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クルーグマン「ケインズ『一般理論』解説」翻訳(YAMAGATA Hiroo OfficialJapanesePage)
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投稿者 そのまんま西 日時 2007 年 10 月 04 日 00:54:31: sypgvaaYz82Hc
 

クルーグマン「ケインズ『一般理論』解説」翻訳(2006/3/24)
(YAMAGATA Hiroo OfficialJapanesePage)

ジョン・メイナード・ケインズ『雇用、利子、お金の一般理論』解説
Intro to Keynes General Theory (2006)

Paul Krugman
山形浩生 訳

要約: 「一般理論」のすごさは、それが有効需要の問題をきちんとうちだして、セイの法則(供給は需要を作る)と古典金利理論を打倒したことだ。それは経済の見方を完全に変え、ケインズ批判者も含めていまや万人がケインズの枠組みで経済を考えている。
今見ると冗長に思える部分も、ケインズが当時の古典経済学の常識を破壊した結果としてそう見えるだけだ。そして金融理論の過小評価というありがちな批判は、当時の(いまの日本と同じく)超低金利環境の反映であり、理論の中では重要性も指摘されている。真に画期的な名著。必読。

目次
1.はじめに
2.ケインズのメッセージ
3.ケインズはなぜ成功したか
4.ケインズ氏と現代の経済学者たち
5.ケインズの見落としたもの
6.なぜケインズはまちがえたの?
7.救世主としての経済学者

Note: なくても特に支障はありませんが、Mozilla/Firefox/NS7 な方たちはこのプラグインを使うとルビがルビとして表示されるようになり、IE と張り合えます。

はじめに

  2005 年春、とある「保守系学者や政策指導者」の委員会が、19 世紀と 20 世紀の最危険書籍を挙げてほしいと依頼された。この委員会の指向については、チャールズ・ダーウィンとベティ・フリーダンが上位入選を果たしたのを見れば見当がつくと思う (note: ダーウィンはhonorable mentions に見事入選)。でも、『雇用、利子、お金の一般理論』もなかなか善戦した。それどころか、ジョン・メイナード・ケインズはレーニンやフランツ・ファノンをぶっちぎったくらいだ。ケインズは、この本のよく引用される結論部分で、「時期の遅い早いはあるにしても、善にとっても悪にとっても危険なのは既存利害ではなく、アイデアなのだ」と述べたような人だから、このベスト10 に選ばれてさぞ喜んだことだろう。

 「一般理論」なんて聞いたこともないという人や、それに自分が反対していると思っている人ですら、過去 70 年にわたり「一般理論」にものの考え方を決められてしまっている。自信の喪失が経済にとって危険だと警告する企業家は、自覚があろうとなかろうとケインジアンだ。減税して人々のポケットに使えるお金を残して職を作りますよ、と公約する政治家は、ケインズ思想なんて虫酸が走ると言うかもしれないけれど、でもケインジアンなんだ。サプライサイド経済学者を自称する人たちは、ケインズを論破したと主張するけれど、その人たちでさえなぜある年に経済が停滞したかを説明するときには、まごうかたなきケインジアンの説明に頼っている。

 この解説では、『一般理論』をめぐる五つの問題をとりあげよう。まずはこの本のメッセージだ――これは本そのものを読めばはっきりわかるはずなんだが、でも自分の恐怖や希望をケインズに投影したがる人たちがそれをぼかしてしまっている。第二に、ケインズがどうやって成し遂げたか:かれは経済学の異端の説を世界に納得させたわけだけれど、他の人たちは失敗したのにケインズだけなぜ成功したのか? 第三は、『一般理論』のなかで現在のマクロ経済学に残っている分はどのくらいあるか、ということ。いまやみんなケインジアンなのか、それともケインズの遺物なんかとっくに乗り越えてしまったのか、あるいは一部の人が言うように、ケインズの遺産をぼくたちは裏切っているのだろうか? 第四はケインズが何を見落としたか、そしてなぜ見落としたか。最後に、ケインズがどのように経済学を変え、そして世界を変えたかについて述べよう。

ケインズのメッセージ

 過去二世紀の最も危険な本の一冊として『一般理論』を名指した「保守系学者や政策指導者」たちは、たぶんこの本を読んでないと思ってまちがいなかろう。どうせ左翼文書に決まってて、大きな政府と高い税金を主張しているはずだと確信しているのもまちがいない。右の人々、そして一部は左の人々まで、『一般理論』については当初からそう主張してきたんだ。

 それどころか、アメリカの教室へのケインズ経済学上陸は、学問マッカーシズムのいやな例のおかげで遅れてしまった。ケインズの思想を初めて紹介した入門教科書は、カナダの経済学者ローリー・ターシスによるものだったんだけれど、これが大学の理事会を狙った右翼の圧力キャンペーンの標的にされてしまった。このキャンペーンのおかげで、この教科書を講義で使おうとしていた多くの大学は注文をキャンセルし、本の売り上げも最初はとても好調だったのに、激減した。イェール大学の教授たちは実にえらくて、この本を教科書として使い続けた。そのご褒美として、若きウィリアム・F・バックリーに「邪悪な思想」を唱えていると攻撃される羽目になったんだけれど*1。

