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わが国における金融破綻処理制度の変遷 ―――財政金融研究所特別研究官 佐 藤 隆 文
http://www.asyura2.com/07/hasan50/msg/834.html
投稿者 hou 日時 2007 年 6 月 16 日 18:00:42: HWYlsG4gs5FRk
 

(回答先: 日本の政府・・・ 金融庁の次期長官に佐藤隆文監督局長(57)  【日経速報ニュース】 投稿者 hou 日時 2007 年 6 月 16 日 16:30:28)

https://www.mof.go.jp/jouhou/soken/kenkyu/ron006-1.pdf#search='%E4%BD%90%E8%97%A4%E9%9A%86%E6%96%87'

わが国における金融破綻処理制度の変遷 名古屋大学経済学部教授

財政金融研究所特別研究官 佐 藤 隆 文

金融破綻に対するセイフティネットの中核を占める預金保険制度は、わが国においては1971年に創設されたが、90年まで預金保険が発動されることはなく、経営悪化金融機関の処理は、(多くは行政の仲介による)ゆとりある大銀行へ吸収・救済という形を中心に行なわれてきた。そのなかで、すべての預金の保護と金融機能の維持が図られてきた。それが可能になったのは、経営にゆとりのある大規模な金融機関が存在したこと、銀行のフランチャイズ・ヴァリューを背景に業務の量的拡大のメリットが大きかったこと、によるが、金融自由化の進展、バブル崩壊による不良債権問題の深刻化等によって、このような条件は失われた。そのような状況の下で、一方における預金の全額保護と広範な金融機能の維持という事実上の処理方針、そして他方における従来からの限定的な制度的枠組みの間のギャップが表面化する。1990年代における多くの個別破綻処理と破綻処理制度の段階的整備 は、そのようなギャップを埋めるための取組みであったと捉えることができる。 本稿は、今日に至るわが国の金融破綻処理制度について機能別・時代別の整理を試み、今般の2000年改正によってもたらされる恒久的枠組みを評価するための基礎を提供しようとするものである。 1.金融破綻の一般化とその背景 本節では、金融行政変貌の直接の契機になったとも言える近年における金融破綻の一般化という現象を振返り、続いて破綻の一般化をもたらした背景として、環境条件の変化及びそれが銀行経営に及ぼした影響を概観することとする。(注1)第一表は、預金保険の発動を伴う処理がなされた金融破綻の動向を、破綻公表の時点で捉え年度毎に抜粋したものである。ここから読み取れる要点は以下の通りである。 1971年の預金保険制度創設以来90年までの20年間は、実際に預金保険の発動を伴う金融破綻はなく、経営悪化金融機関の処理は経営にゆとりのある大手金融機関が(業務の量的拡大のメリットを背景に)これを吸収するという形でなされるのが一般的であった。 (注1)本節の記述は、佐藤(2000)に基づいている。− 1 − 91年以降は毎年度破綻が発生しているが、90年代央から破綻が一般化する兆しを見せ、97年以降に件数・金額とも急増した。 破綻処理費用(預金保険機構による資金援助)は、典型的には破綻金融機関の救済金融機関への営業譲渡・事業譲渡を前提として、破綻金融機関の債務超過額を穴埋めする金銭贈与と、不良債権を時価で買取って処分する資産買取に大別される。このうち金銭贈与額は、破綻金融機関の債務超過による支払い能力欠如(insolvency)の深刻さを反映するが、90年代後半に入りその金額は急上昇している。 破綻金融機関の内訳を見ると、はじめは比較的小規模の地域金融機関や信金・信組が中心であったものが次第に大規模な金融機関に広がり、さらに97年の北海道拓殖銀行、98年の日本長期信用銀行、日本債券信用銀行と、いわゆる主要行にまで至っている。これに対応して一件当りの破綻処理費用も巨額化しており、北海道拓殖銀行の処理に要した金銭贈与の額は1兆7560億円、日本長期信用銀行のそれは3兆2,391億円に及んでいる。