★阿修羅♪ > 国家破産52 > 239.html ★阿修羅♪ |
株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu151.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
--------------------------------------------------------------------------------
自民党の政治家が「景気は良くなった」と言うたびに、皆頭にきて
民主党に投票したのである。給料が上がらないのはどうしてなのか?
2007年9月3日 月曜日
◆景気が回復したのに、給料が上がらない理由 8月31日 歌田明弘の「地球村の事件簿」
http://blog.a-utada.com/chikyu/2007/08/post_b21d.html
物価が上がり、景気が回復したと言われるのに、
給料が上がらないのはどうしてなのか。
日本経済の構造が変化してしまっている。
●会社が株主のものになったのはアメリカの謀略?
景気が回復したのに、どうして賃金が上昇しないのか。
8月7日に発表された政府の経済財政白書は、それにはいくつかの要因があり、非正規雇用の増加や高額所得者が多い団塊世代の退職など複合的な要因が関係しているものの、決定的な理由を見つけることはむずかしい、と書いている。
このところ時間を見つけてグローバリズムに関する本を読んでいるが、そうした本のひとつから、賃金が上昇しない――というよりも、企業が賃金をあげない構造的理由が読みとれた。
低賃金で生産できる発展途上国と競争しなければならないので、日本の企業経営者が賃金を抑えている、といったことはすぐに思いつくが、賃金が上がらない理由はそれだけではないようだ。
ノーベル賞を受賞した経済学者ジョセフ・E・スティグリッツの『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』は、邦訳タイトルだけを見ると、アンチ・グローバリズムの本に見える。しかし、スティグリッツは、自由貿易がもたらすグローバリゼーションは、「かならずよい結果をもたらしうると確信するし、グローバリゼーションには世界中の人びと、とりわけ貧しい人びとを豊かにする可能性が秘められていると確信している」と言っている。だから、反グローバリズムの戦士というわけではない。「問題はグローバリゼーションそのものではなく、それをいかに進めるか」にあって、IMFを牛耳る先進国の財務官僚が、困窮している国の実情を無視して過激な自由化を強引に推し進めた結果、大混乱を引き起こしているというのが、スティグリッツの見立てである。
冒頭の問いに対する回答は、この本の本文ではなくて、野村総研のチーフ・エコノミスト、リチャード・クー氏による末尾の「解説」に書かれていた。
●「賃金よりも配当」の時代になぜなったのか
クー氏は、4、5年前まで、テレビの経済番組の常連解説者だった。そのころこうしたテレビ番組を見ていた人ならば、グー氏のことは誰でも記憶しているはずだ。クー氏は、景気が回復しないのはお金を使う企業や個人がいないからで、不良債権処理などはもってのほか、そんなことをしたら大量の失業者が出て大変なことになる、政府はさしあたり財政赤字など気にせず、需要を増やすために大盤振る舞いをすべきだ、と論陣を張っていた。ひと言で言えば、小泉・竹中路線とまっこうから対立する主張をしていたわけだ。
しかし、結局のところ小泉・竹中路線の経済政策は成功したと思っている人も多いのではないか。格差社会や賃金が上がらないことへの不満は根強いが、日本経済が末期的状態からともかくも脱したことは確かだろう。
クー氏は、最近も新刊を出していて、以前からの主張をさらに補強し自説の正しさを述べている。それを読むとなるほどと思うところはあるが、テレビではさっぱり見なくなった。クー氏を引っ張り出していたテレビ局も、クー氏の提言はマトをはずしていた、と思ったのかもしれない。
実際のところ、政治家の都合で無意味な道路や橋を造るといったやり方には、私も含めてたいていの人はうんざりしていた。だから、そうしたやり方をどんどん続けろと言っているとしか思えなかったクー氏の言い分は、たとえ経済学的には正しかったとしても、腐敗した政治を持続させるとしか思えず、賛同しにくいものだった。
しかしクー氏は、スティグリッツの本の解説でこう言っている。
株の持ち合いがあたりまえだったころの日本企業は、株主のことを考えずに経営できた。利益をあげて株主に分配する必要がなかったから、日本の企業は、利益率が低くてもかまわず、マーケット・シェアを取ることにばかり熱心だった。利益をあげなければ税金も払わずにすむ。資金調達は国内の金融・資本市場でいくらでもでき、そうやって、日本の企業は海外の市場にどんどん進出した。