 でもケインズは社会主義者なんかじゃなかった――かれは資本主義を救うためにやってきたのであって、それを葬り去るためじゃなかった。そしてある意味で『一般理論』は、それが書かれた時代背景を考えれば、保守的な本だとも言える(当のケインズも、自分の理論がある面では「ちょっと保守的な含意を持つ」[24 章 13 段落目]と述べている)。ケインズが執筆していたのは、すさまじい失業、つまりとんでもない規模の無駄と苦悶に満ちた時期だった。まともな人なら、資本主義は破産した、巨大な制度変更――たとえば生産手段国有化とか――でないと経済の正気を回復できないと結論しても不思議はない。そして、多くのまともな人は、実際にそう結論づけた。市場や私有財産にことさら恨みのなかった英米知識人の多くが社会主義者になったのは、単に資本主義のすさまじい失敗を治す方法が他に思いつかなかったからなんだよ。

 でもケインズは、こうした失敗は驚くほどつまらない小手先の原因からくるんだと論じた。世界が不況に突入しつつある 1930 年に「これはマグネトー(オルタネータ)の問題である」とケインズは書いている*2。そして、大量失業の原因がつまらない小手先のことだと見たケインズは、問題の解決方法もつまらない小手先のことだと論じた。経済システムは新しいオルタネータが必要ではあるけれど、でも車を丸ごと取り替える必要はない。特に「社会のほとんどの経済生活を包含するような国による社会主義システムを採用すべきまともな理由はまったく挙がっていない」」[24 章 13 段落目]。ケインズの同時代人たちの多くは、政府が経済全体を牛耳れと主張していたのに、ケインズはずっと介入度合いの少ない政府政策だけで十分な有効需要を確保できるし、そうすれば市場経済は昔通りに続いていけるよ、と論じていたんだ。

 それでも、自由市場原理主義者たちがケインズを嫌うのも、確かに一理はある。もし自由市場を放っておきさえすれば可能な限り最高の世界を作り上げ、政府が経済に介入するといつも事態は悪化するのだというのを信条にしている人なら、ケインズを敵視するだろう。しかもケインズはことさら危険な敵だ。だってその発想は経験的に、実に徹底的に裏付けられてきたからだ。

 『一般理論』の結論は、要するにこんな箇条書きでまとめられるだろう:

経済は、全体としての需要不足に苦しむことがあり得るし、また実際に苦しんでいる。それは非自発的な失業につながる。

経済が需要不足を自動的になおす傾向というのは、そんなものがそもそも存在するにしても、実にのろくて痛みを伴う形でしか機能しない。

これに対して、需要を増やすための政府の政策は、失業をすばやく減らせる。

ときには お金の供給 (マネーサプライ) を増やすだけでは民間部門に支出を増やすよう納得してもらえない。だから政府支出がその穴を埋めるために登場しなきゃいけない。

 現在の経済政策担当者にしてみれば、この中のどれ一つとして――ただしひょっとすると最後はちがうかも――驚くほどの話じゃないし、さして議論の余地がある話とすら思わないだろう。でもこうした発想をケインズが提唱したときには、それは過激というにとどまらず、むしろほとんど考えも及ばないような代物だった。そして『一般理論』の偉大な成果は、まさにそれを考えの及ぶものにしたことだった。

ケインズはなぜ成功したか

 ぼくが『一般理論』を初めて読んだのは学生の頃だった。そして同世代の経済学者はほとんどみんなそうだと思うけれど、その後数十年にわたって開くことはなかった。現代の学問としての経済学は、新しいものが幅をきかせる分野だ。あるテーマについて最初の論文がまだ正式に刊行されないうちに、ものすごい数の関連文献が登場し、華開き、そして衰退することもしばしばだ。最初に出たのが 70 年も前の代物を読んで時間を潰したいやつなんかいるもんかね?

 でも『一般理論』は未だに読む価値があるし、再読する価値がある。それは経済学についての教えのためだけじゃない。経済思想の進歩について語ってくれるものも重要なのだ。経済学の学生時代には、ぼくはケインズの機知のひらめきや華やかな物言いは楽しんだけれど、でも手法に関する入念な議論は理解に苦労したか、あるいはあっさり読み飛ばしていた。数百本の論文をものした中年経済学者、そして新しい経済理論を生み出すときの「(既存理論から) 脱出する闘い」に関してそれなりの経験を積んだ人間となったぼくは、『一般理論』をまったくちがった見方で読んだ――そして畏怖をおぼえた。かつては退屈に思えた部分は、経済学を考え直そうとするすさまじい努力の一部だったのだということが、いまではわかる。その努力が実ったことは、ケインズの過激な革新の実に多くがいまや当たり前にしか見えないということが物語っている。『一般理論』を真に享受するには、そこに到達するためにケインズがどんな苦労をしたか理解する必要がある。

 『一般理論』の読み方を説明するとき、それがすばらしい前菜ではじまり、すてきなデザートで終わる食事のようなものだと言うと理解してもらいやすいようだ。でも、その食事のメインコースはいささか固い肉だ。読者としては、本の食べやすい部分だけ食べて、真ん中の議論はすっとばしたくなるだろう。でもそのメインコースこそがこの本の真価だ。

 別に楽しいところを飛ばせというんじゃない。ひたすら面白いから是非とも読んで欲しいし、ケインズが何を実現したかという整理にもなる。それどころか、このぼく自身、本の固い部分に手をつける前に、そのおいしい部分についてまずは一言述べてみようか。

