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97年9月1日から、各保険制度の財政赤字を理由に、患者の自己負担増を軸にした新保険制度がスタートした。これにより、サラリーマンや公務員の医療費における本人負担分は、従来の一割から二割に倍増する。薬剤費も、従来は負担ゼロだったのが、一日分につき2〜3種類なら30円、4〜5種類60円、6種類以上は100円を患者本人が負担しなければならない。高齢者の入院時の負担も、現行では1日710円のところが1日1000円になり、98年には1200円までアップする。
政府管掌健康保険(中小企業のサラリーマンなどが加入)の保険料率も、8・2%から8・5%に引き上げられ(引き上げ分は労使折半)、総額としては、約2兆円の負担増となる。
今、サラリーマンの懐具合は決して楽ではない。不況が長引き、所得の伸びは著しく鈍っている。97年4月には消費税率がアップしたばかり。そこへ追い打ちをかけるかのような今回の医療保険の負担増である。サラリーマンの間に不満といらだちが鬱積(うっせき)していないといえば嘘になる。
にもかかわらず、抵抗らしい抵抗の声も上がらず、政治問題と化すこともなく、改正案が国会を通過した背景には、現行の医療保険財政が赤字に転落、破綻の危機に瀕しているという現状があり、そうした現状に対する認識が、渋々ながらも広く国民間にいきわたっているからだろう。政府管掌健康保険の場合、92(平成4)年度まで黒字だった単年度収支は、93年以降赤字に転落し、95年度には、2,783億円もの赤字を出した。
もっとも、今回の負担増も実は焼け石に水であり、2年後の99年には破綻が確実視されている。改正後の新制度でも、政府簡保の単年度収支は4,050億円の赤字。この赤字の穴埋めのために、96年度末現在で約5,500億円残っている積立金(事業運営安定基金)が取り崩されるが、それも98年度末には底をつく。厚生省の統計によれば、2001年度には、8,840億円の赤字になると推計されており、さらなる負担増は息つく間もなく必至である。
この底なし沼のような悪循環から逃れるためには、薬漬け医療の元凶とされる現在の薬価基準制度や出来高払い制を中心としている診療報酬体系など、現行の保険制度を抜本的に見直す「構造改革」に速やかに着手しなければならないという声が、医療界や厚生官僚、有識者の間で高まっている。
しかし、その「構造改革」なるものも、まだブループリントの段階であり、国民に過酷な負担増を強いることなく、また、医療の質の低下を招くこともなくスムーズに実行に移せるのか、またその結果として健保財政の赤字は本当に解消できるのか、保証の限りではない。「改革」に手を染め、いたずらに制度をいじったあげく、今までよりも状況が悪化する、ということも充分ありうることだ。
「構造改革」といえば聞こえはよいが、要はギャンブルである。濃厚診療の元凶の出来高払い制を定額払いに切り替えたために、今度は過少診療が問題化する恐れがある。むろん、現行制度のまま何もしなければ、待っているのは際限のない保険料の値上げだけであることは明らかだが、といって「座して死すよりはまし。打って出るべし」という闇雲な追い詰められた気分にかられて突っ走るのも考えものである。「構造改革」を論議すること、大いに結構だが、その前にやるべきことは果たしてないのか。
ある。「構造改革」をやろうがやるまいが、そんなこととはお構いなく、是が非でもやらなければならないことがある。保健医療費の不正請求の摘発強化である。
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様々な不正請求の手口
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約27兆円にのぼる保健医療費のうち、約3割は不正請求である、と断言するのは、医療機関に対して診療報酬の指導や監査にあたっているベテランの現役指導医療官のA氏である。
「保健医療費のうち、ブラックゾーンとグレーゾーンがかなりのパーセンテージを占めています。グレーゾーンとは、不正や過誤の可能性も高いが、レセプト(診療報酬明細書)を一見しただけでは断定ができない不透明な請求のことで、ブラックゾーンとは医師や医療事務担当者が確信犯的な意識をもって行った不正請求で、監査をすれば不正を立証できる可能性の高い請求のことです」
ややこしい話になるが、ここで診療報酬払いの仕組みを説明しておこう。
