転換は根本的に予期に反した結果をもたらした。 利潤が依然として回復できなかったのは、均衡予算を通じた赤字削減が総需要への巨大な打撃として結果したからである。一九九〇年代の前半、欧州も日本も戦後最悪の破局的な不況を経験し、したがって米国は停滞傾向に対処するためにより強力で危険な刺激策に頼らざるをえなかったのである。とりわけそれは、伝統的ケインズ主義による公共財政の赤字を、資産価格のケインズ主義、ないしは単純にバブル経済と呼ばれる民間部門の赤字と資産インフレに置き換えることになった。 一九九〇年代の株式市場の価格高騰の中で、企業と富裕な不動産所有者は、彼らの名目上の富が大幅に増加したのを見ることになった。したがって彼らは、記録破りの借入拡大と、それに基づいた投資と消費の大幅な拡大に乗り出した。いわゆる「ニュー・エコノミー」好況は、一九九五年から二〇〇〇年の歴史的な純価格バブルの直接的な表現だった。 しかし、利潤率の低下を無視した純価格の高騰のために、また産業の過剰生産能力を激化させる新投資のために、二〇〇〇〜二〇〇一年の株式市場の崩壊と不況がそれに続いて起こり、非金融部門の利潤率は一九八〇年以来最低のレベルにまで落ち込んだ。 くじけることなきグリーンスパンと連邦準備制度は、他の大規模中央銀行に支援されて、資産価格インフレのもう一つのラウンドを開始することで新たな下降周期に立ち向かった。そしてこれこそ、本質的に今日の現実をもたらしたのである。短期の実質金利を三年間にわたってゼロにまで削減することにより、彼らは歴史的に前例のない住宅購入借入の爆発を促進し、住宅価格と住宅資産価値の急上昇を助長したのである。 「エコノミスト」誌によれば、二〇〇〇年から二〇〇五年にいたる世界的な住宅バブルは、これまでのいずれの時代よりも大規模であり、一九二九年(大恐慌の年)をも上回った。それは消費支出と住宅投資の着実な上昇を可能にし、ともに経済成長に拍車をかけることになった。現在のビジネスサイクルの最初の五年間において、個人消費と住宅建設の合計は、米国のGDP成長の九〇〜一〇〇%になるとされている。「ムーディー・エコノミー・ドット・コム」によれば、同期間における住宅部門だけでGDPの成長に五〇%以上の貢献を果たした。住宅部門の拡大がなければGDPの成長率は二・三%ではなく一・六%だった、とされる。 かくして記録的な住宅負債は、ジョージ・W・ブッシュのレーガン的な赤字予算と並んで、経済回復がその根本において、現実にはいかに弱体なものであるかをあいまいにすることに成功した。 負債に支えられた消費需要の拡大は、より全般的な超安価の信用供与とならんで、アメリカ経済の息を吹きかえらせただけではなく、とりわけ新たな輸入の殺到と現在の収支赤字(金利支払い収支と貿易収支)を記録的なレベルに押し上げることによって、目を見張るグローバル経済の成長として現れているものを力づける結果となったのである。暴力的な企業攻勢と長時間労働 しかし消費者が自らの役割を果たしたのに比べて、記録的な経済刺激策にもかかわらず民間ビジネスは自らの役割を果たしたとは言えない。グリーンスパンと連邦準備制度は住宅バブルを煽って、企業に対して過剰資本を処理し、投資を再開するための時間を与えた。 しかし、企業の側は彼らの利潤率を回復させることを重視して、労働者に対する荒々しい攻撃にうって出た。企業は最新の工場や設備への投資を増大させるよりも、雇用を大幅に削減し、いまだ規律の緩やかな従業員たちを駆り立てることで生産性を成長させた。企業は一人当たりの生産高をいっそう絞り上げて高めることによって賃金を抑え込み、非金融部門において前例のないほどの企業への収益配分の拡大を実現した。 この経済成長の期間、非金融部門の企業は利潤を大幅に上昇させたが、すでに利潤率が減少していた一九九〇年代のレベルにも復帰していない。さらに、利潤率上昇のレベルの観点からすると、それは労働者にもっと長時間働かせ、時間給を削減するという単なる搾取率の上昇によってなされているのであって、そうしたことがどれだけ長続きするのか疑問を投げかける理由がある。