 第 I 巻はケインズのマニフェストで、いかにも学問調だし数式すらいくつか入っているけれど、でもわくわくする文章となっている。ケインズは、経済学の専門家たるあなたに対し――というのも『一般理論』は何よりも、知識豊かな経済学業界人向けに書かれているんだから――雇用についてあなたが知っていると思っていたことをすべて反駁するぞと予告している。ほんの数ページでケインズは、賃金と雇用に関する伝統的な見方は基本的な合成の誤謬によるものだということを、説得力ある形で示す。「賃金交渉が実質賃金を決めると想定することで、古典学派は不適切な想定にすべりこんでしまっている」[2 章 22 段落目]。ここからかれは即座に、当時の現実を見れば、賃金カットで完全雇用が実現されるという伝統的な見方はまったく筋が通らないことを示す。そしてさらのほんの数ページで、ケインズは自分の理論をそれなりに展開し、当時世界を襲っていた大恐慌が、解決可能なばかりか、簡単に解決できるという驚異的な結論をかいま見させるのに成功している。

 すさまじい大立ち回りだ。でも、第 I 巻だけで終えて、その後のずっと濃密な章と格闘しない現代の読者は、ケインズの大胆不敵ぶりは感じ取れても、その大胆不敵さの権利がどうやって勝ち取られたかということは理解できずに終わってしまう。

 反対側の端にある第 VI 巻は、まさにデザートコースみたいなものだ。いまやマクロ経済学として知られるものを創り出すという難行を終えたケインズは、足を投げ出してちょっとお遊びに走る。特に『一般理論』の最後の二章は、おもしろいアイデア満載だけれど、いたずらっ子的な雰囲気を持っている。ケインズは、保護主義に対する自由貿易の有名な勝利は、まちがった想定に基づいていたんじゃないかと論じる――重商主義者たちにも一理あったんだ、と。もはや金貸しは社会的な機能を果たしていないので「金利生活者の消滅」 [24 章 9 段落目] は近いかもしれないと語る。かれは本気でこんなことを信じていたのか、それとも同僚たちの鼻をあかしてからかうのが楽しかっただけだろうか? たぶん両方だだろう。

 繰り返すけれど、第 VI 巻は実に楽しい読み物だ。とはいえ第 I 巻よりは時代と共に劣化した部分が大きいのだけれど。でも、同じ注意が当てはまる。重商主義の美徳だの、金貸しの必要性がなくなりつつあるだのというケインズの考察は是非とも読んでみよう。でもそういう考察の権利をもたらしたのは、第 II 巻から第 V 巻のむずかしい部分だということはお忘れなく。

 さてそれじゃあ本の核心について話そう。そしてケインズがそれを書くのにどんな苦労をしたかということも。

 経済主流派への挑戦なんてものは、一山いくらの世界。伝統的な経済知識をひっくり返すと称する新刊には、最低でも月に一冊は受け取る。こうした本の著者の大半は、まともな挑戦ができるほどいまの経済理論を理解していない。

 一方のケインズは、当時の経済理論に深く精通していて、その理論体系が持つ力を理解していた。序文でかれはこう書いている。「わたし自身、ここで自分が攻撃しようとするまさにその理論を揺るぎなく信じていたし、その長所についても知らないわけではないと思う」。人々の考えを変えるためには、目下の正統理論に対して一貫性のある慎重に理由づけた挑戦をしなくてはならないということをケインズは理解していた。第 I 巻で、自分のやろうとしていることについて最初に味見をさせようとするにあたり、かれはマルサスの話をする。マルサスは直感的に、総需要の不足があり得るということを理解していたが、その直感を裏付けるだけのモデルを持っていなかった。「マルサスは(一般的に観察される事実への訴えを除けば)有効需要がなぜどのように不足したり過剰になったりするかを、明確に説明できなかった。だから代替となる理論体系を提供できなかった。そしてリカードが、スペインを席巻した異端審問のように、イギリスを完膚無きまでに制圧したのであった」 [3章 16 段落]

 「代替となる理論体系」を提供する必要性というのを考えれば、70 年たった現在から見ると『一般理論』ですっきりしなかったり、くだくだしかったりする部分の多くは説明できる。特に第 II 巻が説明できるだろう。これは現代の読者のほとんどが飛ばす部分だ。ケインズの大きな思想とは大して関係なさそうな 単位の選び方なんてものになぜ丸ごと一章も割いたりするんだろう? なぜ収入、貯蓄、投資の意味を定義するのに、さらに二章も費やすわけ? それは 1980 年頃に「新貿易理論」なるものを開発したぼくたちが、製品差別化や独占的競争の細部にやたらにページを割いたのと同じ理由からだ。そうした細部は、新理論の根本的な発想とはあまり関係なかった。でも、そういう細部は発想を明瞭に説明して他人の伝えられる、正式なモデルを構築するのに不可欠だった。長く確立された正統理論に挑戦するなら、細部を厳密にしておかないとビジョンだけじゃ効かないのだ。

 ケインズは目下の正統教義の力についてよく理解していて、だからこそその書きぶりは計算ずくでゆっくりしたものとなっている。「本書の執筆は、この著者にとっては脱出のための長い闘いであった。そしてそれを読むのもそうならざるを得ない」とケインズは序文で書いている。ケインズは一歩一歩、経済学者たちを導いて、大恐慌を扱えなくしていた知的な制約からかれらを解放しようとした。その制約は、ケインズが「古典経済学」と読んだものが作り出したのだった。

