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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu159.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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原油1バレル=100ドル時代に突入、アメリカの公式データが示す、
世界の「原油」生産量は2005年5月が「オイルピーク」だった。
2008年1月4日 金曜日
◆NY原油、反落=一時最高値更新 1月4日 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080104-00000016-jij-int
【ニューヨーク3日時事】3日のニューヨーク商業取引所(NYMEX)の原油先物相場は、引き続き買い意欲が旺盛な中、米国産標準油種WTIの中心限月2月物が電子取引で一時1バレル=100.09ドルと、前日に続いて100ドル台に乗せ、史上最高値を更新した。ただ、米国の石油製品在庫の増加で需給逼迫(ひっぱく)懸念がやや薄れたことなどから、その後は反落し、前日終値比0.44ドル安の99.18ドルで引けた。
◆NHKテレビ番組「地球特派員」を見て:温暖化は「浪費の結果」なのだが 1月3日 脱石油文明
http://oilpeak.exblog.jp/
正月、NHKの「地球特派員」なる番組を見た。今日本を代表する「評論家」寺島実郎氏の仕切る、著名人が数人出演した温暖化を論ずる番組だったが、また失望した。
いつものアメリカではなく、ドイツ、ヨーロッパ一辺倒なのである。そして水素、燃料電池を、二酸化炭素を出さない、など。どうして日本はいつもこうなのか?自分で考えないのか、冷徹な科学的合理性を欠くのである。
自然エネルギーについても、エネルギー収支比、EPR(energy profit ratio)の視点がない。水素は何かの一次エネルギーから作る必要があるとも思わないようだ。これでは無邪気すぎる。
いつもの「わかったつもり」のエネルギー、経済、環境論だが、脱石油文明の視点を欠くのである。温暖化の脅威は繰り返すが、日本にとって、より現実的な石油ピークの脅威については全く語らない、語れない知らないというべきか。
アメリカ、中国での環境ビジネス論も突込みがたりない。これもエントロピーの法則がわかっていないからであろう。
NHKは国民の公器、もっと本気で考えてほしい。画一的で、均一な視点では脱石油時代の激動についていけない。時折は家庭教師を変えることである、論理の多様性のためには意識して変えないと、日本中が金太郎飴のようになってしまう。
◆更なる激動の世界、そして翻弄の予感、2008年の日本 12月28日 脱石油文明
http://oilpeak.exblog.jp/
燃料高騰に始まり、食料、生活物資が次々と値上がりした。投機資金の投入など様々と説明されるが、「石油ピーク」がその原点にあるとは報道されない。温暖化の危機は強調されるが、これが石油ピークと表裏の関係にあるとは説明されない、とても不思議なことです。
対策は同じ「脱浪費、無駄をしない」、そして「もったいない」です。冷徹な科学的合理性を育て、論理の多様性を求める2008年としたい。
「わかったつもり」は無知に劣る、聞く耳が無い、日本の95%がそうです。残り5%が真に志のある、理念のある方、そして白紙の方々、素直な聞く耳をお持ちである。木も森も見ない今の日本、「偽」が今年の言葉とは、さびしい限りです。木を見る人も自分の木を売り込むのに懸命、我田引水は政産官学の全てに蔓延しています。困ったことです。
宇宙太陽発電、海洋温度差、水素社会、メタンハイドレート、いずれも石油の代わりとはならない、だが税は投入される、しようとする日本のわかったつもりの人々。地球規模で人類の生存基盤が崩壊しつつあるのに、未だに石油ピークも理解しない。水資源が大事という人も、エネルギーのことは何とかなると思っている。部分しか見ないのである。日本は幸い水に恵まれている、だがエネルギーは皆無といってもよい。だからと言って原子力も無限ではない、ウラン資源も有限、高レベル廃棄物問題は未だ目途も立たない、世界中で。
温暖化の対策も省エネルギー技術、排出権、二酸化炭素の地下貯蔵、海中になどと繰り返すが、「脱浪費」とは言わない。ロシアなどに排出権取引で国民の税を投入してはいけない。環境対策技術も木しか見ない論議ばかり。人類史は文明が崩壊するとき、リーダは当てにならないと教える、そして今、石油文明が崩壊しつつある。森も木も見ない日本、2008年はどうなるのか、もう手遅れの日本か。
ノアの箱舟は如何であろうか。志のある人々が、日本の自然と生きる、地域コミュニティーは。
◆OPEC石油増産見送り:当たり前である、そこで日本はどうする? 12月6日 脱石油文明