それに対し、株主に配当することが重要なアメリカ企業は利益率を重視し、法人税を払って競争している。これではアメリカ企業はまともに競争できない。クリントン政権の財務長官らは、こうした日本的経営が他のアジアの国などにも広まると困ると思い、日本に金融ビッグバンをやらせ資本の自由化に踏み切らせた。株の持ち合いがくずれ、外国人が株を持つようになると、日本企業も利益率をあげて配当しなければならなくなった。日本は、まんまとアメリカの術中にはまった、というわけだ。
現在、経済界は法人税引き下げをさかんに政府に働きかけている。利益が出ないときには、どのみち税金を納める必要がなかったので引き下げる必要はなかったが、株主に配当するために利益を計上する必要が出てきて、税率が大きな問題になってきた。クー氏の解説には賃金の話は出てこないが、こうしたカラクリは、これから書くように、景気が回復したのに賃金が上がらない理由にもなっている。
●低下したままの労働分配率
大臣になるなどという話がまったくなかったころから、竹中氏は、「不景気にもかかわらず、労働分配率(賃金にまわる割合)は90年代ずっと上がり続けている」と不満そうに述べていた。竹中氏は企業経営者のまわし者としてそう言っていたわけではない。経済学者として、賃金の決定に柔軟性が欠けていて企業経営を圧迫している、と言いたかったようだ。
株主のことを考えなくてすんだあいだは、企業は儲かったぶんを雇用者にまわしていた。しかし、21世紀に入って、利益率にこだわる必要が出てきた企業は、もはやこうしたことができなくなった。コストを切り詰めて利益率を高め、株式市場の評価を得る必要が出てきて、労働分配率はどんどん下がっていった。そして、景気がよくなっても、企業は賃金をできるかぎり抑えようとし続けている。かくして景気が回復しても、なかなか賃金が上がらないわけだ。
スティグリッツはこの本のなかで日本についてはまったく言及していないが、小泉改革というのは、政府が財政支出を増やして需要を喚起することをせず、まさにスティグリッツが非難する「市場原理主義によるショック療法」そのものだとクー氏は述べている。一方、竹中大臣は一時、不良債権処理で失業者が増えたとしても、生産性の高い仕事が生まれて雇用が創出されると言っていた。それに対してもクー氏は、「スティグリッツ教授は、『それほど瞬時に雇用が創出されると信じているエコノミストはほとんどいない』と、ばさっとそれを斬っている」と、竹中氏の主張を否定していた。
しかし、結局のところ不良債権処理をやって失業率は下がり、社会が大混乱を来たしもせず、海外からの投資も入ってくるようになった。それはなぜなのか。次回はそれについて書くことにしよう。
◆内閣改造に対する感想 9月3日 経済コラムマガジン
http://www.adpweb.com/eco/
今回の改造人事の特徴は「構造改革派」潰しと言われている。構造改革派がペテン師の集まりだと言うことにようやく気が付いたのであろう。しかし一方に「財政再建派」が温存されている。筆者は「構造改革派」と「財政再建派」は同じものと見なしている。財政再建派は、財政支出をしなくとも構造改革で経済が成長すると思っているのである。
実際、財政再建派と目される与謝野官房長官は、橋本政権の官房副長官時代、「緊縮財政が経済に悪影響を与える」という党内の意見を「財政出動をしなとも規制緩和を行えば経済は成長する」と突っぱねている。今回の人事では、構造改革を前面に掲げた者が叩き出された恰好になっている。しかし実際は気にくわない人物を構造改革派というレッテルを貼って追出しただけであり、実質的な構造改革派は多数残っている。むしろ財政再建派という名のもう一つの構造改革派が主流派になっただけと言える。
「改革の結果、日本の経済は良くなった」「ただ景気回復の実感がないだけ」と選挙で自民党の候補者は叫んでいた。しかし実際の日本経済の状態は良くない。これが大半の有権者の実感であり、この実感の方が正しい。だからこそ自民党の政治家が「景気は良くなった」と言うたびに、皆頭にきて民主党に投票したのである。景気が良くなったと感じているのは大手上場会社の重役と日経新聞くらいなものである(もっとも大手上場会社の中には数字を操作しているところがあると思われるが)。
本当の経済状態を知ることは政治家にとって極めて重要である。常に官僚は数字を操作しようとするのだから、それに対抗できる政治家が必要である。そのためにも経済に強い政治家を育成する必要がある。しかし経済財政担当大臣にずっと民間人を起用している自民党にはその気はないようである。
(私のコメント)