 ケインズの古典経済学との闘いは、今日ぼくたちが簡単に想像するよりずっと困難なものだった。現代の経済学入門教科書――クルーグマン&ウェルズによる新刊を含む――は、ふつうは価格水準の「古典モデル」なるものについての議論を含んでいる。でもこのモデルは、ケインズが脱出しなければならなかった古典経済学を、あまりによい絵を描きすぎている。ぼくたちが今日古典モデルと呼んでいるのは、実際にはケインズ以前の見方を合理化しようとしたポスト・ケインズ的な試みだ。いまの通称古典モデルの前提を一つ、つまり賃金の完全な柔軟性だけ変えてやれば、あのモデルは『一般理論』に戻ってしまう。ケインズが対決しようとしていたのがその程度のものなら、『一般理論』なんか楽に書けただろう。

 ケインズの描く本当の古典モデルは、もっとずっと扱いづらい代物だった。それは要するに物々交換経済のモデルで、お金や名目価格は意味がなく、価格の金融理論はテーブルの天板に乗せたベニヤ板みたいに本質的でない形で後付けされていた。それはセイの法則があてはまる世界だ。収入は使われるしかないから、供給は自動的に自分の需要をつくりだす。そしてそれは利子が純粋に資金の需給で決まる世界で、お金や金融政策は何の役割も持ち得ない世界だった。すでに述べたように、それはいまのぼくたちが常識だと思っている発想が、文字通り考えも及ばないものとなった世界なんだ。

 ケインズの対決した古典経済学が、最近の通称古典モデルだったなら、『一般理論』第 V 巻「賃金と価格」を書く必要はなかっただろう。この巻では、ケインズは賃金が下がれば雇用が増えるという甘い信念と対決している。この信念はケインズの執筆時点では経済学者の間で力を持っていたけれど、いま「古典経済学」と呼ばれているものではまったく使われていない。

 だから『一般理論』の重要な革新というのは、現代のマクロ経済学者が考えがちなのとはちがって、名目賃金が変わりにくい(下方硬直的だ)ということじゃない。第 IV 巻「投資をうながす」におけるセイの法則と古典金利理論の破壊こそが革新だった。ケインズがセイの法則から逃れるのがどんなに難しかったかという目安として、今日に至るまで一部の人々はケインズが気がついたことを否定しようとする、という点が指摘できる――その「法則」なるものは、個人がほんものの財やサービスを買うかわりにお金をためこむという選択肢がある場合には、よく言っても役たたずの同義反復でしかない、というのがケインズの気がついたことだった。ケインズの業績をはかるもう一つの尺度は、マクロ経済学の教科書を書こうとした人でないと、なかなか理解できないかもしれない。金利というのは、融資の供給が需要と等しくなる値段なのに、なぜ中央銀行は お金の供給 (マネーサプライ) を増やすことで金利を引き下げられるのか、生徒に説明するにはどうすればいいだろう。これは答えを知っていても説明しにくい。ケインズがそもそも正しい答えを出すのは、その何倍もむずかしかっただろうということはすぐに想像がつく。

 でもケインズが脱出しなければならなかったのは、古典モデルだけじゃなかった。当時の景気循環理論からも身をふりほどかなければならなかったんだ

 もちろん、きちんと展開された不況と回復の理論は当時は存在していなかった。でも『一般理論』を、ほぼ同時期に書かれたゴットフリート・ハーバラーの『繁栄と不況』*3 と比べてみるとなかなか示唆的だ。これは国際連盟がお金を出した試みで、当時の経済学者がこの問題について持っていた見解を体系化して統合しようというものだった。現代の視点から見てハーバラーの本でびっくりするのは、かれが間違った問題に答えようとしていることだ。ケインズ以前のほとんどのマクロ経済理論家と同様に、ハーバラーは経済の動学を説明するのが肝心だと思っていた。つまり、そもそも大量失業がなぜあり得るのかを説明するよりも、なぜ好景気に続いて景気下降がやってくるのかを説明するのが大事だと思っていたわけだ。そしてハーバラーの本は、当時の景気循環理論書のほとんどと同様に、景気下降の仕組みよりも好景気時の過剰のほうに注意が向いている。ケインズも『一般理論』の22 章で景気循環の原因について考察しているけれど、それはかれの議論にとってはおまけでしかなかった。ケインズはむしろ、自分の仕事は経済がなぜときに完全雇用よりずっと低い水準で機能するのか、というのを説明することだと見ていた。つまり、『一般理論』はおおむね動的モデル (動学) ではなく静的モデル (静学) を提供している――つまり不況に陥って出られない経済は描くけれど、どうして不況になったのかというお話は提供しない。だからケインズは実際には、当時景気循環について書いていたほどんどの人よりも限定された問題に答える道を選んだ。

 ここでも、『一般理論』を最初に読んだときにはこのケインズの戦略的な決断の重要性は理解できなかった。でも、第 II 巻の大部分は問題を制限するためのマニフェストなのだということが、いまやぼくにはよくわかる。ケインズ以前の景気循環理論は、不均衡についての複雑で混乱したお話を語っていたけれど、第 5 章 は完全雇用以下の経済というものが、短期的な売り上げに関する期待がたまたま実現されてしまった一種の均衡状態にあるんだ、という論点を主張している。第 6 章と第 7 章は、ケインズ以前のビジネスサイクル理論に頻出した、強制貯蓄だの過剰貯蓄だのといった話――これは混乱した形で経済における不均衡という発想を述べていたものだ――をぜんぶやめて、貯蓄は投資に等しいという単純な会計上の恒等式 (アイデンティティ)で置き換えようと主張している。

 そしてケインズが問題を限定したことは、強力に人々を解放してくれることになった。景気循環の動学を説明しようとして身動きとれなくなるよりも――この問題は未だに論争の種となっているのだ――ケインズは答えの出る問題に専念した。そしてそれこそまさに、答えをもっとも必要としている問題でもあった:つまり、総需要が低いというのを前提にした場合――なぜ低いかはどうでもいい――どうすればもっと雇用を作れるだろうか?

