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談合のドンに聞く(上) 「この業界は護送船団」 平島 栄氏インタビュー
2001/06/01
かつて関西の談合組織を支配し、業界で「ドン」「天皇」と呼ばれた人物がいた。平島栄氏という。四年前、公正取引委員会に内部資料を提出し、業界を震撼(かん)させた後、舞台から姿を消した。彼が持つ談合の論理とは何か。沈黙を破っての証言を三回に分けて紹介する。
(聞き手 企画報道班・大角 毅)
背景に「共存共栄」
―九九七年、公取委に「談合あり」という書面を提出した真意は、今もってなぞのままだが
「マスコミや業界関係者は『タレ込み』とか、『内部告発』とかいって興味本位に取り上げたが、そんな言葉で片付けてほしくない。第一、書類の中身は公表されておらず、どうしてそう表現されたのか。あれは独禁法四十五条第一項に基づいた『申告』だ。そのことすら、理解してもらっていない」
「事実はこうだ。(提出した申告書と添付資料のコピーを手に)これは、大手ゼネコンや主な地元業者が近畿地区で前年の一年間にとった公共工事名、入札日、発注した行政機関、請負額などを各社ごとにまとめた内訳だ。どこにも、だれとだれが会って談合したとかいう具体的な説明なんかしていない。単なる統計資料だった」
―では、なぜ「申告」を。談合組織から排除されたことに怒り、逆襲に出たとまでいわれた
「(しばらく間をおいて)わたしの首をとるために大手ゼネコンや政治勢力が動いた腹いせ、という意見もあるようだが、それについては何とも申し上げられない。わたしは七十五歳まで、この業界で禄(ろく)をはんできた人間。過去のことは墓場まで持っていく」
「ただはっきり言えることは、自分だけが安全地帯にいて、すべて私のせいにする一部の連中に我慢ならなくなったのは確かだ。公共工事はその性格から考えて、できるだけ一部の業者に偏ることがあってはいけない。全体に公平に配分されるべきもので、大手ゼネコンといえども例外ではない」
―私たちは談合をなくすべきだと報道しているし、社会の目は厳しい
「談合というから、なかなか世間でその本質を理解してもらえない。わたしはあくまで『調整』してきただけだ。日本人は農耕民族であり海洋民族。そこには、乏しきを分かち合って共存共栄を図る思想があり、慣習法として認知された時代もあった」
「ところが、自由競争主義のアメリカから入ってきた独禁法では、そうした考え方は通用しない。不当な利潤をあげる価格カルテルと同じように扱おうとする。これはあまりにも理論が飛躍しているように思えてならない」
―談合は競争原理にそむいているのではないか
「公共工事の入札には、発注者が事前に決めた予定価格があり、日本では絶対的なものになっている。それを上回ることは決して許されない。これで競争原理が有効に働いているといえるだろうか。調整と価格カルテルはその動機、意図、目的、効果などの面でまったく異質、というのがわたしの主張だ」
―談合そのものを聞きたい。どういう方法で進めたのか
「ゼネコン各社には専任の営業担当者がいて、話し合いで落札予定者になる自称『チャンピオン(本命)』を選び、それと組むジョイント(共同企業体)をどこにするかを決めた。よほどの大規模工事でない限り、たいがいはこの段階で丸く落ち着くが、もめると個別に事情を聴いてヒントをあげただけだ」
「この業界はいわば護送船団。自分の会社の事情ばかり優先し、ダンピングで落札しようとするもんなら、規模の大小を問わず呼んで指導した。それは自分の首をしめるようなものだと。大林組の神戸支店にいたころから、陰で『天皇』とか『ドン』と呼ばれ、日本海から淡路までに知れ渡った」
―その異名をあなた自身はどう受け止めたのか
「悪いイメージともとられるが、私は四十年間、よき相談相手として信頼されたと理解している」
談合のドンに聞く(中) 平島 栄氏インタビュー
2001/06/02
震災で汗、受注は当然
―そもそも、談合の世界に入ったのは
「約四十年前の平社員時代、神戸で二十五億円もの民間工事があった。ライバルはゼネコンのほかに商社、鉄鋼業などそうそうとした顔ぶれで、相手は海千山千だった。そのうち一社の担当役員に何度も掛け合ったが、けんもほろろだった。やっと入札日の直前、談合への参加は断られたが、『根負けした』と入札額を教えてくれ、落札できた」
「このとき、どれだけ喜び勇んだことか。達成感でいっぱいだった。今でも、その光景は鮮やかに脳裏に焼き付いている。これをきっかけに、この世界でプロに徹しようと心に決めた。神戸での働きが認められ、四十一歳で大阪本店に営業課長として栄転した」
―大型公共工事とゼネコンについて聞きたい。あなたの名前が全国に知れ渡ったのは一九八〇年代。それを象徴するのが関西国際空港一期工事をめぐる動きだった
「平取(取締役)から常務に昇格したころだったと記憶している。関空構想が持ち上がって約三十年もたっていた。その間、構想は消えたり復活したり。計画段階になっても建設場所はどこか、国家プロジェクトになるのか、最後まで地元と永田町を舞台に揺れに揺れた。業界にとっても念願だった」
―空港島の建設は当初、海洋土木工事を主体にするマリコンが固い結束を誇っていたとうわさされた。それに風穴をあけ、陸上工事のゼネコンも請け負うことになった。そのキーマンが平島さんだったといわれるが
「(海上を埋め立てる土砂の)価格と出荷量をめぐって談合疑惑が取りざたされたが、もう過去の話。言い分はたくさんある。しかし、今さら蒸し返しても仕方がない。関空が無事に国家プロジェクトとして完成したのだから、それでいいじゃないか」
