★阿修羅♪ > 国家破産50 > 613.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
□住友不動産97歳老害人事…取締役相談役で留任 [ZAKZAK]
http://www.zakzak.co.jp/top/2007_06/t2007060127.html
住友不動産97歳老害人事…取締役相談役で留任
住友不動産の役員人事が波紋を広げている。なんと、御年97歳の安藤太郎・代表取締役相談役の肩書から代表権は外れるものの、取締役相談役として留任するのだ。業界からは「安藤氏は住友不動産を3大不動産会社の一角に成長させた“中興の祖”だが、この年齢になってもボード(役員会)に居座る姿は老害の極みというほかない」(不動産幹部)との声も漏れてくる。
【老人ホーム】
「“特別養護老人ホーム”」−。住友不動産は業界でこう皮肉られている。経営首脳陣の高齢化が進んでいるためだ。
代表権をもつ安藤太郎取締役相談役が97歳、高城申一郎会長が81歳、高島準司社長が77歳。首脳3人の平均年齢は実に85歳なのだ。
今回発表された役員人事(就任は6月末)ではどうか。安藤氏は取締役相談役として留任。高城会長は退任して、高島社長が会長に就任する。新社長には小野寺研一専務執行役員(60)が昇格し、三井住友銀行出身の鶴田哲郎取締役(68)は副会長に就く。
首脳4人の平均年齢は75.5歳。若返りにはほど遠い感じだ。
「首脳陣の停滞を招いたのは、安藤さんが辞めなかったため。誰も安藤さんの首に鈴をつけることができない」(業界関係者)
住友不動産の“ドン”安藤氏は、1910(明治43)年生まれ。1934年、東大法科を卒業して住友銀行(現・三井住友銀)に入行した。「1936年の2・26事件のとき、好奇心にかられて銀行を抜け出し、雪が積もる宮城前をあちこち見て回ったが、人っ子ひとり見当たらなかったという体験の持ち主」(住友グループOB)という。
戦後、住銀で“法王”と称された堀田庄三頭取の下で、東京事務所所長を務め、大蔵省・日銀の動きはもとより、政界・財界の各方面のさまざまな情報を収集する役割を担った。
だが、東京勤務が20年間と長期化したことが災いして、磯田一郎氏との頭取レースに敗れた。1972年、副頭取を最後に住友不動産社長に転じることになった。
【アンタッチャブル】
その安藤氏が不評を買ったのは、バブルの時期である。
住銀と住友不動産は、関西商法と呼ばれる強引な方法を使い、東京・青山など都心の土地を地上げで獲得していき、荒っぽいやり口がひんしゅくを買った。
「安藤氏は、東京都心の地価暴騰の元凶と批判され、1987年には自宅が右翼に襲われた。その後も、住銀東京営業部への発砲、バキュームカーで糞尿をまく事件が相次いだ。これに参った住友側は、安藤氏が全面的に謝罪するなど窮地に立たされたこともあった」(関係者)
バブル崩壊とともに、住友グループの中で個性派といわれた磯田一郎・住銀会長や河村良彦・イトマン社長(肩書はいずれも当時)が失脚。ただ1人残ったのが安藤氏だった。
「住銀は堀田庄三、磯田一郎、西川善文と独裁者型経営者を輩出してきたが、安藤もまた独裁者だった。安藤の前では、社長以下経営陣はろくに口をきけないという異常さだった。安藤に意見できる住友グループの長老たちが次々と引退したこともあり、誰も触れたくないアンタッチャブルな存在になった」(住友グループOB)
株主総会のたびに、安藤氏の引退説が取りざたされた。しかし、居座り続けたため、経営首脳陣の高齢化が進んでしまった。
ライバルの三菱地所が「新丸ビル」、三井不動産が「東京ミッドタウン」と東京・新名所のビッグプロジェクトをやったのに比べて、住友不動産は精彩を欠く。首脳陣の高齢化が要因とみる向きは多い。
東証1部上場の大企業の現役取締役の年齢が97歳。それ自体が仰天人事といえる。
ZAKZAK 2007/06/01