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【オルタナティブ通信】
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2008年01月07日
通貨発行権を国が独占する誤り
聖書の中に記されているイエス・キリストの物語りを要約すると以下のようになる。
イエスは病気やケガで苦しむ人が居ると出かけて行き治療を行い、治療により再び働き「社会参加出来る」ように治してやり、また、ケンカやトラブルがあると出かけて行き仲裁し、「人間同士の社会的コミュニケーション」が円滑に行くように、社会の潤滑油の役割を果たしていた。
またイエスは、時の権力者と富裕層を厳しく非難した。
一部の人間達に富が集中する事により貧困が生まれ、衣食住を奪われ、社会の中から完全に排除されるホームレスのような存在が生まれ、貧困が原因で村の祭等に参加出来ない文字通り「社会からの排除」が起こるためである。
こうした行為・発言からイエスは皆から尊敬を受けていたが、それが権力者の地位を脅かすものとして迫害の原因となり、最終的にイエスは、時の権力者により十字架にかけられ、無実の罪で処刑される。
処刑の際には、皆がイエスを見殺しにし、裏切る。
誰もイエスを助けようとはせず、事実上、皆でイエスを死に追い込み、リンチにかけた事と同じ結果になる。
皆は、無実の罪のイエスを殺害した事を内心恐れ、いつか天罰が下るのではないかと恐怖する。
そこに、死んだはずのイエスが生き返り、復活する。
皆は、復活したイエスが恨みによる過酷な報復を行うのではないかと恐怖する。
イエスは言う「あなた達は皆、無実のイエスをリンチにかけ殺害した罪人です。
今後は私の言う事を聞き、謙虚に誠実に生き、決してトラブルを起こさず、全ての人間と仲良くし、隣人を愛しなさい」。
リンチ殺人により殺害され復活したイエスは、絶対的な「権力者」として姿を現し、人間の傲慢さ等のエゴイズムを全て否定し、社会のトラブルを全て事前に抑止する「社会の潤滑油としての役割」を、絶対的権力者として「完成」させる。
ここに見られる、「ある日、辺境の地から姿を現した無名の人間が、卓越した能力を発揮し、時の権力者を脅かし、一度は権力者により排除され、死に、辺境の地を旅し、実力を付け、復活し、再び戦いを挑み、勝利し、絶対的な権力者の地位に就く」という「物語り」の構造は、様々な古典民話、また政治世界の権力交代劇に共通する基本構造である。
この基本構造により、人間は「新しい権力者」の登場を「受け入れる」という、固定的な思考パターンに「囚われて」いる。人間は、この思考パターンの囚人である。
物語りとは、人間扱いされず「モノ扱い」された人間が、その事への怒りを語り=モノ語り、その怒りの言葉の下に「モノ扱い」された人間達が集まり、「モノ扱い」した権力者を打倒する革命エネルギーを流し込み、作動させるための電子回路であり、電子部品の組み合わせの替わりに、言葉が組み合されている物である。
物語り=文章とは、権力打倒のエネルギーを正常に起動させるための、言葉の、電子部品の集積回路である。
この「権力交代」にまつわる聖書の物語りは、あらゆる所でリピートされている。
州知事選挙で敗北し、敗北の劣等感からアルコール中毒になり政界から姿を消した男=死んだ男が、復活し、実力を付け大統領となったブッシュ大統領のケース。
無惨な敗北を喫したK1のボクサーが、東南アジアの辺境の小さな村でトレーニング・修行を重ね、また「ドサ回りの賭けボクシング」で実力を付け=荒野をさ迷い、1度は「表舞台のボクシングの世界では死に」、後に実力を付け、再びK1にチャレンジし世界タイトルを狙うケース。
選挙で自民党に対し敗北を続ける民主党の小沢一郎が、政治から見捨てられた地方の寒村を延々と回り遊説し、「見捨てられ、死んだ地方の恨みを全て吸い尽くし」、辺境の地をさ迷い、再び中央政界に姿を現し復活し、参議院選挙で自民党を打倒する。