 ついでにこの単純化のおまけとして、景気循環が道徳劇だという魅惑的ながら絶対にまちがった発想から、ケインズもぼくたちも解放された。経済停滞は、経済繁栄の過剰に対する必然的な罰なのだという発想は根強い。経済がそもそもどうやって停滞するに至ったかではなく、どうやって停滞にとどまるかを分析することで、ケインズは経済の苦悶に何か懲罰的なものがあるという発想を葬り去った。

 つまり『一般理論』は、知識の豊かな規律あるラディカリズムの成果なんだ。それはケインズの知的な敵対者も含め、万人の経済に対する見方を一変させた。でもこれは議論の種となりやすい問題を引き起こす:ぼくたちはいまや、みんなケインジアンなんだろうか?

ケインズ氏と現代の経済学者たち

 現代のマクロ経済学者たちに広く普及した印象として、もうケインズは良くも悪くも過去のものだ、というものがある。でもこの印象は、『一般理論』の誤読か未読に基づくものでしかない、とぼくは論じる。未読者たちからはじめよう。これは『一般理論』を最初に読んでから二度目に読むまでの数十年間のぼく自身をも含む集団だ。

 ケインズそのものを読まず、各種の解釈者による脚色を経たものを読んだだけなら、『一般理論』が実際よりずっと粗雑な本だと思うのも無理はないだろう。ケインズが狂信的な社会主義者じゃなかったのを知っている経済学の専門家でさえ、『一般理論』というのは赤字支出が必要だと訴えるマニフェストが大部分で、金融政策を矮小化していると思っている人は多い。もし本当にそうなら、『一般理論』はえらく古びた本になっていただろう。最近では経済の安定はもっぱら中央銀行のテクノクラートの仕事で、かれらは お金の供給 (マネーサプライ) を通じて金利を上げ下げする。雇用創出のために公共事業を利用することは、通常は必要ないものと思われている。雑な言い方だが、ケインズが金融政策を軽視していたと思うなら、お金が重要なんだと言うことを示したミルトン・フリードマンがある意味でケインズを論破したか乗り越えたかしたと思ってしまっても仕方ないだろう。

 『一般理論』が金融政策を正当に扱わなかったという印象は、ジョン・ヒックスのおかげで強化されてしまったかもしれない。ヒックスが 1937 年に発表したレビュー論文「ケインズ氏と古典派たち」は、近年では当の『一般理論』そのものよりも経済学者たちには読まれているだろう。この論文でヒックスは『一般理論』を二つの曲線を使って説明した。税金や支出の変化で移動する IS 曲線と、 お金の供給 (マネーサプライ) によって移動する LM 曲線だ。そしてヒックスがにおわせているところでは、ケインズ経済学は LM 曲線が平らで お金の供給 (マネーサプライ) が金利に影響しないときにしか当てはまらず、古典マクロ経済学は LM 曲線が右肩上がりのときに当てはまるという話のように見える。

 でもヒックスのこの整理は、古典派にはあまりに甘すぎたし、ケインズには不親切だった。ケインズが脱出しなければならなかったマクロ経済教義が、今日言われる「古典モデル」よりずっと粗雑で混乱したものだった点はすでに説明した。同じく『一般理論』は金融政策を否定もしないし無視もしていない。ケインズはかなりの紙幅を割いて、お金の量が金利に影響して、金利を通じてお金の量が総需要にも影響するということを論じている。実は金融政策の働きに関する現代理論は、実質的に『一般理論』で述べられているものと同じだ。

 でも、 お金の供給 (マネーサプライ) を増やすだけで完全雇用が回復されるかどうか、『一般理論』は全体を通して懐疑的だというのは確かだ。これは別にケインズが金融政策の潜在的な役割について無知だったからじゃない。それはケインズなりの経験則に基づく判断だった。『一般理論』が書かれたのは、金利がすでにきわめて低くて、 お金の供給 (マネーサプライ) を増やしたところで下がる余地はほとんどないところにある時代だったからだ。

 図 1 を見て欲しい。これは 3 ヶ月もののアメリカ国債金利を 1920 年から 2002 年までたどったものだ。ぼくの世代の経済学者が知的年齢に達したのは、1970 年代から 1980 年代のことで、金利は常に 5 パーセント以上、時には二桁に達していた。こういう条件では、金融政策の有効性を疑問視する理由はなかったし、中央銀行が金利を下げて需要を増やすことができないなんて心配する理由ものなかった。でも図が示すように、『一般理論』が書かれたのはまったくちがった金融環境でのことで、そこでは利率はかなり長期にわたってゼロに近かったんだ。