診療報酬は、社会保険診療報酬支払基金と国民健康保険団体連合会が、各医療機関から提出されたレセプトを審査し、算定したうえで各保険者に請求される。保険者とは、被保険者の支払う保険料を預かる各健保組合(組合管掌健康保険)特に(政府管掌健康保険)および市町村(国民健康保険)のことである。ここでレセプトを点検の後、支払基金・国保連を通じて、診療報酬が各医療機関に支払われるのである。こうした一連の過程のなかで、不正が行われるわけだが、ひと口に診療報酬の不正請求といっても、その手口は様々である。
診察や検査・投薬などの医療行為を行っていないのに、被保険者の保険証のコピーなどを流用し、診療報酬を請求するのが、「架空請求」である。保険請求が認められていない健康診断を、診療行為を行ったとする手口も、この架空請求のカテゴリーに含まれる。最近の事件としては、大阪市北区の淀川善隣館付属診療所が、中小企業を対象にして行った無料健康診断の際、必要がないのに健康診断のコピーを提出させて、カルテを偽造し、約1億8,000万円を不正請求していた例が挙げられる。
診察や調剤などの診療行為を患者に対して行ったうえで、その患者に行っていない診療費を上乗せして請求する手口を「付け増し請求」という。似たような手口だが、ある診療行為を実際に行っておいて、請求の段階でより点数の高い診療行為を行ったことにして水増し請求することを「振り替え請求」と呼ぶ。
また、ひとつの診療行為で、患者の自己負担分を保健と偽って請求するのが「二重請求」である。こうした「架空請求」「付け増し請求」「振り替え請求」「二重請求」などは、すべてA氏の定義する「ブラックゾーン」に分類される。
前出のA氏の話に再び耳を傾けよう。
「レセプトの審査というのは、書かれている検査と病名、そして投薬等の診療内容が、適切な対応関係にあるかどうかをチェックすることです。Aという病気に対して一般的に用いる薬Bではなく、薬Cが多量に使われていたり、「軽い疾患なのに、不必要に検査回数が多かったりすえば、怪しいということになる。つまり『作文』として論理的に辻褄(つじつま)があっているかをみるわけです。
しかし、患者の容態が急変するなどして、医師の裁量で緊急処理をなされたような場合もあり、作文としての辻褄が合わなくても、不正とは一概に決めつけられない場合も多い。逆にレセプト一枚単位では辻褄があっていても、一つの医療機関で似たような『作文』が頻出するような場合は、怪しいと思われる。とはいえ医師側からすれば、言い逃れができないことはない。そうした、ボーダーライン上の請求を、グレーゾーンと呼んでいるのです。
長年にわたって支払基金と国保連の両方で審査委員を務め、レセプトを実際に審査してきた人間として言わせてもらえば、明らかにおかしい、きちんと監査を行えばまず間違いなく不正が破格すると思われるブラックゾーンのレセプトは、全体の約3割を占めていると断言できます。95年度の保健寮費総額は約27兆円ですから、このブラックゾーンをカットするだけで、9兆円も減る。少なく見積もって1割をブラックとしてカットするだけでも、2兆7,000億円が浮くことになります」
A氏の言う通り、膨れ上がる一方の保健医療費の3割が「ブラック」であるならば、これをきちんと摘発してゆくのは喫緊(きっきん)の急務であろう。換言すれば、悪質なケースを確実に摘発することすらできなければ、健保財政の苦境は改善されるはずもない。
それでは、不正請求摘発の実績は、現実にはどの程度のものなのだろうか。
95年度に、不正が発覚し、健保組合などの保険者に対して変換するように命じられた不正請求の総額は、約46億1,400万円である。その内訳を記すと、監査を受けたのは医師150人、歯科医師16人、薬剤師54人と、病院・診療施設56施設(歯科含む)、薬局48施設。その中で手口がきわめて悪質であったり、不正請求額が大きかったなどとして、保険医の資格を取り消されたのは医師12人、歯科医師6人。保健医療機関の指定を取り消された病院は9施設、歯科医院は6施設である。
約46億円という金額は、巨額に聞こえるかもしれないが、先にA氏があげた「ブラックゾーン」の「9兆円」という数字のわずか2,000分の1にすぎない。むろんA氏は大雑把な実感を述べたのであって、正確な統計数字とは違う。実態以上に誇大に思い込んでしまっているかもしれない。しかし、そうであるにしても、数字がかけ離れすぎている。
では、95年度だけ不正請求額が例年になく低かったのかといえば、そうではない。逆である。95年度分のこの数字は、薬害エイズで悪名をはせた製薬メーカーの「ミドリ十字」などが、未承認の放射性検査役を大量にあちらこちらの病院にばら撒いたため、不正請求額がハネ上がった89年度の約69億円に次ぐ、史上2番目の数字なのである。
参考までに、過去10年間の不正請求返還額を並べてみよう。
86年度 15億3,655万円
87年度 22億643万円
88年度 45億7,200万円
89年度 69億893万円
90年度 24億6,741万円
91年度 26億7,989万円
92年度 28億5,086万円
93年度 31億4,107万円
94年度 36億1,519万円
95年度 46億1,377万円
この10年間の総額を1年平均にならしてみると、33億5,921万円。95年度が、「例外的に高額」なのは、厚生省によれば、「保険適用が認められていない、内視鏡を用いた手術を行って、診療報酬を不正請求したケースが全国で多数見つかったため」だという。
大型のケースが摘発された年は数が伸びるが、そうでない都市は20億円台が「例年並み」なのだ。
おそらく97年度の不正請求額は、再び「例外的な高額」となるに違いない。大阪の安田病院グループによる巨額の不正請求事件が発覚したからである。A氏の指導医療官としての「実感」と、摘発された不正請求額の乖離(かいり)の謎はひとまず横において、安田病院事件を検証しながら、不正請求の実態はいかなるものかを見てみよう。
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2年間で不正請求
20億円
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97年7月17日午後、大阪地検特捜部と大阪府警は、安田基隆院長(77歳)が実質的に経営する安田系列3病院に対して、診療報酬の不正請求による詐欺容疑で強制捜査を行った。
これに先立ち、大阪府と厚生省が、97年3月に3病院に対して行った立ち入り調査により、187人の職員が、実際には在籍しない「幽霊職員」だったことが発覚、不正受給した診療報酬は約20億円近くにのぼることが明らかになった。
この20億円という金額は、95年と96年の2年間にわたる不正請求の総額であり、それ以前の数字は含まれていない。安田院長のワンマン経営のもと、不正行為が組織的、継続的に行われていた状況から考えて、大規模な不正請求はかなり前から行われていたとみて、まず間違いない。過去に遡(さかのぼ)って、すべての不正請求を算定したとしたら、途方もない金額になると思われる。
安田病院グループが不正受給した約20億円という金額は、先にあげた過去の不正請求事件と比較すると、いかに大きいかはっきり実感されるだろう。統計を完全に調べきれたわけではないので断言はできないが、一人のオーナーが実質的に経営してきた病院の不正受給額としては、おそらくワーストスリーに入るのではないか。この事件が97年度分の不正請求返還総額を大幅に押し上げることになるのはまず間違いない。
7月28日には、安田院長と病院幹部らが詐欺容疑で逮捕されるに至ったが、彼らが不正に搾取してきた金はもとはといえば、我々、被保険者が自分の財布の中から毎月コツコツと支払ってきた貴重な金である。それを盗み取ってきた安田院長らの行状は厳罰に処されるべきであり、同情の余地はない。
しかし、問題なのは、安田院長のようなケースは、ごく特異な例外なのかどうか、である。
安田病院グループは、史上まれにみる悪質な不良医療機関であるのか、それとも、「ブラックゾーンのほんの氷山の一角」にすぎないものの、たまたま運が悪く摘発されてしまったのか、一体どちらなのかという疑問である。
近畿在住のある医療関係者は、「安田だけが特別だとはいえない」と言い切った。
「たしかに安田系列の3病院は、不正請求のやり口にしても、医療の質の低さをみても、悪質きわまりない。しかし、同様の病院が他にないかといえば、残念ながらそうではない。
安田病院は『うば捨山』的な老人病院の典型であり、大和川病院はこれまた典型的な『強制収容所タイプ』の前近代的精神病院で、大阪円生病院は、行き場のない高齢の生活保護者や病気になったホームレス、いわゆる『行路病人』などを入院させている『行路病院』でした。
家族からも社会からも見放されてきた社会的弱者を、積極的に受け入れてきた、といえば、聞こえはいい。しかし実態は、世間が『厄介払い』した患者を引き受けるから、そのかわり甘い汁をすわせろ、という暗黙の了解が行政との間に成立していたのです。