政治と金の問題がニュースになっていますが、政治家が金銭にルーズでいいはずがない。我々一般庶民は確定申告で僅かな間違いでも税務署から呼び出されて聞かれるのに、政治家の所得申告がルーズなのはどうしてなのだろう。事務所経費などかからないはずの経費を計上して所得をごまかしている。
選挙に金をかければ際限がありませんが、それ以外にも金銭感覚そのものがルーズな人が多いようだ。今日辞任した遠藤農水大臣も農協の不正受給を知っていて総理にも申告しなかったのだから確信犯だ。法律を作る人が法律を守らなければ誰も法律を守る人がいなくなる。
政治と金の問題がこれほど厳しくなったのは一般国民の生活が厳しくなる一方で、政治家の所得が不透明でありごまかし放題だったからだろう。相撲取りや落語家などもご祝儀や襲名披露の祝い金などごまかしていましたが、現金収入があると税務署にも分からないだろうとごまかす人が多い。
それに比べるとサラリーマンは現金収入がなく全額会社からの振込みだから誤魔化しようがなく給与から天引きされてしまう。今年はサラリーマン減税が廃止されたから手取りが減ってしまったから選挙で自民党が大敗した。サラリーマンの生活が苦しくなる一方なのに政治家達は歳費のみならず政治献金などをごまかして闇所得にしている。
これでは景気が良くなったか悪くなったかの実感がなく、政府の発表する数字を真に受けて景気は回復していると言っている。確かに大手の輸出企業は円安などで景気がいいようだ。ところが従業員の給与が上がっていないから景気が波及してこない。上がったのは重役達の給与と株の配当金に行ってしまったようだ。
なぜ企業の業績が良くても従業員の給与に反映しないのか? 中国などの低賃金に引っ張られているからというのが主な理由だろう。従業員が賃金の値上げを強引に要求すれば会社は工場をたたんで海外へ行ってしまう。だから賃上げを要求できない。あるいは海外からの低賃金労働者に切り替えてしまうかもしれない。
東京などの大都市はサービス業が盛んだから景気はいいが地方は農業も商店もさびれる一方だから都市と地方の格差も広がる一方だ。小泉総理などは構造改革すれば景気は良くなると言っていましたが、地方の景気が良くなるとは言わなかった。地方の人は騙されたのだ。
市場原理主義経済では企業業績を良くして株価を上げて時価総額を増大させないと他の企業にM&Aで買収される危険性が出てきました。昔のような株式の持合で買収の恐れもなく業績がよくなれば賃金を上げる事もできた。ところが持合がなくなり浮動株が増えればいつ買収されるかもしれない時代になれば、従業員の給与を据え置いて利益を上げる必要が出てきたのだ。
日本企業も成果主義を取り入れるところが増えてきました。しかし成果主義といっても従業員の賃金カットの口実になるだけで、ノルマを高めに設定しておけばノルマの達成する従業員はいないから、それを口実に賃下げが出来る。それとは反対に重役達は従業員の賃金カットで企業利益が増えれば給与に反映される仕組みだ。
だから正社員のクビを切り派遣社員やアルバイトに切り替えて企業業績を上げている企業も多くなりました。短期的にはそれでいいのでしょうが、正社員は過剰負担で会社を辞めていき、アルバイトや派遣だらけになった会社はサービスが低下していく。それで業績が落ち始めて慌てて正社員を増やしている企業も多くなりました。
構造改革といいながら、従来あった日本経済のいいところまでぶち壊して、市場原理主義を取り入れて、アメリカ経済の悪いところを取り入れるのは賢明な事ではない。要するにマネーゲームだけが盛んになって実体経済が衰弱するような経済は長持ちしない。従業員を大切にしないで低賃金で使い捨てにすれば確実にその企業は衰退する。
構造改革論者は不良債権を処理したから景気が良くなったと言うが、景気が良くなったから不良債権が減ったのだ。都内の土地が上がって今まで不良債権だったものが優良債権に変身している。「株式日記」では景気が回復してこそ構造改革が出来ると主張してきた。古い家を壊す時は新しい家を建ててからすべきであり、新しい家が出来ないのに古い家を壊したらどこに住むのか?
政界もようやく構造改革のまやかしが分かってきて構造改革派が内閣から一掃されましたが、安倍総理は「改革実行」と言って選挙で大敗してしまった。サラリーマンから見れば改革とは賃下げの事であり首切りの事なのだ。不景気が続けば業績の悪い企業は潰れて優良企業が生き残る。優良企業が生き残る事で日本経済は再生するのですが、優良企業も成果主義などで会社の内部は荒廃してしまった。
企業に不祥事も続発していますが、業績を上げるために賞味期限を延ばしたり、牛肉に豚肉を混ぜたりしていた。こんな事をして業績を上げても意味はないだろう。工場ではベテランの従業員がいなくなり技術が伝承されなくなり、熟練工が少なくなっている。会社がベテラン社員の首を切ってきたからだ。これが構造改革なら構造改悪というべきなのだ。
フォローアップ: