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『ニュースの読み方・サルコジ大統領の場合』
2007/07/01(日)
第818回 2007/07/01(日)
今日の話題
ニュースの読み方・サルコジ大統領の場合
日本のマスコミは大本営の発表をそのまま垂れ流した大日本帝国時代のマスコミ犯罪を犯罪とは思っていないらしい。相変わらず当局発表のニュースをそのまま垂れ流しただけの記事が多い。もしかすると虚偽を報道することになるかも知れないという危惧がほとんど見られない。だから私たち末端のニュースの受け手はニュースをそのまま鵜呑みにするわけにはいかない。
国外ニュースの場合も記者自らが取材するのではなく、いわゆる外電をそのまま鵜呑みにして垂れ流している場合が多い。やはり鵜呑みにするわけにはいかない。その顕著な例が最近あった。
フランス大統領選の決選投票でサルコジが選出されてから 2ヶ月ほどになる。あのときマスコミはこぞって、サルコジが米国型の新自由主義を掲げているように報道していた。だから私はフランス国民にがっかりした気分になった。しかし一方、さまざまな国で米国型の新自由主義が破綻を見せ始めているのに、フランス国民がそれをを選んだということをにわかには信じ難かった。買いかぶり過ぎかもしれないが、市民革命という試練を経験しているフランス人が、ポチ・コイズミや沈タロウのような民衆の敵を選んでしまう日本国民ほど愚かとは思えないのだ。
「Bund」というサイトの「転換を迫られるフランス社会党」 という記事に出合った。フランス大統領選について次のように書いている。
5月6日フランス大統領選の決選投票が行われ、国民運動連合(UMP)のニコラ・サルコジ氏(52)が53・06%得票して新大統領に選出された。
社会党から出馬したセゴレーヌ・ロワイヤル元環境相(53)は、46・94%の得票にとどまった。社会主義的な高福祉政策が行き詰まるなか、フランス国民は市場経済に重点をおいた自由競争社会を選択したのだ。
サルコジ路線は小泉構造改革と同様、弱者切り捨て、格差拡大などの新たな矛盾をフランス社会にもたらすだろう。これに対抗するフランスの左派勢力は、従来の福祉国家路線の見直しを迫られている。
おそらく圧倒的多数の人が、フランス大統領選の結果をこのように受け取ったのだと思う。
上記の記事は、フランス国民がサルコジを選んだ理由の主要因を「フランスの経済的低迷」に求め、その最大の原因は「フランス型社会主義」にあるとする。そしてそのことを詳細な数字を挙げて解説している。そして、サルコジの対立候補の社会党首ロワイヤルが掲げた公約は「ほぼ従来の党の方針に沿ったものであり」これに多くの有権者が落胆したと言っている。ほんとにそれだけの理由だろうか。フランス国民がいきなり新自由主義という180度も違う方向を選び取る理由としては、私には納得できない。フランス国民がサルコジを受け入れる理由がサルコジ側にあるのではないか。
では、米国型の新自由主義を掲げているというサルコジの公約は具体的どのようなものだったのか。
サルコジ氏はこうしたフランス社会の閉塞性を批判し、「もっと働き、もっと稼ごう」をスローガンに、急進的な経済改革を進めることを訴えた。週35時間労働制の堅持を公約に掲げたロワイヤル氏に対し、「労働者の勤労意欲をそぐ」と強く反対。逆に週35時間を超えた労働報酬には所得税を免除し、まじめに働く者が報われる社会への転換を主張した。
さらに手厚い失業保険と長い支給期間を見直す政策も掲げた。失業者は公的機関の就業提案を1度しか拒否できないようにし、勤労意欲を喪失したまま失業保険に依存して生活することを容認しない、厳しい政策を打ち出したのである
。
このサルコジの具体的な公約の入手先はどこなのか詳らかではないが、日本のマスコミが流したものと違わない。
東京新聞(日付を記録し忘れた。)に、薬師院仁志(帝塚山学院大教授・社会学)という方が
『日本で伝えられなかったサルコジ新大統領の公約』
副題「デンマーク型政策を採用 「生活保障」を最重視」
という論説を書いている。これによるとマスコミが報じてきたのとはまるで違うサルコジ像が浮かび上がってくる。私はかねがね、資本主義を漸進的に棄揚していく道(人間解放への道)のモデルをデンマークが示していると思ってきたが、サルコジがその道を選んでいることをこの論説は報じてきる。
「社会保障偏重から、柔軟な雇用形態や競争主義を導入した米英型社会へ」。右派のサルコジ氏が当選した先の仏大統領選での東京新聞の報道である。読売新聞も、サルコジ氏の「公約は、企業による従業員の解雇を容易に」することだと報じた。他の新聞、テレビを含め日本のメディアはみな同様の報じ方で、東京、読売が飛び抜けて変わっていたわけではない。
