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イラン問題で自滅するアメリカ
2007年12月12日 田中 宇
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アメリカ政府が12月3日に発表したイランに関する諜報評価報告書(国家情報評価、National Intelligence Estimate、NIE)は、イランの核開発をめぐる問題を「終わり」にしてしまう破壊力を持っている。
ブッシュ政権は従来「イランは核兵器を開発している」と主張し「核兵器など開発していない。開発しているのは発電用の原子力技術だ」とするイラン側の言い分をウソと決めつけ、イランが核開発を止めない場合、空爆も辞さずという姿勢を採ってきた。国連の原子力機関(IAEA)は「イランの原子力開発が核兵器だと考えられる証拠は何もない」とする調査報告書を何回も発表し、イランの言い分が正しいことを裏づけてきたが、無視され続けた。(関連記事)
しかしブッシュ政権が今回、米政府の16の諜報機関の総意として発表した諜報報告書では「イランは2003年秋に核兵器の開発を中止している。その後は核兵器開発は再開していないようだ」という、従来の姿勢を180度転換する分析内容になっている。(関連記事)
前回イランに関するNIEが公表されたのは2005年だが、その時は「イランは核兵器開発を続行中で、核兵器保有まで進むつもりだろう」という内容になっていた。今回のNIEが示すところは「前回のNIEも、NIEの結論に基づいて決められたブッシュ政権の強硬な対イラン戦略も、すべて間違っており、実は、よく見るとイランは悪いことをしていなかったみたいです」というものだ。(関連記事)
兵器開発など、他国が隠している秘密に関する調査は、確実な結論を出せないことが多い。「イランは核兵器を開発している」「していない」といったNIEの結論は「事実」「確定したこと」ではない。公開情報の分析、人工衛星写真の解析、通信傍受、スパイによる調査などを行い、複数の諜報機関の分析者が推測をすりあわせ「大体こんなところだろう」という総意的な結論を出しているだけである。結論は推量であり、推量の確度や自信の高さはいろいろだと今回のNIEにも書いてある。推量なのだから、05年のNIEで「イランは核兵器開発しているように見える」という結論だったのが、07年に「核開発していないように見える」に変わることはあり得る。
しかし同時にNIEは、米政府の高官がアメリカの安全保障戦略を決める際に使う資料であり、NIEの結論は「事実」と同様の使われ方をする。イランの核兵器開発がアメリカにとって脅威なら、イランが核兵器開発していることが100%確定的でなくても、アメリカは何らかの対策を採る必要がある。この場合、イランが核兵器開発しているかどうかという判断の確度が今回のように変化する(つまり国民や野党から非難される材料を作ってしまう)ことがあり得るし、アメリカがどの程度イランの核開発の現状を把握しているかイラン側に知られない方が良いので、NIEの内容、それに基づくアメリカ政府の判断、対策の中身などは、機密指定して非公開にしておけるようになっている。米政府は、議会の諜報委員会担当の議員だけに現状を説明したりする。
ブッシュ政権はこれまで「イランは核兵器を開発している」と断定し、制裁や威嚇を繰り返してきた。もし最近になって「実はイランは核兵器を開発していないようだ」とわかったのなら、その新しい判断をNIEとして公表せずに機密にしておき、うまく立ち回って国際的・国内的な信用を失墜せずに、事態を元のさやにおさめることもできた。しかし、ブッシュ政権は馬鹿正直にNIEを発表し、国際的な信用の失墜と、イランとの駆け引きを欧米側に不利にする事態を招いた。
▼問題はイランではなくアメリカの「殿様のご乱心」
「イランが核兵器を開発している」というアメリカの主張は、この件が国際的な大問題になり出した当初(2003年ごろ)から、事実性の低い話であることが、あちこちで指摘されていた。IAEA(国際原子力機関)はこの間、何度も「イランが核兵器を開発していると考えられる明確な根拠は何もない」という結論の報告書を発表している。私も昨年の記事以来、イランは核兵器を開発していないと分析してきた。