また、日本債券信用銀行の処理費用は現時点では不明であるが、特別公的管理の手続きの中で強制取得された株式の対価決定を行うための純資産額算定によれば、強制取得の時点で既に債務超過額は、3兆0,466億円に及んでいる。(注2)預金保険法に基づく資金援助は、救済金融機関が存在していることが前提となるが、傾向として徐々にそのような救済金融機関が見出し難くなってきていることも、重要な点である。(量的拡大のメリットが小さくなったこと、経営にゆとりのある金融機関がなくなってきたことがその背景にある。)このため、東京共同銀行、わかしお銀行、みどり銀行のように個別破綻ごとに新設の受皿機関を設けたり、東京共同銀行を整理回収銀行(後に整理回収機構)に再編し破綻信用組合の(後に破綻金融機関一般の)恒常的な受皿と位置づける、などの対応がなされた。金融再生法に基づく金融整理管財人制度、特別公的管理制度は、このような制約条件なしに破綻処理に移行できるスキームとして位置づけうるものであり、現に98年の日本長期信用銀行及び日本債券信用銀行は特別公的管理により、またこれ以降の銀行の破綻処理は金融整理管財人制度により処理されている。 (注2)金融再生委員会「破綻金融機関の処理のために講じた措置の内容等に関する報告」(平成11年12月)− 2 − このような多数の金融破綻をもたらした直接的な原因は、いわゆるバブルの生成・崩壊とそれに伴う資産価格の異常な上昇・下落の過程で、十分な審査等を経ずに行われた巨額のハイリスク融資等が不良債権化し、その損失額が(損失処理財源としての)自己資本を上回る金融機関が多数生じたことに求められる。 他方、このような経過説明とは別に、このような経過を辿った背景としてのより大きな環境条件の変化を見定めておく必要がある。わが国の金融業を取り巻くそのような環境条件の変化としては、以下の3点が特に重要である。これらはいずれも趨勢的・構造的な変化であって後に戻ることのない不可逆的な流れであり、また多かれ少なかれ海外主要国にも共通の要因である。すなわち、 情報処理・通信技術の飛躍的進歩とそれらに支えられて進行する金融技術の革新、 金融取引の国際化・グローバル化と市場の拡大及び競争制限的枠組みの有効性喪失、 マクロ経済の成長率低下と資金余剰型経済への移行、 である。このうち、は主として金融サービスの供給サイドに関わる要因、は金融業の競争環境に関わる要因、そしては金融サービスの需要サイド(利用者)に関わる要因、と整理することができる。以上のような環境条件の変化を背景として、銀行経営ないし銀行行動の問題に着目することにより、金融破綻の一般化をもたらしたより直接的な原因を整理することとしたい。それは、環境条件の変化が本来求めた銀行経営のあるべき姿との対比において、わが国の多くの銀行には何が欠けていたのか、という問への答を探ることに他ならない。結論から述べれば、わが国において金融破綻を頻発させた原因として銀行経営のあり方の問題を捉えると、つぎの3点が浮び上がる。すなわち、 横並び的な規模拡大志向の存続と銀行のフランチャイズ・ヴァリューの縮小を背景として、バブル期に経営規律が大きく低下したこと、 リスク管理の重要性が格段に高まったにもかかわらず所要のリスク管理能力・体制の整備が遅れたこと、 市場の強大化に対応する市場志向型の経営への転換が遅れたこと、 である。 第一点の、銀行のフランチャイズ・ヴァリューの縮小は、上述の環境条件の変化がもたらす重要な帰結のひとつである。(注3)銀行のフランチャイズ・ヴァリューとは、免許業種としての銀行の特権的価値であり、銀行業への参入制限、中央銀行へのアクセスなどが主な内容であるが、その存在は、それを失うまいとするインセンティブを生じさせて、銀行行動を慎重にさせる。高度成長期における競争制限的規制体系の下での銀行業は、極めて大きな特権的価値を有していたと考えられる(注3)フランチャイズ・ヴァリューの縮小を重視する見方は、吉冨(1998)による。− 3 − が、競争制限的規制の緩和・撤廃、資金余剰型経済への移行、資本市場の発達等によって、銀行の特権的価値は著しく低下した。これによって銀行経営を慎重にさせるひとつの重要な要素が失わ れ、バブル生成期において不動産向けなどハイリスク融資を急増させる要因のひとつとなった。第二点のリスク管理能力の問題は、上述の環境変化により銀行経営に求められるリスク管理能力が格段に高度なものとなったにもかかわらず、それへの対応が遅れたことである。このようなリスク管理意識・能力の立ち遅れが、さきのフランチャイズ・ヴァリューの低下とも相俟って、バブル生成期における不動産向けなどハイリスク融資の急増を許し、バブル崩壊後における不良債権処理の遅れをもたらしたことは否めない。環境変化がもたらしたリスク管理所要の変化は、金融技術革新によってもたらされた金融商品の多様化により銀行の直面するリスクが多様化・複雑化していること、規制緩和と金融取引の自由化・国際化によりリスクの変動が大きくなったこと、低成長・資金余剰型経済への移行によりリスクとリターンのトレードオフの関係が厳しいものになったこと、が主なものである。第三点は、市場規模が飛躍的に拡大し市場メカニズムが確実に浸透しつつある環境の下では、個々の銀行も市場で厳しく評価される対象になるということであり、そのことへの対応が不可欠になるということである。破綻した金融機関の多くに共通している点として、市場への情報開示が不十分であったということがあり、その背景には市場志向型の経営姿勢が欠如していたことが窺われる。銀行経営が市場での自行の評価をより強く意識したものになっていれば、市場によるチェックが働いて銀行行動の慎重さが促されたはずである。 2.破綻処理制度の形成過程 戦後のわが国における金融破綻処理及びその制度整備の過程については、その特徴として、第一に結果としてすべての預金が全額保護されてきていること(注4)、第二に破綻金融機関の金融機能の維持を中心課題として対応が図られてきていること、第三に市場規律重視・透明性重視など行政手法の転換が同時に生じていること、を挙げることができる。本節においては、このような破綻処理にかかる制度整備の過程を、時代区分を試みながら、より具体的に見ていくこととしたい。戦後の主として高度成長期から現在までにおけるわが国の金融破綻処理及びその制度的枠組みの変遷は、以下のような時代区分によって、その主要な流れを捉えることが可能である。 [1] 高度成長期(1970年):預金保険制度のない時期 終戦直後の戦後処理の中では、公的資金の支援による小額預金の保護と、その他預金の一部切(注4)例外的に、終戦直後の戦後処理では大口預金のカットが行われている。− 4 − り捨てが行なわれた。しかし、その後は(現在に至るまで)実績としてすべての預金が全額保護されている。また、この時期及び次の1990年までの時期を通じて公的制度による支援が必要とされることはなかった。 この時期においては、経営悪化金融機関が生じても、その多くは行政の仲介を経て余力のある大手金融機関によって吸収・救済され、経営悪化金融機関の抱えていた損失も救済金融機関によって吸収されるのが一般的であった。結果的に預金はすべて全額保護された。当時の銀行は、競争制限的な枠組みの下で極めて大きなフランチャイズ・ヴァリューを有しており、吸収による規模の拡大が収益増に直結していたため、救済金融機関にとって実質的な損失負担は大きくなかったと推測される。 [2] 1971年90年:預金保険制度はあるものの発動実績のない時期 1971年に預金保険制度が創設されるが、当初は、破綻金融機関の清算を前提とした「保険金支払い(ペイオフ)方式」があるのみであった。その後86年に、救済金融機関への営業譲渡を前提とした「資金援助方式」が追加されるとともに、保険金支払い限度額が1000万円に引上げられた。このような制度整備は進められたものの、実際は預金保険の発動実績は皆無であり、現実の破綻処理は、従来どおり、余力のある大手金融機関による吸収・救済という形が中心であった。預金の保護についても、預金保険制度上は、限度額の範囲内での保護であるが、現実には預金保険制度の外で全額が保護された。 [3] 199195年:預金保険の発動が漸増し、救済金融機関の不存在が問題となる時期 91年7月に破綻した東邦相互銀行の処理(伊予銀行に吸収合併)について、預金保険が初適用された。その後、東洋信用金庫の破綻(92年4月)等に預金保険が適用され、預金保険の発動が徐々に一般化していく。破綻金融機関の受皿を引き受けるとしてもその際には預金保険の資金援助を強く求める姿勢が一般的となって、この時期に、受け皿となる金融機関の側においても財務面のゆとりが小さくなっていたことが窺われる。預金保険の発動を伴う金融破綻の推移を、破綻公表日ベースで年度毎に整理した先の第一表にあるように、発動件数については、この期の前半(9193年度)が計4件と散発的であったのに対し、後半(9495年度)は計10件に増加している。預金保険の発動形態は、いずれも「資金援助方式」であるが、破綻処理の形態については、前半は救済金融機関への吸収合併が中心であったのに対し、後半は営業譲渡・事業譲渡が主流となり、破綻金融機関が明確な債務超過に陥っているケースが増えていることを示している。 − 5 − 預金の保護については、従来からの事実上(de facto)の政策目標であった預金全額保護の方針が維持される一方、制度上(de jure)預金保険からの資金援助は限度額(ペイオフ・コスト)の範囲内に限定されるため、それだけでは破錠金融機関の損失額をカバーしきれないケースが生じた。(注5)損失額も巨額化する傾向の中でこのギャップをどう埋めるかが難題であったが、一部民間金融機関による負担を加えて個別事案毎の行政努力で預金の全額保護を実現するのが一般的であった。 この時期の後半、預金保険の初適用から3年余りの時点で早くも生じた大きな問題は、救済金融機関が現れないケースが出現したことである。当時の制度において預金保険による資金援助は救済金融機関に対してのみなされるものであるため、そのままでは預金保険の発動ができない か、ペイオフ発動ということになって、破綻金融機関の清算という選択肢しか残らない。94年12月に破綻した東京協和信用組合・安全信用組合は、救済金融機関が現れない初めてのケースとなった。これに対してはペイオフ発動回避のため、東京共同銀行という新たな受皿金融機関が設立され、ここへの事業譲渡を前提にこれに対して資金援助が実行された。救済金融機関が現れないケースはその後も続発し、95年7月に破綻したコスモ信用組合は今の東京共同銀行への事業譲渡によって、同様に、兵庫銀行(95年8月破綻)は新設のみどり銀行への、木津信用組合(95年8月破綻)は整理回収銀行(東京共同銀行を改組)への、太平洋銀行(96年3月破綻)は新設のわかしお銀行への営業譲渡・事業譲渡によって処理された。 救済金融機関が登場しにくくなった一般的な背景としては、次の4点を指摘できる。 第1に、金融自由化等の進展で銀行のフランチャイズ・ヴァリューが低下し、営業譲受等による業務の量的拡大が収益増などのメリットに直結しなくなったこと。第2に、救済金融機関の候補となる金融機関自身の財務内容が悪化し受皿となるゆとりが乏しくなったこと。第3に、破綻金融機関から承継することとなる資産は、その健全性を直ちに判断することは難しく、資産評価を経て承継するとしても二次ロス発生の懸念が残ること。第4に、資産・負債同額の状態で業務を引き継ぐと、そのままでは自己資本比率が低下して財務体質が低下すること。以上のような状況の下で、預金の全額保護の実現と金融機能の維持のため、救済金融機関が見出せない場合には個別事案毎に救済金融機関を新設するという対応が図られたことが、この時期のひとつの特徴で(注5)債務超過にある破綻金融機関に営業譲渡する際には、債務超過部分をゼロにして資産・負債同額とする必要があるが、預金等の負債を一切カットしない場合には、債務超過額全額の補填が必要となる。わが国ではこれまで、預
金全額保護のためにこのような手法が用いられているが、ペイオフ・コストを上限とする預金保険からの資金援助可
能額が、破綻金融機関の債務超過額に満たないことが通例である。ここでペイオフ・コストとは、破綻金融機関の付
保対象預金について一預金者あたり(1000万円までの)上限額の範囲内で保険金の支払いがなされたとした場合にお