http://oilpeak.exblog.jp/
石油輸出国機構が5日、石油増産せずに2725万バーレル/日に据え置くと決めた。当たり前である。石油収入は原油高でそれなりに潤っている。しかも生産余力はもうない、2005年5月が「原油」生産はピークだった、アメリカの公的なデータがそう語っている。
いまOPEC域内では人口は増え、石油消費は増大している。石油以外に何もないこれらの国々が、これ以上埋蔵量を減らしてまで先進工業国に協力する義理、必要などはない。これも「当たり前」、むしろ未来世代のために少しでも残しておくの筋であろう。
「お爺さんはラクダに乗っていた、親父は高級車に、今は自家用ジェット機に乗る、だがその子はまたラクダに」とならないように、識者は考え始めたのか。私が彼の地のリーダだったら増産などしない。
原油高騰は投機マネーによる、も疑いの余地はない。今後も乱高下しつつ更に高値となろう。ペットボトルの水より安いガソリンがむしろ異常なのである。
サブプライムローンもある、加えて日本の超低金利マネーが世界を巡る。これに庶民の受けるべき金利をゼロにして資金供給する日銀の政策も、と思うが僻目であろうか。
このような大規模なマネー供給が原油価格を翻弄する、これも当たり前。市場至上主義はそれを認めなければならないのでは、自由放任がその根本原理だから。
しかし新聞もテレビが語らない重大なことがある、それは「石油ピーク」だ、OPECにはもう生産余力などない。
世界で最も脆弱でリスク感覚欠落の暢気日本への忠告、また繰り返す、「脱浪費、無駄をしない」ことである。
これは温暖化対策についても同様、たとえば2050年に50%減にも「もったいない」をスローガンとしたいもの、排出権取引、二酸化炭素の海洋、あるいは地中投棄、バイオ燃料などの技術論ではなく。石油文明の黄昏である、小ざかしい「わかったつもり」の小手先の議論では駄目なのである。真に冷徹な科学の論理で国益を守る必要がある。
(私のコメント)
今日の東証の大発会は616円安の大暴落で引けましたが、今年も波乱の年となるようだ。新聞やテレビは毎日大量のニュースを報道しますが解説する事はあまりない。評論家やコメンテーターはいても専門家ではないから十分な解説は無理なようだ。ならばテレビに専門家を出して解説させればいいと思うのですが、テレビに専門家が出る機会はあまりない。
昨日の日記で紹介した「カーボンチャンス」に出ていたゲストも皆エネルギー問題の専門家ではない。テレビは番組の主旨に則った発言をするゲストしか出させないのだ。もし専門家が出て地球温暖化よりも排出権取引よりもオイルピークの問題のほうが重要だと発言したら番組が台無しだからだ。視聴者はこのような番組を毎日見ていれば誤った判断を持ってしまう。
排出権取引でわれわれの税金が無駄に使われることは阻止しなければならないが、マスコミは一方的な報道しかしない。マスコミが煽って政治家が動いて排出権取引がすでに取引されている。COP13でもアメリカや日本が悪者にされていると「カーボンチャンス」では言っていたがEUの言っていることが正論なのだろうか?
ドイツで進めている風力発電も太陽電池も水素自動車も、いずれも石油の代わりになるものではない。それらの様々な装置を作るにも多くの石油が使われている。水素自動車も作られているが水素の製造も水素を供給するインフラも目処は立っていない。
3日には石油はとうとう1バレル=100ドルを越えましたが、投機資金が入っているから乱高下はあっても石油の値段は確実に上がって行く。「脱石油文明」でも言っているように、アメリカの公式データにおいても2005年5月がオイルピークであったようだ。「株式日記」でもサウジアラビアのガワール油田の事を何度か書きましたが、サウジアラビアももはや増産余力はないらしい。
我々がしなければならないことは石油が限りなく高騰して行く状況を踏まえて対策を至急に練ることですが、もっぱら地球温暖化ばかり繰り返し焦点が当たっている。中国のエネルギー効率の悪さはよく知られていますが、石油をがぶ飲みして世界中の石油を買いあさっている。
「株式日記」ではアメリカの衰退論を書いて来ましたが、オイルピークが来た以上は脱石油文明について考えるべきなのですが、石油に代わるものはまだ見つかってはいないのだ。アメリカ人も自動車を捨てた文明を築くつもりはないようだ。しかし「脱石油文明」に書かれているようにペットボトルに入った水よりもガソリンの方が高いのは明らかにおかしい。
マスコミはなぜオイルピークの問題について報道しないのだろうか? 「カーボンチャンス」もタイムリーな問題なのですが、ピンとはずれな議論は日本のインテリジェンスに問題があるのだろうか? 石油に代わるものがない以上はいかに石油を大切に使う事が最重要課題であり、ポストマイカー時代を考えるべきなのだ。地方の人はいまだに道路を作れといっているが、むしろ地方の特質を生かしてエネルギー自立を考えた方が地方の活性化になると思う。その意味ではドイツの試みは参考になる。