排除・抹殺・死→復活→中央への攻め登り→権力の打倒→新しい権力者として就任。
これが人類の行動、政治を支配している思考パターンである。
この権力発生・交代メカニズムを「定式化」した権力の設計図が聖書であり、聖書が読み継がれて来た理由はそこにある。
聖書は、政治権力を生み出し、民衆を「支配するための技術マニュアル」である。
紙幣は、ただの紙キレである。
しかし、紙幣をメモ用紙として使い、また鼻をかんだり等に使用する人間は居ない。
アルミニウムの1円硬貨を溶かし、アルミニウム製の鍋を製造すると犯罪になる。
通貨は、紙という物質の「質の使用」面では、完全に抹殺され、死んでいる。
紙幣は質として抹殺され、死ぬ事により、あらゆる商品を購入出来る商品社会の「神」として復活し、「金さえあれば何でも買える」という絶対的権力者として姿を現し、商品社会の商品交換=コミュニケーション過程の円滑化を実現する潤滑油の役割を担う。
通貨は、聖書のイエス・キリストと同一の構造を担っている。
木製の机を構造分析し、その構造を図面に写し・コピーし、その図面=構造分析を基に、金属を使用し金属製の机を製造する。同一の図面=構造分析を基に、材木と言う材料を金属という材料に「入れ替える」。
ローマ帝国の支配原理であったキリスト教の「権力維持メカニズム」を構造分析し、図面=聖書に写し・コピーする。イエス・キリスト=材木と言う材料を、紙幣=金属という材料に置き換える。それが現在の市場主義経済である。
現代世界を支配する多国籍銀行が、テンプル騎士団という宗教組織の姿を変えた物である理由は、ここにある。
会社で仕事のミスを犯し、上司に怒鳴られ、「お前は人間のクズだ、死んでしまえ、会社をクビにする」とサラリーマンは脅迫される。
企業人として存在を否定され、人格を否定され、クビ=抹殺の恐怖と脅迫を味わう。
サラリーマンは反省し、「俺は人間のクズだ」と心理的に辺境の地をさ迷う。
そのようにしてサラリーマンは毎日、給与を得ている。
辺境の地をさ迷い、給与を得たサラリーマンはデパート、レストランという商品市場社会の「中央舞台」に復活し、姿を現す。
「人間のクズ」と言われたサラリーマンが、デパートでは「お客様は神様」として復活し、店員は、奴隷が王様に土下座し、神に対するように頭を深く下げ、敬い、感謝し、礼拝する。
商品の選択もラッピングも命令通り、サラリーマンは神のように独裁者のように振る舞う事が出来る。
かつて教会で、キリストが十字架で殺害され復活したドラマを説教として神父から聞き、死と再生=復活の権力発生のメカニズム=秘技を聞き、震撼していた「敬虔な信者」達は、現在では会社で上司に怒鳴られ、ストレス解消にデパートで散財し、ショッピングする消費者に姿を変えた。
囚われている「思考パターン」は、同一である。材木が金属に変わっただけである。
キリスト教教会は、ローマ帝国=政治権力者と結び付き、聖書の解釈の仕方を独占し(知の独占)、聖書の権力発生のメカニズムを民衆に説き明かしながら、イエス・キリストの使者=ローマ皇帝という情報操作により、民衆の貧困への不満=辺境の地の恨みを、皇帝打倒という革命に展開させず、「皇帝への現状改善のお願い」に押さえ込む、不満鎮圧装置として機能して来た。
それは、聖書解釈=権力発生の秘技を教会が独占する事により可能となった。
現代では、国家が通貨発行権を独占する事が、この機能を果たしている。通貨発行権は、基本的人権の一部として、市民1人1人が所有している。この通貨発行権を、政府と国家が市民から「略奪」している。
この事実を明確に指摘しないアメリカ中央銀行FRB批判は無意味である。
FRBをモルガン銀行等、ロックフェラー、ロスチャイルドが支配し、そこがイルミナティ?の拠点になっている等という初歩的な議論に止まり、通貨が経済的な交換・蓄積手段であり、それをイルミナティ?が独占しているという小学生レベルの議論に終始し、通貨が聖書の構造的転用物であり、その権力発生・維持メカニズムが全ての人間の思考を囚人にしている点を問題化しない議論は、児戯に属する。