 現代のマクロ経済学者は、こうした環境で金融政策がどうなるかについて、机上であれこれ論じる必要はないし、経済史の深みに入り込む必要さえない。驚くほど最近の事例を検討すればすむからだ。本稿を書いている時点では、日本経済がやっと持続的な回復を達成したかもしれないという希望が生まれているけれど、1990 年代初期から少なくとも 2004 年まで、日本は 1930 年代の英米経済とほぼ同じ状況にあった。短期金利はゼロに近く、長期金利も歴史的な低さで、それなのに民間投資は経済をデフレから引っ張り出すのに不十分なままだ。この環境では、金融政策はケインズが描いた通り役に立たなかった。日本銀行が お金の供給 (マネーサプライ) を増やそうとしても、それはすでに十分な銀行のリザーブと一般の現金保有を増やしただけで、ちっとも経済の刺激にはならなかった(1990 年代末の日本のジョークでは、消費者たちが買っているのは金庫だけだったとか)。そして日本銀行が無能だとなると、日本政府が大規模な公共事業を発注して需要を押し上げた。

 ケインズは、金融政策の有効性に関する自分の疑念が条件次第のものであって、一般原則の表明でないとはっきり述べている。昔は状況がちがった、とケインズは考えていた。「ほとんど 150 年にわたり、主要金融センターにおいて長期に続いた平均的な金利は 5% 程度だったという証拠があり、国債利率も 3-3.5% だった。そしてこうした金利は、我慢できないほどの低さではない雇用水準を平均で保つだけの投資率を促すに足る程度には低かった」 [307-308]。この環境では「賃金単位で見て適正な お金の供給 (マネーサプライ) を保証するだけで、10 年、20 年、30 年にわたり、平均して我慢できるだけの失業水準が実現できたのだった」[309] とケインズは考えていた。つまり、昔は金融政策は機能した――でも今やもうダメ、ということだ。

 さて、確かにケインズは、1930 年代の条件がいつまでも続くと信じていた――それどころか、資本の限界効率はひたすら下がり続けて、金利生活者の消滅も間近いと考えていた。それは確かにまちがっていた。あとでなぜかれが間違えたかを話そう。

 でもその話をする前に、べつの見方の話をしよう。この見方は、現代のマクロ経済学がケインズに負う物は少ないという点は合意する。でも、ケインズを超えたと論じるかわりに、この見方ではケインズは誤解されていると論じる。つまり一部の経済学者は、ぼくたちが真のケインズ経済学の道を踏み外したと頑固に主張している。現在のマクロ経済理論は、ケインズを静的な均衡モデルに矮小化してしまい、そのモデルをできる限り合理的選択に根拠づけようとするけれど、それはケインズ思想に対する裏切りだ、というわけ。

 ホントかな? 合理的選択の問題では、確かに現代的なマクロ経済学の説明と比べれば『一般理論』には最大化の議論はほとんど登場せず、行動仮説がたくさん出てきている。経済行動の不合理的なルーツの強調は、金融市場の投機についての記述で一番頻出する。金融市場では「人々は知恵を絞って、平均的な見解が平均的な見解をどのように予想するかを予想しようとする」[12 章 23 段落目]。でも、現代の視点からすれば、それは消費関数の議論でいちばんはっきり現れる。消費行動を合理的選択の立場からモデル化しようとする試みは、ケインズ以降の主要テーマの一つだった。でもケインズの消費関数は、第 III 巻に登場するけれど、期間をまたがる最適化ではなく、心理学的な観察に基づいたものだ。

 すると疑問が二つ湧いてくる。まず、ケインズが最大化理論をけなしたのは正しかったんだろうか? 次に、ケインズの後継者たちは最大化を蒸し返すことでケインズの遺産を裏切ったんだろうか?

 最初の疑問への答は、場合による、というものだ。経済行動には不合理な部分も強く存在するという点で、ケインズは確かに正しかった。行動経済学や行動ファイナンスの隆盛は、経済学分野が遅まきながらそれを認識したということを示している。一方で、ケインズが行動を一般化しようとした試みの一部は、ちょっと軽率すぎるし、重要な点で誤解の元だ。特にかれは心理学を根拠に、一人当たり収入が増えれば平均貯蓄率も上がると論じた (3章 13 段落)。でも実際に調べてみると、全然そんなことはない。

 でも二番目の疑問への答は、はっきりノーだとぼくは言いたい。はいはい、ケインズは確かに経済の非合理な部分を念入りに観察していて、行動経済学者たちに先んじていたくらいだし、経済動学についてもいろいろ意見を持っていた。はいはい、『一般理論』は確かに、投資が椅子取りゲームのようなものだとか、動物精神の話とか、機知に富んだ話もたくさん出てくる。でも『一般理論』は、第一義的には経済行為者たちの予測不可能性や不合理性について述べた本ではない。ケインズは、収入と消費者支出との関係が比較的安定していることを強調している。この安定性を合理的選択に根拠づけようとするのは見当違いなのかもしれないけれど、でもだからといってケインズの意図がひっくり返るわけじゃない。そしてケインズは企業行動の合理性なんか大したことないと思ってはいたけれど、すでに指摘したように、かれの重要な戦略的決断の一つは、なぜ投資が増えたり減ったりするかという問題を背景に押しやったことにある。

