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2007年09月21日
経済の話。FOMC利下げ後の動き
米国で今月18日、FOMCが0.5%の利下げを行ってから様々な動きがありました。まず原油や金、それにその他の非鉄価格が上昇しており、資源高騰によるインフレが懸念されています。更にドル安が起こり、輸入価格の高騰などが米国でも話題に上がるようになりました。
この動きに伴い、年内の再利下げを織り込みつつありながら、債券が売られて金利は上昇するという、むしろその後の利上げを考慮し始めています。FOMCの声明文中でごっそりと抜け落ちたインフレ警戒に対し、逆に市場が今後はインフレに軸足を移した動きとなりそうです。
ここまではほぼ予想通りの動きですが、サウジアラビアがドルペッグ制を離脱するのではないか、とする思惑が働き、それがドル安を進行させているようです。ドル資産離れが加速を始めると、外貨準備として蓄えられた新興国の米国債などが、市場に出回るようになり、それが更にドル安に誘導して行くことになるのかもしれません。インフレとともに、ドルとの連動性を世界がなくすことは、米国にとって最悪のシナリオとなるでしょう。
一方で、良いニュースはABCPの金利が下がり、買い手が戻ってきたようです。これはFRBが過剰性だけでなく、流動性も担保したとの思惑も働き、信用市場に資金が戻り始めた証拠です。ただ債務担保の回復は遅れているようであり、信用市場の混乱がこのまま収束していくかについては、未だに不透明の部分も多いといえるでしょう。
そんな中で米国の大手金融機関が6-8月期の決算を発表しましたが、2勝2敗というところであり、実質的な金融機関への打撃は、まだ少ないようでもあります。これを証明するものに、8月の対日投資で欧州、アジアがマイナスであったにも関わらず、北米は若干ながらプラスを維持しました。米国ではFRBの迅速な対応で過剰性が担保されたので、投機的な資金は豊富であったということでしょう。
日本はサブプライムの問題で株価が下落した後、戻りが遅いと言われます。これは外国人投資が市場の6割を占めるのに、その外国人にとって日本が買いではない、というところが影響しています。過剰性の中でも余剰分しか日本投資に回ってこない、不測の事態が起きれば、真っ先に日本から資金を引き上げ、投資の流れが戻っても日本に向かうのは一番最後、という世界の中にある資金の循環の動きが、常に日本の回復を遅らせる原因となっています。
今後、あらゆるマーケットがインフレに敏感に反応して行くはずです。これはバブル症状の末期であり、どうやって溢れ過ぎた資金を手元に収めて緩やかな停滞の流れを作るのか、世界はこの動きに、より苦悩していくことになると考えています。
analyst_zaiya777 at 23:12|Permalink │Comments(0) │TrackBack(0) │clip! │経済 | 株
2007年09月20日
犯意について考える
事件や裁判の話で、『犯意』が事件や裁判に与える影響について考えます。神戸市の高校三年生が自殺し、その友人とされる同級生が恐喝未遂の容疑で逮捕されました。脅迫でも同様ですが、恐喝などはそれが友人関係であっても、社会通念上に照らして被害者側がそう感じるに足る、その材料がそろえば、例え加害側に犯意がなくても逮捕、起訴され、有罪になります。
この神戸市の事件の場合、金銭要求が執拗であり、また額も大きいことから、恐喝が成立することは疑いもないことです。学校側が遺書の存在を知りつつ十分な調査をしなかったのは怠慢ですが、確実に犯罪が成立しているといえるでしょう。つまり犯意があるかないかは事件が成立する上で重要視されない、ということにもなります。
滋賀で幼稚園児を送る途中、二人を刺殺した中国人妻に死刑が求刑されました。これは精神鑑定も行われ、責任能力の有無が争点になっています。犯意という観点でこれを見れば、準備から逃走まで計画されており、また被告は車も正常に運転していること、同乗していた自分の子供には手を出していないことなど、行動の中に冷静な面も見られることから、明らかに自分の子供以外を狙った犯行として、犯意は十分だったといえるでしょう。
この事件では犯意があっても、統合失調症などの心神耗弱状態が認められれば、罪は軽減されたり、無罪になったりします。事件性を論じる上で犯意はあまり重要視されない、という点では上記と同様ですが、この判断には違和感も残るでしょう。心神耗弱であっても、罪の考察という点で加害側の抱えた背景、病状ばかりを論じる、今の裁判制度全体の問題ともいえるものです。
そして広島県母子殺害事件ですが、被告の差し戻し審の発言を聞く限り、彼は一般常識を大きく外した世界で生きているだけで、責任能力は十分にあります。そして被告には犯意がなかったと弁護側は主張しているようですが、人が亡くなる状態を冷静に考えてみれば、これも一般常識で考えて、殺意をもって犯行に及んだことは明らかでしょう。
犯意とは『金を騙し取ろう』、『殺してやろう』と思う気持ちではありません。そうなれば金を奪えるかもしれない、人が死ぬかもしれない、という段階まで踏み込んでその行為に至るのか、という意志の問題です。誤って手が首に行こうと、そこに手を置き続ければ人が死ぬかもしれない、という状態でそれを続ければ、立派に犯罪は成立します。被告が死ぬとは思わなかった、と発言することは全く関係ないのです。
この広島の事件は差し戻し審では、弁護人が変わったからといって、新たな裁判を始めるような、そうした問題も発生しています。審理を尽くすことが重要なのですが、事実関係を一から始めるようだと、差し戻し審の存在自体を議論する必要もあるのでしょうね。
analyst_zaiya777 at 23:14|Permalink │Comments(0) │TrackBack(0) │clip! │社会 | 司法
http://blog.livedoor.jp/analyst_zaiya777/