これを見て、フランスもまた、米国型の新自由主義に基づく格差社会へと大変貌を遂げると思われた読者もあろう。だが、実態は少し違うのだ。
そもそも選挙結果は予想通りであり、当選後の施策も事前の公約通りであって、驚くべきことは起きていない。実際、新大統領が就任前に行った初仕事は労組代表との会談だった。 5月11日付のルモンド紙は、これを公約に照らして「極めて当然」だと評している。
サルコジ氏は、公約の中で「ごく少数でしかない経営者たちが過剰な報酬や特権を得るのは受け入れられない」と喝破し、「働く者が愚弄される社会は受け入れられない」との主張のもと、不安定な雇用契約を廃して通常の雇用を正規雇用に一本化する「統一雇用契約」の導入を掲げた。だから、同紙は、何であれ雇用制度の変更を公約とした以上、まず労組代表と話し合うのは極めて当然だと論じたのである。
同紙によると、新大統領は「賃金の平等化、フレキシキュリテ、労働条件の改善、労使関係の民主化」に関する話し合いを労組に提案したとのことだ。労働条件の改善と労使関係の民主化は、読んで字のごとくであり、賃金の平等化は、主として超過勤務手当の割増率に関係している。サルコジ氏は、小企業ではその割増率が10%にすぎない点を批判し、全員に割増率25%を適用すると公約した。これに関しては、同28日付の同紙が、割増率25%は「フルタイム労働者の超過勤務手当のみならず、短時間労働者の追加労働、さらにはパック雇用契約の上級ホワイトカラーにも適用されると報じた通りである。
サルコジ氏の提案の中で分かりにくいのは、「フレキシキュリテ」なるものだろう。これは、デンマークで社民党のラスムセン政権時代に導入された制度で、政府、雇用主、労組の協力体制の下、産業構造の変化に対応すべく雇用を柔軟化(フレキシブル)しながら、手厚い失業給付をはじめ、社会保障(セキュリテ)の充実によって人々の生活を守る制度である。要するに、雇用の保障よりも、個人の生活保障を重視する政策だと言えよう。実際、同国では、解雇手続きがフランスより簡素な反面、失業者に対して以前の給料の9割を保障(受給期間は総計 4年)し、無料の職業訓練や研修を通じて求職活動を支援している。しかも、失業率は4%強の水準で推移しており、結果的に、転職者は多いが解雇による失業者は少ないのである。
これに倣おうというのが、新大統領の主張だ。実際、3月30日のフィガロ紙は、サルコジ氏が経済的理由による解雇を認める代わりに、「失職者に資格取得研修を受けさせ、新たな職が見つかるまでそれまでの報酬の九割を保障」する方針だと報じていた。ただし、同紙によると、正当な理由がない限り、再就職を三度拒否すると就労意志なしと見なされ、失業保障も打ち切りだとのことである。もちろん、「購買力」の向上を訴え、「フランスの賃金は低すぎる」と断じたサルコジ氏は、そこに賃下げの口実を求めているわけではない。
ともあれ、「フレキシキユリテ」には「従業員の解雇を容易」にする側面もあり、この点に関しては、日本での報も正しい。だが、それが生活保障や再就職支援とセットであることもまた、事実なのだ。いずれにせよ、現地の報道を見る限り、サルコジ氏の考えは、 「反グローバル経済」 (ルポワン誌)や「道義なき資本主義の廃絶」(ルモンド紙)だとの印象を受けざるをえない。つまり、不安定な雇用契約の廃止、賃金の向上、柔軟雇用に対する保障などを通じて働く者を尊重し、勤労意欲を鼓舞することが、サルコジ氏の本意だと思えてならないのである。実際、サルコジ氏は、働く者に報いることを重視するからこそ、「多額の世襲財産を持つ層が多く負担するのは当然」として富裕連帯税の廃止要求を一蹴する一方、勤労所得からの減税を公約したのではなかろうか。
なお、超勤手当の割増率を一律25%にする公約は、早くも10月1日から実現することになった(法定週35 時間労働、残業は年220時間まで)。これを見れば、仏大統領の公約の重みが推察されよう。となると、老齢年金の増額、育児支援手当ての支給拡充という公約もまた空疎な建前だと切り捨てるわけにはいかないのである。
どちらのサルコジが本当なのか。私は明らかに薬師院さんの論説の方が正しいと思っている。これならばフランス国民がサルコジを選んだことも納得できる。
「ごく少数でしかない経営者たちが過剰な報酬や特権を得るのは受け入れられない」
「働く者が愚弄される社会は受け入れられない」
というサルコジが「道義なき資本主義の廃絶」にどこまで迫ることができるか。サルコジが行う実際の政治の行方を見守ろう。
ところで、日本でデンマーク型政策をそのまま実施してもうまくいくとは限らないのはもちろんだが、日本なりの特殊状況をふまえた上で、「道義なき資本主義の廃絶」という理念の下にデンマーク型政策を提唱する政治家を求めるのはこの国では夢のまた夢だろうか。