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(回答先: アジア開発銀行(ADB)・・・ 「現代版シルクロード」計画 【日経ネット】 投稿者 hou 日時 2007 年 10 月 21 日 23:27:15)
この構想こそ、本当の基軸戦略にあたるものだ。とおもうが・・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E7%B8%A6%E8%B2%AB%E9%89%84%E9%81%93
中央アジア横断鉄道
この「大東亜縦貫鉄道」計画に先立つこと1938年2月、鉄道省の湯本昇鉄道監察官が「中央アジア横断鉄道計画」というものを発表していた。
それは、かつて「シルクロード」と呼ばれた中央アジアの地域に鉄道を敷設し、日本領であった朝鮮からトルコに至るまでの、シベリア鉄道に次ぐユーラシアの大陸横断鉄道を目指すというものであった。
計画の背景には、シベリア鉄道はソビエト連邦のものであったため、アジアからヨーロッパへ行く最速ルートであった(この当時、航空機はまだ普及していなかった)にもかかわらず、輸送が政情等に左右されて不安定になりがちだったことから、独自でそれの代替ルートを実現させたらどうかという発案、それにソ連の軍事・思想的脅威(日本の仮想敵国とされていた)に対する抵抗があった。湯本の提案以前にも、南満州鉄道総裁の山本条太郎などがこの鉄道の敷設案を出している。
湯本は、かつてイスラム教徒(ムスリム)の活動によって栄えた中央アジアの区域が、欧米列強の進出によって衰退し、現在に至っても新しい文化産業が起こらない根本的な原因は、交通機関の未発達によると述べ、この鉄道の必要性を訴えた。「旅」の1939年10月号に掲載された湯本の論文によれば、当時東京〜パリ間がシベリア鉄道経由で15日かかるところ、この新鉄道では高性能機関車を用いて10日間で走破できると延べ、さらに周辺各国における振興の面からも重要であり、「欧亜連絡最短鉄道」・「世界唯一の平和鉄道」であるとしている。
ルートは、当時中国における鉄道の西端であった包頭・西安を起点とし、甘粛省の甘州、新疆省の哈密にクチャ、カシュガル、そして天山山脈南路のパミール高原を横切ってアフガニスタンに出て、ワハン、首都カブールを経由、イランの首都テヘランを経て、イラクの首都バグダッドに至り、ここでイスタンブール方面から続いているバグダード鉄道に接続するとしていた。
建設の総距離は7500km、予算は12億円で充分とし、さらにパミール高原以外には建設の難所はないとして、「絶対につくらなければならない鉄道」とも断言していた。
しかし、湯本の発案は論文が出された時から「荒唐無稽」であるとの声が強く、「夢を食っている男」、「『獏』と名前を変えたらどうか」などと冷笑された。その後、1942年に帝国鉄道協会がこの計画に賛同し、中央亜細亜横断鉄道調査部を協会内に設置しているが、前述した日本の実力から実現に至ることはなかった。
2006年現在でも、アフガニスタンには鉄道が開通していないなど、この計画で果たされていない区間は多い。
大東亜縦貫鉄道の検討ルート
1942年に作成された報告書である「大東亜縦貫鉄道に就て」では、以下のような路線建設を構想として上げていた。
第1縦貫鉄道群(東京〜昭南島間)
東京 - 下関 - 釜山 - 奉天(現:瀋陽) - 天津 - 北京 - 漢口 - 衡州 - 桂林 - 柳州 - 南寧 - 鎮南関 - ソムクック - タケク - クンパワピー - 盤谷(現:バンコク) - パダンベーサー - 昭南島(現:シンガポール)
天津から南京を経由する、1の別線
長崎より航路で上海に出て、1に合流するもの
第2縦貫鉄道群(1縦貫鉄道の支線)
盤谷 - バンボン - タンビサヤ - ラングーン(現:ヤンゴン) - キャンジン - チッタゴン ・・・・一部は、軍用の泰緬鉄道として完成した
長沙 - 常徳 - 昆明 - ラシオ - マンダレー - チッタゴン
第3縦貫鉄道群(日本の同盟国であるドイツとの連絡)
東京 - 下関 - 釜山 - 奉天 - ハルビン - 満州里 - イルクーツク - モスクワ - ベルリン(シベリア鉄道活用)
東京 - (神戸ないしは門司) - 天津 - 張家口 - 包頭 - 粛州 - 安西 - ハミ - カシュガル - カブール - バグダッド - イスタンブール - ベルリン(前述した、中央アジア横断鉄道計画の具体化)
東京 - (長崎) - 上海 - 昆明 - ラングーン - カルカッタ(現:コルカタ) - ペシャワール - カブール - バグダッド - イスタンブール - ベルリン