 じゃあ均衡はどうかって? ここでケンカの種になる発言をしよう。ケインズを静的均衡モデルで理解するのは裏切りじゃない。だってケインズが主に生み出したのは、まさに静的均衡モデルなんだもの。『一般理論』が述べている本質的なお話は、金利水準を定めるのが流動性選好だということだ。そして、金利水準が決まれば、資本の限界効率が投資率を決める。そして、雇用は、算出の価値が投資と消費者支出の合計と等しくなる点で決まる、ということだ。「消費性向と新規投資率とが与えられれば、均衡と一貫性を持つ雇用水準は一つしかない」 [3章 9 段落]

 具体的に、一つ問題を採り上げてみよう。ポール・サミュエルソンは、乗数効果を説明するのに 1948 年の教科書で有名な 45 度線を導入したけれど、これはケインズの主張をまるっきり歪めているだろうか? サミュエルソンが師匠の思想を汚したのだと熱っぽく頑固に主張する論者はいる。でもぼくは、均衡雇用に関するサミュエルソンの説明と当のケインズ自身の説明とで、大したちがいをどうしても認められない。ケインズの説明は3 章にはっきり載っている: [3 章 10 段落の(4)]。これを図にしたら、ケインズのやつもサミュエルソンの図とそっくりだ。量はドルではなく賃金単位で計測されているし、便利な 45 度線もないけれど、理屈はまったく同じだ。

 だったらなんだかんだ言って、いまやみんなケインジアンなのだ。現代マクロ経済学者たちがやることの実に大きな部分は、まちがなく『一般理論』から直接的に導かれる。ケインズが導入した枠組みは、今日に至るまで実に見事に成立している。

 とはいえもちろん、ケインズが見落としたり見通しきれなかったりした重要な点もあった。

ケインズの見落としたもの
 『一般理論』への最大の批判としては、ケインズは一時的な現象をトレンドとまちがえた、というものがある。ゼロに近い金利ですら完全雇用の回復には十分に低くなかった 10 年にかれが書いた本は、その事実が持つ意味合いを見事に説明した――特にイングランド銀行とアメリカ連邦準備理事会が陥った、いくら お金の供給 (マネーサプライ) を増やそうとしても雇用を作れないという罠は実に上手に説明した。もちろん、いつもそういう状況でなかったことはケインズだって知っていた。でも、1930 年代の金融環境がその後は標準になるとまちがって信じていたわけだ。

 図 1 をもう一度見てほしい。実際に起きたことが示されている。日本は例外として、1930 年代の金融環境は再現されることはなかった。アメリカでは、超低金利の時代は 1950 年代に終わり、二度と復活しなかった(とはいえ 2002-3 年にかけて日本に近い状況になりかけたけれど)。でもアメリカは一般に、適正な有効需要水準を保つのに成功してきた。イギリスも似たような経験をしてきた。そして大陸ヨーロッパでは大規模な失業が存在するけれど、その失業は単なる需要不足よりも供給サイドの問題によるものらしい。


なぜケインズはまちがえたの?

 答えの一部は、成熟した経済が収穫逓減を振り払う能力をケインズが過小評価していたということだ。ケインズの「金利生活者の消滅」という予測は、資本が蓄積されるにつれて、利益の出る民間投資プロジェクトが見つけにくくなり、資本の限界効率が下がる、という想定を前提としていた。両大戦の間のイギリスでは、工業化の英雄的な時代がすでに終わっていたし、その見方も一理あるように見えたかもしれない。でも第二次大戦が終わると、技術進歩と人口増の回復との組み合わせで、新しい投資機会がたくさん開けた。そして連邦準備理事会の新議長であるベン・バーナンキが「世界的な貯蓄過剰」を警告したとはいえ、金利生活者の消滅は間近にせまっている様子はない。

 でも金利を比較的高いままにとどめ、金融政策を有効にし続けたもっと重要な要因がある。しつこいインフレだ。それが期待に埋め込まれ、おかげで人々が物価安定を期待した場合よりも高い金利に反映された。もちろんインフレは、今日より 1970 年代のほうが、そして1980年ですら今よりもずっと高かった。でもインフレ期待は今でも、金利を安全にゼロから遠ざけておくのに強力な役割を果たしている。たとえば、執筆時点では 20 年もののアメリカ国債利率は 4.7% だった。リターンがインフレから守られている「インデックス」債の利率はたった 2.1% だ。これを見ると、インフレが低いとされている今でさえ、20 年ものの利率のほとんどは実質リターンよりインフレ期待を反映しているんだというのがわかる。

 しつこいインフレのおかげで、『一般理論』は一見すると、インフレ不在だった場合ほどの現代性はなさそうに思われている。が、皮肉なことに、そういうインフレは、よかれ悪しかれ一部はケインズの影響からきているんだ。悪い面でいえば、1970 年代のインフレ上昇は、部分的には拡張的な金融政策と財政政策のせいで起きた。これはケインズの影響を受けた政府が、非現実的な雇用目標を掲げたせいだ(ぼくが特に念頭に置いているのは、イギリスのエドワード・ヒースによる「成長への疾走」と、アメリカのバーンズ=ニクソンの景気拡大だ)。よい面で言えば、イングランド銀行は明示的に、そして連邦準備理事会は暗黙的に、低いけれどプラスの持続的なインフレをすすめるという明確な戦略を持っている。これはまさに、ケインズが診断した罠に陥るのを防ぐためのものだ。

 ケインズは、慢性インフレの未来を予想していなかった(ケインズに限らず当時だれもそんな予想はしていなかった)。つまりかれは、金融政策の将来について必要以上に悲観的だったということだ。そしてそれは同時に、慢性インフレがもたらす政策上の問題はまったく考慮しなかったということでもある。だがそれこそが 1970 年代と 1980 年代のマクロ経済学者の主要な悩みだったし、一部の人はそのために経済理論の危機を唱えるに至った(実は、失業のさなかでもインフレが消えないのを説明するためにぼくたちの多くが最近使う各種モデル、特に賃金交渉の不調和を強調する「重複契約」モデルは、賃金決定についてケインズが述べていることと本質部分はかなり似通っている)。でも 1930 年代にだれも想像しなかった問題に答えていないからといって、ケインズの分析の欠陥だとはとてもいえない。そしていまやインフレがおさまってみると、ケインズは再びすごく有意義に見えてきた。


救世主としての経済学者

 知的な成果として、『一般理論』と並ぶ経済学の業績はほんの一握りしかない。ぼくが最も高い評価を与えるのは、世界の見方をまるっきり変えてしまい、いったんその理論を知ったらすべてについてちがった見方をするようになってしまうような理論だ。アダム・スミスは『国富論』でそれをやった。突然経済というものは、儲けて消費する人々の寄せ集めじゃなくなった。それはそれぞれの個人が「見えざる手によって導かれて、自分の意図とはまったく関係ない目的を推進する」自律的なシステムとなった。『一般理論』もそれと肩を並べるものだ。突然、大量失業は需要不足のせいだという、これまではずっと周縁的な異端でしかなかった発想があっさり理解可能となったどころか、当然のことのように思えてしまったんだから。

 でも『一般理論』を真に独特なものにしているのは、それが圧倒的な知的成果を、世界的な経済危機に関わる直接的な現実的効力と組み合わせていたという点だ。ロバート・スキデルスキーによるケインズ伝第二巻は「救世主としての経済学者」と題されているけれど、これは誇張でもなんでもない。『一般理論』までは、まともな人々は大量失業というのが複雑な原因を持つ問題だと考えており、市場を政府の統制と置き換える以外には楽な解決方法はないと思っていた。ケインズは、実はその正反対なんだということを示した。大量失業は需要不足という単純な原因によるもので、財政拡張型政策という簡単な解決策があるのだ、ということを。

 『一般理論』が大恐慌からの出口を示してくれました、となればすてきだろう。でもお話的には残念ながら、実際に起きたのはそうじゃなかった。完全雇用を回復させた巨大公共事業、またの名を第二次世界大戦が生じたのは、マクロ経済理論とはまったくちがった理由からだった。でもケインズ理論は、なぜ戦争支出がそういう効果を挙げたか説明したし、戦後の世界が不況に陥らないように各国政府が手を尽くすのにも役だった。ケインズ経済学の導きがなければ恐慌のような状態が復活しかねなかった状況はいくつも指摘できる。特に顕著なのは 1990 年代の日本だ。

 社会科学の歴史上で、ケインズの業績に匹敵するものは存在しない。存在し得ないのかもしれない。ケインズは当時の問題については正しかった。当時の世界経済はマグネトーの問題を抱えていて、経済を再起動させるには、驚くほどつまらない小手先の修正ですんだ。でもほとんどの経済問題は、たぶん複雑な原因を持っていて、簡単には解決できないんだろう。もちろん、ぼくがまちがっているのかもしれない。今日の世界の経済問題は、ラテンアメリカの発展の遅れから、アメリカの格差の猛拡大にいたるまで、つまらない小手先の解決策があるのかもしれず、単に次のケインズがそれを発見するのをみんな待っているだけなのかもしれない。

 一つ確実なことがある。もし次のケインズが生まれているとしたら、その人物はケインズのもっとも重要な性質を持っているはずだ。ケインズは申し分ない知的インサイダーで、当時の主流経済思想について、誰にも負けないくらいよく理解していた。その知識ベースがなければ、そしてそれに伴う議論展開能力がなければ、あれほど徹底した経済正統教義の批判を展開することは不可能だっただろう。でもケインズは同時におそれ知らずの急進派であり、自分の教わった経済学の根本的な前提の一部がまちがっているという可能性を進んで検討しようという意志を持っていた。

 こうした性質が、ケインズに経済学者たちと世界を光へと導くことを可能にしてくれた――というのも『一般理論』はまさに、知的な闇からの壮大な脱出の旅なんだから。経済政策にとっての相変わらずの意義と並び、それこそがまさに本書を歴史に残る本にしているものだ。読んで、そして驚嘆されよ。


注 1
アメリカの学生がケインズ経済学を学ぶのを阻止しようという大がかりな試みに関する恐ろしい記述としては、David Colander and Harry Landreth The Coming of Keynesianism to America, Edward Elgar, 1996 を参照。

注 2
"The Great Slump of 1930," Essays in Persuasion に再録。

注 3
Gottfried Haberler, Prosperity and Depression, League of Nations, 1937.

訳者付記:hicksian 殿と bewaad 氏の訳へのコメントを作るうちに全訳になっちまいました。おもしろいものの存在を教えてくれてありがとうございます。(NYT コラム転載がなくなって、PK archive はあまり見なくなってたもんで)。その後、bewaad コメントを経て銅鑼コメントを反映。また平家の苦情を聞き入れる。


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