イランは核兵器を開発していない可能性の方が高いということは、英独仏などのEUや、中露なども知っていたはずだ。しかしEUやロシアは「アメリカの諜報は間違っている。イランは核兵器を開発していない可能性の方が高い」と明言しなかった。それをやるとブッシュ政権は、国連や国際社会に背を向けた上で、単独でイランに戦争を仕掛ける恐れがあったからだ。ブッシュ政権は以前、国際社会が止めるのも聞かず、開戦事由もいい加減なまま、イラク侵攻を単独で挙行することを決断し、仕方がないのでイギリスなどが、イラクへの侵攻とその後の泥沼の占領につき合った経緯がある。
EUではイギリスが主導し、ブッシュ政権にまともな戦略を採らせることは困難と考え、むしろイランに圧力をかけ、イランが「平和的な原子力開発だ」と言っているウラン濃縮を止めさせて、アメリカのイラン非難の前提を消すことで問題を解決した方が早いと考え、イランと「P5+1」(国連常任理事国5カ国+ドイツ)との外交交渉を開始した。IAEAが「イランは核兵器を開発していないようだ」という報告書をいくら出してもEUなどから無視されたのは、問題がイランではなくブッシュの「殿様のご乱心」の方にあったからだ。イランのアハマディネジャド大統領は、反米的な態度をとるほど国内や中東地域での人気が上がり、政権を強化できるので、強硬姿勢を崩さず、イランの方を譲歩させるイギリス主導の作戦は失敗した。
ロシアやアラブ諸国、中国などは、当初はアメリカの単独イラン侵攻を恐れ、イランの方を譲歩させるEUの戦略に同調していた。だが、今年に入ってアメリカがイラク占領を成功できないまま軍事的な疲弊を強め、同時に米政府内で国防総省の制服組(軍幹部)などがイラン侵攻に反対する声を強めたのを見て、ロシアやアラブ諸国は、アメリカはイランに侵攻しないだろうと考える傾向を強めた。ロシアやアラブ諸国は、イラン敵視を少しずつ緩和し、イランに接近し始めた。
▼イスラエルの転換でイランが許される方向に
今夏以来、アメリカにイラン侵攻を挙行させたがっていたイスラエルが、戦争ではなく和平によって自国の生き残りを目指す戦略に転換したことも、イランが攻撃される可能性を低下させた。1970年代から米政界に強い影響力を持つイスラエルは、1980年代のレバノン戦争や、1991年の湾岸戦争、2003年のイラク侵攻など、アメリカに戦争させて中東における自国の優位を保持する戦略を採ってきた。
だが近年、イラクの泥沼化とともに、イスラム世界全域でイスラエルへの憎悪が拡大し、イスラエルを有利にするはずだったイラク戦争はイスラエルを不利にした。今後アメリカがイラクから敗退したら、その後のイスラエルは、アメリカの後ろ盾なしに、周辺地域のイスラム過激派勢力であるヒズボラやハマスと泥沼の戦争に巻き込まれ、中東諸国はイスラエルの滅亡を歓迎する事態になりかねない。
そのため、イスラエルは今夏以降、戦争よりも国際社会による制裁でイランを封じ込める戦略に転換し、イラン傘下のイスラム過激派の台頭を嫌うサウジアラビアやエジプトなど穏健派のアラブ諸国と和解・連携してイランに対抗することにした。イスラエルは、中東諸国が結集する軸を「反イスラエル」から「反イラン」に変えようとした。アラブ側は、イスラエルと和解する条件としてパレスチナ問題の解決を求め、夏から秋にかけて、11月末のアナポリス会議に至るパレスチナ和平交渉が展開された。
ブッシュ政権は、口では「イラン侵攻も辞さず」と言い続けたが、イスラエルの求めに従って、実際の戦略の軸足をしだいに侵攻から遠ざけた。EUと連携し、中露を説得してイランを制裁する政策を強化した。
しかし同時に、アメリカがイラン侵攻しないとなれば、EUやロシア、アラブ諸国にとっては、そもそもイランにウラン濃縮作業を止めさせる必要もなくなる。EUは主導役のイギリスの目標が、英米中心の世界体制(国際社会)の維持なので、欧米が協調してイランにウラン濃縮を止めさせる戦略は、英米中心体制の維持のために望ましかったが、そんな事情のないロシアやアラブ諸国は、イランを非難・威嚇することをやめるようになった。
▼イラン悪者扱いの演技を捨てる露中やアラブ
イランが許された最初の明確な表れは10月中旬、カスピ海沿岸諸国会議のためにイランを訪問したロシアのプーチン大統領が「イランが核兵器を開発していると言える根拠は何もない」「イランは大国である」などと発言したことだった。この表明はプーチンの、欧米につき合ってイランを悪者扱いする演技からの脱却宣言だった。(関連記事)