ける、預金保険の負担額である。 − 6 − ある。そのような中、先の東京共同銀行は、96年の法改正によって整理回収銀行に改組され、破綻信用組合の常設的な受皿機関の役割を持つこととなる。ただし、同行は新規の信用供与を行なわないため、そこへの事業譲渡は、預金の保護と債権の回収を主目的とするものとなり、金融機能の維持は限定されることとなる。 [4] 199698年10月:預金全額保護の制度化と金融システム不安の深刻化を受けての公的資金導入 この時期における制度整備は、9495年に顕在化した二つの大きな問題、すなわち、上限つき預金保護という制度的枠組みと預金全額保護という事実上の政策目標との間の乖離が、主として財源面から現実の問題となったこと、及び救済金融機関が現れないケースが例外的でなくなり、資金援助方式による破綻処理が重大な制約にぶつかったこと、をめぐって進められたと言える。 第一の問題については、実態を制度に合わせるのではなく、制度を従来からの事実上の政策目標に合わせる形で対応がなされた。すなわち、96年の預金保険法改正による、預金全額保護の制度化である。具体的には、資金援助方式についてペイオフ・コストを超える援助を可能とする「特別資金援助」の導入(注6)と、その財源としての「特別保険料」(0.O36%)の徴収である。また預金保険の支出急増に鑑み、一般保険料も従来の0.012%から4倍の0.048%に引上げられ、合計の保険料水準は、従来の7倍となった。これらの措置の位置付けについては、この制度の基となった95年12月の金融制度調査会答申『金融システム安定化のための諸施策−市場規律に基づく新しい金融システムの構築−』の記述が参考となる。同答申は、一方で市場規律の発揮と自己責任原則の徹底を基本とした透明性の高い金融システムの構築を目標に掲げ、これに見合った透明性の高い新しい行政手法の導入等を謳いつつ、他方で、爾後概ね5年間は、信用不安を醸成しやすい状況にあることから預金者保護、信用秩序維持に最大限努力すべきことを述べている。すなわち、先の問題に即して解釈すれば、一定期間経過後における上限つき預金保護への移行を前提とし て、経過期間中における預金全額保護の確実な実施を提唱しているのである。 95年8月に破綻した木津信用組合(債務超過額約1兆円)は、この改正を受け、整理回収銀行への事業譲渡とペイオフ・コストを超える資金援助によって処理された。また96年11月に破綻した阪和銀行は、預金全額保護の制度的担保の下で、当局の業務停止命令により銀行を実質的に清算し、専ら預金の払戻し業務のための紀伊預金管理銀行を設立する形で、処理された。 (注6)制度的には、これと整合性を保つ形で、保険金支払い方式についても、預金全額保護のため「預金等債権の特別買取り」が規定されている。− 7 − しかし、97年11月に生起した一連の金融破綻は、さらに新たな制度的対応を求めることとなった。短期金融市場でのデフォルト発生という戦後初の事態を伴った三洋証券の会社更生法適用申請(11/3)、それに続いて、北海道拓殖銀行の破綻(11/17)、山一證券の自主廃業発表(11/24)、徳陽シティ銀行の破綻(11/26)が相次いで生起し、これらによってインターバンク市場の取引は激減した。このような事態に対し、金融破綻に際しては預金全額保護のみならず、付保対象外の預金、そして預金以外の負債も実質的に保護するとの方針が明かにされた(97年11月大蔵大臣談話)が、銀行の貸出し姿勢は極端に慎重化しいわゆる貸渋りが一般化して、金融システムの機能不全が懸念されるに至った。このような金融不安の深刻化を受け、預金全額保護を前提とした破綻処理の財源として、17兆円の公的資金(交付国債7兆円と政府保証枠10兆円)が手当てされた。これにより、ペイオフ・コス卜超の特別資金援助は特別保険料に加えて公的資金という財源的裏付けをもつこととなった。97年に破綻した京都共栄銀行、北海道拓殖銀行、徳陽シティ銀行などは、この制度の下で、預金保険が適用されている。 この時期における制度整備の第二の課題は、救済金融機関が現れない場合の対応であった。