しかしとりわけ、雇用創出・投資・賃金の抑制による利潤率の改善によって、米国企業は総需要の拡大を抑制し、したがって自らの拡大へのインセンティブを堀り崩してきたのである。 同時に企業は、利潤を上げるために投資、生産性、雇用を増大させるのではなく、金融操作という方法によって自らと株主の立場を改善するために、超低価格の借入を利用して債務清算、配当金支払い、自らの資産価値を高めるための自社株の購入、とりわけ企業買収・合併(M&A)の巨大な波を進めてきた。米国では、この四、五年間、保留収益の配分としての配当と株式の再購入が、戦後期の最高のレベルにまで爆発的に拡大した。同様のことが、欧州、日本、韓国など世界経済全体で起こっている。バブルの破裂を救った住宅景気 最終結果は次のようなものだ。われわれは二〇〇〇年以来、米国ならびに先進資本主義国において、第二次世界大戦以後最も低い実体経済の成長と、米国史上最大の金融経済ないしペーパー経済の拡大を目撃してきた。こんなことが続くはずがないと言うためには、マルクス主義者である必要はない。 もちろん一九九〇年代の株式市場のバブルが結果として破裂したのと同様に、住宅バブルも結果として破裂した。その結果、われわれがこの周期的な上昇・下降の中で見てきた住宅景気が押し上げた映画のフィルムは、いまや逆戻しになっている。現在、住宅価格は二〇〇五年のピークからすでに五%下降したが、これは始まりにすぎない。調査会社のムーディーの評価によれば、住宅バブルが完全に収縮する二〇〇九年初頭までに、住宅価格は名目で二〇%――実質価格ではもっと――下落するとされている。それは戦後アメリカの歴史でこれまで最大の下落である。 経済を前方に駆り立てた住宅バブルの積極的な資産効果と同様に、住宅破綻の否定的影響は経済を後方に駆り立てている。住宅価値の低下によって、家計はもはやその住宅をATM機械のように扱うことはできず、家族の借入は破綻し、したがって家計消費は低下する。根本にある危険とは、家族はもはや上昇する住宅価格を通じて想像上の「貯蓄」を行うことはできない、ということだ。 米国の家族は、現在は歴史上最低のレベルにある個人貯蓄率を引き上げ、消費を引き下げて、突然実際に貯蓄を開始するだろう。企業は、住宅バブルの終焉が消費者の購買力にどのような影響をもたらすかを理解して、雇用を切り下げる。その結果、雇用の拡大は二〇〇七年の初頭から大きく下落している。 すでに二〇〇七年の第2四半期における住宅危機の逼迫と雇用の減少のために、二〇〇五年と二〇〇六年に年率約四・四%上昇した住宅への実質キャッシュフローは、ほぼゼロになってしまった。つまり、家計の可処分所得に、家計の純引き出し額、消費者クレジット借入、資本収益の実現を加えれば、家計が実質的に支出しなければならない金額は拡大を停止したことがわかる。昨年夏の金融危機が起こった以前に、成長は行き詰まっていたのである。 もちろんこの経済の下降をきわめて複雑なものにし、きわめて危険にしたのは、住宅バブルの直接的拡大として生起したサブプライムローン破綻である。無節操なまでに拡大した抵当設定貸金、大規模な住宅抵当流れ処分、サブプライム抵当によって支えられた証券市場の破綻、こうした証券を直接大量に保持していた大銀行の危機と結び付いたメカニズムは、別々に分けて論議する必要がある。 銀行の損失が現実的で、すでに巨額なものとなり、経済の下降がさらに悪化するにつれてその損失がさらに拡大しているので、結論的に次のように言うことができる。経済は、まさに不況局面への転落という時期に信用が凍結するという、戦後期に前例がなかったような予測に直面しており、政府はこうした結果が起こらないようにするのを妨げる、並ぶもののないほどの困難に直面しているのである、と。(ロバート・ブレンナーは米「アゲンスト・ザ・カレント」誌の編集部員で『グローバルな混乱の経済学』の著者。この文章は、アメリカのラディカル社会主義派の政治組織「ソリダリティー」の隔月刊機関誌「アゲンスト・ザ・カレント(流れに抗して)」07年12月・08年1月号より)
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