―神戸のことで、率直に聞きたい点が三つある。ゼネコンでつくる「神戸市安全協力会」が、談合をしたり政治献金を集めたりする窓口との指摘をあちこちで聞いた
「(間髪をおかず)だれがそんなデマを言っているのか。神戸にあるのは支店や営業所。そんなクラスで仕切れるわけがないし、政治献金などの決定権もない」
「協力会は大きな台風が発生したとき、加盟しているゼネコン各社が手分けして復旧を支援するのが役割だ。わたしの号令でつくった。昭和四十七(一九七二)年ごろだったと思う」
―阪神・淡路大震災の復旧・復興工事にからみ、談合はなかったのか
「震災では神戸港の岸壁、鉄道、下水道、阪神高速道路などの公共施設が壊滅的な被害を受けた。その直後から、ゼネコンは全国から何万人もの従業員を被災地へ動員した。重機でビルを解体し、がれきをダンプで運んだ。困難を極める作業が何日も続いた」
「そんなにがんばったんだから、復旧や復興工事で、それまで汗を流したゼネコンに仕事がいくのは当たり前。発注者側の意向とも一致した。そのどこがおかしいのか。にもかかわらず、中小や地元業者からは仕事が回ってこないと不満が続出した。あとで『あれは平島が(工事を)振り分けた』と言われているのを聞いて、怒りを通り越して情けなくなった」
―神戸空港の建設についてはどうか
「そのころは会社(西松建設相談役)を辞めていたので、関知していない。ただ、当初の計画は(工事区域が)五工区か六工区だった。当時は、業界が不況で仕事が減っていたので、多くの会社が参加できるように工区を増やし、ジョイントも多くした方がいいのでは、と何人かに話したことはあるが」
―それはいつ。相手は業界関係者、それとも地元か中央の有力者なのか
「言えん。ほんの雑談だった。それ以上のせん索はやめよう」
談合のドンに聞く(下) 平島 栄氏インタビュー
2001/06/03
責任及ばぬ「天の声」
―業界の現状をどう見ているのか
「好景気のころは市場規模が九十兆円あった。しかし、バブルがはじけた後遺症で民間投資は落ち込み、頼みの公共工事も財政難を背景にどんどん減っていく。市場規模は六十兆円を割り、全国に約六十万社あるといわれる業者はいつ倒産や廃業に追い込まれてもおかしくない」
「この業界で働いている人は約六百八十万人といわれる。家族と下請けを加えたらどれだけの規模になるか想像してほしい。しかも、いつの時代も他産業からの失業者の受け皿になってきた。それだけ、日本経済の中で果たしている社会的役割は大きい」
―しかし、公共工事はもうかるとの見方が強い
「だから困る。わたしが携わった土木の場合、大手ゼネコンでも利益は三%に満たない。ここから一般管理費を引くとわずかだ。建築の民間工事に比べるともうけは薄い」
―取材で何度か「天の声」という言葉を聞いた。実態はどうなのか
「たとえば独禁法のガイドライン(指針)を読んでほしい。原則として違反になるものの考え方に『かりに第三者による受注(落札)予定者の推奨があった場合においても、事業者(業者)が共同してまたは事業者団体が、その推奨に従うことを決定すれば、受注予定者の決定に当たる』と書かれている」
「第三者とは『天の声』ではないのか。推奨という表現になっているが、天の声は推奨という言葉で片付けられるだろうか。あらかじめ天の声で受注予定者は決まっていて、業者間で談合する余地がなかったにもかかわらず、天の声に従って入札手続きをしただけで違法行為になる」
「つまり、談合する以前の問題だ。ばれても天の声に責任が及ばない。業者はそれを承知でやったんだから、お前らの責任という。そんな不条理が許されていいものか」
―政治家や官僚がからんだ「官製談合」はまさにそうだと
「官製ではなく『官政』ではないか。昨年摘発された北海道のケースでは官僚や議員などが介入していた。天の声は役人が含まれるケースも多い。しかも厄介なのは、天の声がだれなのか、業者によってまちまちなこと。そして罰せられるのはいつもわれわれ業者だ」
―天の声には逆らえないのか
「そんなことをしようもんなら、次から入札で指名の声がかからず、徹底的にやっつけられる。だから、業者は知らぬ存ぜぬを決め込み、天の声があったことさえ言えない」
「経験によると、権力に挑むことはどんなに大変か。だれが頼んだのか分からないが、闇(やみ)の世界からメッセンジャーがやって来て、身の危険を感じる事態にそう遇することもあった。それでも、わたしは自分の信念を貫き通した」
―土木・建設業界には国際化の波も押し寄せている。談合に頼らずに生き残っていくためには一体、どうすればよいのか
「入札方法をいくら改正したり取り締まりを強化したところで、今の状況や法解釈のままでは談合はなくならない。大手ゼネコンは自由競争にしてもいいが、せめて地方や中小の建設業は独禁法の適用除外にするぐらいの英断を求めたい」
「いつまでも『ほかの会社はどうか知りませんが、うちは(談合を)やってません』と逃げ隠れしていても、業界に明るい展望はない。二十一世紀を迎え、若い世代の人たちのためにも、独禁法のあり方について、政・官・業が建前でなく一緒に本音で議論すべき時期にきている。四十年以上にわたって一線で突っ走ってきた者として、そう願わずにはいられない」
ひらしま・さかえ 1922(大正11)年、長崎県生まれ。大林組常務、常勤顧問を経て、93年西松建設に。97年6月、同社取締役相談役を退任。神戸市在住。
□ 平島氏が触れたように、談合は発注側の行政、さらに議員のかかわりなど幅広い問題をはらんでいます。そうした点についての意見や情報などをお寄せください。企画報道班TEL078・362・7049、ファクス078・360・5501、電子メールのアドレスはdangou@kobe-np.co.jp