またペルシャ湾岸のアラブ諸国(GCC)も、米政府がNIEを発表したのと同じ日に開いたGCCサミットに、イランのアハマディネジャド大統領を招待し、湾岸アラブ諸国とイランとの関係強化で合意した。(関連記事)
今回発表されたNIEで、イランが核兵器を開発していないことをアメリカが認めたことは、ロシアやアラブ諸国、中国などにとっては、イランとの関係を強化するに際しての足かせが消え、イランとの関係を自由に強化できる状況を作り出した。NIEの発表直後、中国は、政府系の石油会社(中国石油化工)がイランで大規模な油田を開発する話をまとめた。エジプトは、イスラム革命以後断絶していたイランとの国交を正常化する動きを強めている。(関連記事その1、その2)
これと対照的に、イギリスを中心とするEUと、イスラエルは、アメリカにはしごを外される形になっている。EUの中でもイギリスにとっては、NIEに同調して「やっぱりイランは核兵器を開発していませんでした」と言ってしまうことは、イギリスが特に敵視するロシアを強化するとともに、中東での英米の覇権を衰えさせてしまうので、NIEの内容を容認することができない。そのため、イギリスはNIEを無視する態度を採っている。今年就任したサルコジ大統領が米英中心主義にすり寄る戦略を採ったフランスも、同様にNIEを無視している。
しかしEUの中でもドイツは、以前からイランとの経済関係が深く、最近、米英イスラエルから「イランとの経済関係を切れ」と迫られて困っていた。ドイツは今後、イランとの関係を回復していく方向を、目立たない形で模索するだろう。イラン問題をめぐりEUでは、ドイツと英仏との分裂が予測される。フランスも昨今は国力が弱まって「風見鶏」になっているから、米英が弱くなったと見れば、独露に尻尾を振るだろう。国際社会における欧州の弱体化と、ロシアや中国の台頭が加速されそうだ。(関連記事)
▼深読みされるNIEの意図
今回のNIEで、アメリカはイランに侵攻する口実を自ら放棄したので、もう対イラン戦争はないだろう、というのが大方の予測である。イスラエルの中道系新聞ハアレツ紙は「中身が正確かどうかにかかわらず、NIEの発表によって、アメリカもしくはイスラエルがイランを軍事攻撃するという選択肢は、永久に失われた」とする分析記事を載せている。(関連記事)
アメリカはイラン侵攻の口実を失っただけでなく、国際社会にイランを制裁させる口実も失ったのだから、アメリカに残されている方法はイランと直接交渉することだけだという分析も、多く出ている。最近中国を訪問したブレジンスキー(米民主党の戦略家)などは「アメリカは中国と戦略対話を強め、北朝鮮の核問題を解決したノウハウを米中で共有し、イラン核問題を解決する交渉のために生かせ」とまで言い出している。事態は、ニクソン訪中(1972年)直前のような雰囲気である。(関連記事その1、その2、その3)
強硬派だったはずのネオコンの中からも、ロバート・ケーガンが最近の論文で「ブッシュはイランと交渉すべきだ。イランに手伝ってもらってイラク占領を成功させれば、アメリカは中東での覇権を維持できる」という主旨の主張を展開している。(関連記事)
しかしNIEは、アメリカがイランと交渉することをも難しくした。アメリカがイランとの交渉を成功させようと思ったら「イランは核兵器開発している」という濡れ衣的な主張を掲げたまま交渉に入り「許してやるからイラク占領に協力しろ」と言った方が良い。アメリカは交渉する前に「今までのイラン非難は間違っていました」と弱みを見せてしまった。これは、これから交渉して成功しようと思っている人々がすることではない。
アメリカの言論界では「NIEは、イラン侵攻に反対する国防総省の制服組や国務省、CIAなどの現実派が、好戦派のチェイニー副大統領らにイラン侵攻させないようにするために書いたものだ」という「現実派の反乱説」もある。しかし実際には、チェイニーはNIE発表の数日後「報告書の内容を疑う理由はない」「あれはよく書けている」と述べ、NIEの結論を支持している。NIEは、ブッシュとチェイニーが了承しない限り発表されなかった。(関連記事その1、その2)
逆に、アメリカの言論界では「NIEは、EUが進めていたイランとの外交交渉を壊すためのもので、チェイニー副大統領ら好戦派が、外交を壊して戦争に持っていくためにNIEを発表させたのだ」という分析もある。しかし、もし今後アメリカがイラン侵攻するとしたら、それはNIEによって侵攻の口実や国際社会の支持を自ら失った上での侵攻であり、非常に自滅的な行為である。(関連記事)
▼多極化戦略の一環
ブッシュ政権は、なぜ今回のタイミングでNIEを発表したのか。私の答えは「世界多極化戦略の一環として」である。アメリカの世界戦略は、イギリスとイスラエルによって牛耳られ、米英イスラエル中心主義の形をとっている。アメリカは2回の大戦の期間に、覇権をイギリスから譲渡されたが、それ以後イギリスはアメリカの覇権運営をイギリスの国益に沿った形にするよう、折に触れて隠然とした影響力を米政界に行使してきた。最近ではブレア前首相の対米外交が良い例である(失敗例であるが)。1970年代からは、イスラエルがイギリスのやり方を真似て、もっとえげつなく米政界に食い込んだ。
これに対するブッシュ政権の政策は「言いなりになったふりをして、言われた方向性の戦略をやりすぎて自滅的に失敗し、逆に英イスラエルを振り落とす」というものだ。米政界中枢の人々は、いったんアメリカを自滅させ、その過程で英イスラエルによる牛耳りを振りほどき、英イスラエルがアメリカを牛耳れないような状態(滅亡や衰退、分裂)にした上で、改めてアメリカを蘇生させるという、10年以上かかる大戦略を進めている最中ではないかと私は考えている。アメリカを自滅させて世界を再編する手法は、ニクソンのドル破壊と米中関係の好転、レーガンの財政破壊と冷戦終結などにも共通する、米共和党の伝統的なお家芸である。
イラク侵攻は、イスラエルの言いなりになってイラクを侵攻した後、占領を自滅的に失敗させ、中東での反イスラエル感情を拡大させ、反米反イスラエルの旗手としてのイランを台頭させた。これに対してイスラエルは、アメリカがイランに侵攻するように仕向け、アメリカは言われるままにイランに核兵器開発の濡れ衣を着せ、敵視を強めた。
だが、イラク占領の泥沼で軍事的な余力が失われたアメリカは、もはやイランに侵攻する余裕がなく、イスラエルがけしかけたイラン侵攻計画は破綻し、米側(チェイニー)は「イスラエルが先にイランを侵攻するなら米軍がついていけるかも」といった、イスラエルを自滅させようとする言動をとった。
そして、イスラエルがイランを軍事的に潰すことをあきらめ、外交での包囲網形成に切り替えた後、アメリカはこれに協力するふりをして11月末のアナポリス会議を開催し、会議を何の成果も挙げられないものとすることで、イスラエルをさらに不利にした。ブッシュ政権には外交を頼れないことを知ったイスラエルは、次はロシアやEU(仏サルコジ)に仲裁役を頼むことにしているが、その矢先にアメリカはNIEを発表し、イランを無罪放免状態にして強化した。イラン封じ込めは不可能になった。
アナポリス会議の失敗は、パレスチナで親米親イスラエルの傀儡指導者として機能していたファタハのアッバース大統領の人気を急落させている。サウジアラビアとエジプトは最近、アッバースに「君はもう終わりだから、反米反イスラエルのハマスに合流して、パレスチナ統一政権を作りなさい」と求め、ハマスとファタハを合体させ、両者間での内戦を回避しようとしている。(関連記事)
これが成功した場合、パレスチナは反米反イスラエルの側に統合され、イスラエルと和平交渉する主体が消える。イスラエルはまた一歩消滅に近づく。サウジやエジプトは、すでにアメリカを無視して動いている。アメリカはイスラエルの言いなりだから、アメリカが強いままなら、親米のサウジやエジプトがハマスを応援することはあり得ない。(関連記事)
金融の世界ではドルの信用不安が広がっているが、ドルの失墜もアメリカの覇権の崩壊であり、軍事的、政治的な崩壊と重なって、アメリカが米英イスラエル中心主義を振り捨てていったん覇権をリセットする方向へと事態を動かしている。アメリカの覇権がリセットされた後の世界は、ロシアや中国、EU、統合された中東などが並び立つ多極的な世界へと再編され、世界経済は冷戦型の地政学的な束縛から解放され、アメリカは極の一つとして復活し、反米的だった諸国と改めて友好関係を結び直すというのが、アメリカの中枢で目論まれているシナリオではないかと私は推測している。
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