この点については、上述のように、まず96年の預金保険法改正で、破綻信用組合の(常設の)受皿として、東京共同銀行を改組する形で整理回収銀行が設置され、さらに98年年初の預金保険法改正で、これを破綻信用組合に限定せず(銀行を含む)破綻金融機関一般の受皿と位置付ける見直しが行われた。ただし、同行が新規の信用供与を行わない点に変更はないため、広範な金融機能の維持が不可欠な場合のための制度整備は、98年秋の金融再生法の制定まで持ち越されることとなる。 [5] 1998年10月現在(2001年3月):預金全額保護・公的資金・金融再生法の枠組み この時期における重要な制度改正は、前の時期の制度整備でいわば道半ばとなっていた、救済金融機関を見出し難い中でかつ金融機能の維持が特に重要である場合の対応、である。日本長期信用銀行の処理が問題となった98年夏開会の臨時国会で、10月に金融再生法が制定され、新しい破綻処理方式である特別公的管理制度と金融整理管財人・ブリッジバンク制度が導入された。両制度は、救済金融機関が破綻時点で直ちに見出されなくても当面の金融機能の維持が可能である、破綻時点で直ちに救済金融機関を確定する必要がないため、比較的迅速に破綻処理に入ることができ、また、破綻処理の手続き面で当局に強い権限が与えられている、金融仲介機能の維持を重視し、借り手の保護に配慮している、といった特徴を持ち、先に述べた破綻処理制度の欠落部分を埋めるものであったと言える。また預金の全額保護については、前の時期までに整備− 8 − された特別資金援助と公的資金の枠組みが準用される。 98年10月の金融再生法施行後は、主だった破綻処理は特別公的管理または金融整理管財人による管理によって行われるようになり、預金保険法の資金援助方式は、信金・信組の一部など主に中小金融機関の破綻処理で用いられている。主要な個別破綻事案としては、日本長期信用銀行(98年10月)及び日本債権信用銀行(98年12月)が特別公的管理によって、また国民銀行(99年4月)、幸福銀行(99年5月)、東京相和銀行(99年6月)、なみはや銀行(99年8月)、新潟中央銀行(99年10月)等が金融整理管財人による管理によって処理されている。 現在のわが国の破綻処理制度は、このような、( )預金の全額保護を可能とする預金保険制度、( )公的資金を含む財源的裏付け、そして( )金融再生法の処理スキームの組合せによって形成されている。そして、現在この制度的枠組みは2001年3月まで存続することとなっている。 3.現行の破綻処理手法とその類型 金融破綻処理の守備範囲は、これを最も狭く捉えれば、システムミック・リスクの顕在化防止と小口預金者の保護ということになるが、現実には、破綻金融機関は存続させないとの原則に立ちつつも、より広義の目的、すなわち破綻に伴う金融機能の喪失(直接的影響及び間接的波及効果)を最小限に抑えることに重点が置かれてきた。前節で見たように1990年代に入ってからの金融破綻の一般化及び破綻処理手法の転換という流れの中で段階的に制度整備が図られた結果、現在では、それらの目的の実現のためある程度多様な破綻処理手法と財源的裏づけが制度化されている。 現行の各種破綻処理手法は、上に述べてきたことも念頭に置き、これを以下のように類型化することができる。すなわち金融機能を維持せず破綻金融機関を清算するもの、破綻金融機関の金融機能を救済金融機関に承継するもの、そして救済金融機関が存在しない中で破綻金融機関の金融機能を維持しようとするもの、である。預金保険の保険金支払い方式(狭義のペイオフ)はに当たり、実施上のヴァリエーションである預金債権等買取り方式もこれに属する。預金保険法に基づく資金援助方式は、破綻金融機関の業務の救済金融機関への営業譲渡等を前提に実施されるものであり、に該当する。金融再生法に基づく金融整理管財人・ブリッジバンク方式及び特別公的管理制度はに該当し、また預金保険法附則に基づく整理回収機構への営業譲渡も部分的な機能維持(新規の信用供与はなされない)ながらに属すると言える。以上を、救済金融機関が存在するか否か、金融機能を維持するか否か、という軸に沿って分類し一覧にしたのが第2表である。 (名古屋大学経済学部) − 9 − 第1表 金融破綻の推移(破綻公表日ベース) 破綻公表日 破綻金融機関 救済金融機関 金銭贈与(億円) 資産買取り(億円) 91年7月 東邦相互銀行 伊予銀行 (貸付 80) 91年度計 1件(貸付 80) 92年4月 東洋信用金庫 三和銀行 200 92年度計 1件200 93年度計 2件459 94年12月 東京協和信組 東京共同銀行 2信組で 400 同上 安全信組 同上 94年度計 4件453 95年7月 コスモ信組 東京共同銀行 1,250 8月 兵庫銀行 みどり銀行 4,730 8月 木津信組 整理回収銀行 10,340 96年3月 太平洋銀行 わかしお銀行 1,170 95年度計 6件19,192 82996年11月 阪和銀行 紀伊預金管理銀 834 2,08696年度計 5件1,361 2,16197年10月 京都共栄銀行 幸福銀行 438 58111月 北海道拓殖銀行 北洋銀行 中央信託銀行 17,560 16,16611月 徳陽シティ銀行 仙台銀行 1,193 1,69597年度計 16件23,829 19,90598年5月 みどり銀行 阪神銀行 7,700 2,6595月 福徳銀行 なにわ銀行 なみはや銀行 (新設合併) 3,01810月 日本長期信用銀行 (特別公的管理) (公告時債務超過 26,535) 12月 日本債券信用銀行 (特別公的管理) (公告時債務超過 30,466) 98年度計 29件15,826 +6兆円超(?) 8,66499年4月 国民銀行 (整理管財人) 5月 幸福銀行 (整理管財人) 6月 東京相和銀行 (整理管財人) 8月 なみはや銀行 (整理管財人) 10月 新潟中央銀行 (整理管財人) 99年度(10月) 36件(注)預金保険の発動を伴う破綻処理を対象に集計。個別事例は、銀行破綻のすべてと信金・信組破綻の主要事例を記載。 (資料)預金保険機構『平成10年度預金保険機構年報』(99年7月)等より、筆者において、破綻公表日ベースに時点修正して作成。 − 10 − 第2表 破綻処理手法の類型 破 綻 金 融 機 関 を 存 続 さ せ な い 破綻金融機関を一
時的に存続させる破綻金融機関
の処理

救済金融
機関の有無 機能を維持せず 部分的に機能を維持機 能 を 維 持 既存民間金融機関
が救済金融機関に 資金援助方式
・営業譲渡 …金銭贈与及び
資産買取り等 ・吸収合併
・新設合併
・株式取得 (注2) 個別に受皿金融機
関を新設 阪和銀行方式
…資金援助の実施(注2)個別の受皿銀行設

…資金援助方式の発動 (注2) 民間の救済機関が
存在せず 保 険 金 支 払 い 方
式・預金等債権買
取り方式=破綻金
融機関は清算
…保険金支払い・預金等債権買取
り (注1)整理回収機構への
営業譲渡
…資金援助の実施(注2)金融整理管財人
・ブリッジバンク
…資産買取り、損失の補てん等 (注3)特別公的管理
…特例資金援助 (注3)(注1) 時限措置として預金全額保護のための「預金等債権特別買取り制度」がある。
(注2) 時限措置として預金全額保護のための「特別資金援助」がある。
(注3) いずれも時限措置であり、預金全額保護と組合わされている。
(資料) 筆者作成。− 11 − 参考文献 金融再生委員会(1999)『破綻金融機関の処理のために講じた措置の内容等に関する報告』 (平成11年12月) 金融制度調査会(1995)金融制度調査会答申『金融システム安定化のための諸施策−市場規律に基づく新しい金融システムの構築−』(平成7年12月) 金融審議会(1999)金融審議会答申『特例措置終了後の預金保険制度及び金融機関の破綻処理のあり方について』(平成11年12月) 西村吉正(1999)『金融行政の敗因』文芸春秋 翁百合(1993)『銀行経営と信用秩序:銀行破綻の背景と対応』東洋経済新報社 佐藤隆文(2000)『金融をめぐる環境変化とわが国の信用秩序維持政策」名古屋大学『経済科学』第47巻第4号(2000年3月) 吉冨勝(1998)『日本経済の真実−通説を超えて』東洋経済新報社 − 12 −

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