ひどい不正行為を働いているのかどうかはともかく、似たようなタイプの病院は大阪だけでも幾つもあります。本格的にメスを入れれば、おそらくあちこちから膿がいっぱい出てくるでしょう」
不正の実態が明らかになった後では信じがたいことなのだが、診療報酬の不正をチェックする機関の間では、安田グループはノーマークで、ブラックリストにも載っていなかったという。
安田系列3病院に対して立ち入り調査を行った大阪府福祉部社会保険管理課の井上五雄医療管理官は、こう語る。
「我々は捜査機関ではない。強制捜査権もありません。我々の調査できることは任意の調査どまりです。したがって、病院側の協力とお互いの信頼関係がなければ、我々の仕事は成立しません。確信犯的に届け出を偽造されたりすると、見抜くのは大変難しい。
また、調べにあたる人員の絶対数も足りない。府下の約600の病院に対し、わずか2、3人で審査・調査にあたっており、とてもじゃないが、すべてに目が行き届かないのが現実です。
それゆえ調査の対象は、不正が行われているという情報が多く寄せられた要注意の病院に限られる。それ以外の病院は、書類が整ってさえいれば、信頼せざるをえません。安田の場合は、その要注意リストの中に入っていませんでした。
レセプトの請求額が、常に高額であれば、『要注意』となるのですが、安田系列3病院の場合、レセプト1枚あたりの請求額は高くなかった。平均か、それ以下だったのです』
7月に入ってから安田側は「病院側の見解」という文書を発表しており、その中でこう主張している。
「当病院においては、現在迄社保、国保診療報酬基金審査委員会においては、優良病院であって今迄あまり減点もなく注意も受けておりませんのに、今回突如診療内容の指摘を追加されるのは何故でしょうか。当病院の請求点数は、日本全国の平均請求点数以下で医療保険の経済に協力しております」(原文ママ)
過去に大阪府医師会の理事や、住吉区医師会長を歴任した安田容疑者は、診療報酬支払基金の審査委員を務めた経験もある。皮肉な話だが、彼はレセプトをチェックして不正を見つける立場の人間だったのである。
安田容疑者は、膨大な数になる系列3病院のレセプトすべてを自分でチェックしていた。レセプト審査の裏も表も知り尽くしていた彼は、減点査定されないよう、レセプトの「作文上の辻褄合わせ」に余念がなかったのである。
おそらくレセプト審査委員の内では、安田系列3病院は「グレーゾーン」扱いにすらなっていなかっただろう。レセプトの書面審査だけでは、実はすべての不正を見つけるのは困難なのである。
安田系列3病院では、職員数を水増しして届け出て、高い点数の基準看護料を受けとる一方、実際の職員数は極力少なくしてコストを圧縮し、不当利益を手に入れていた。そうした暴力的なコスト削減の結果、寝たきり老人の患者らは電気代節約のために冷暖房を切られた病室で、ろくな診療も介護も受けられず、放置されていたわけである。
医療機関における不正の横行は、財政の悪化といった経済問題の次元にとどまらず、患者の生命や健康を脅かすことになりかねないところが恐ろしい。
こうした職員数の水増しによる不正請求を見抜くのは、レセプトの書面審査だけでは困難で、立ち入り調査などによる医療実態の把握が欠かせない。
問題は、今回のケースの場合、その実態把握が極めて杜撰(ずさん)だったことだ。医療機関の職員数などの把握は、大阪府では、環境保健部の医療対策課が管轄する。同課では、年1回定例の医療監視を行っているが、常にその結果、安田系列3病院について「問題なし」と報告してきた。安田側の偽装工作を見抜けなかったのである。
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「医師性善説」という前提
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今回の不正の摘発は、直接的には今年の3月に厚生省と府が、定例の医療監視とは別に合同立ち入り調査を行った結果だが、そもそも行政が重い腰を上げたのは、あいついだ元職員らの内部告発や、患者に対する虐待など、大和川病院における精神医療の問題を指摘し続けてきた弁護士グループの調査などがあったからである。
そうした外部からの働きかけがなければ、安田らの不正は半永久的にものがされ続けたかもしれない。通常の不正チェックシステムは、事実上、機能していなかったのである。
大阪府医師会理事を務める大北外科病院の大北昭院長も、行政のチェックシステムの機能不全を厳しく批判する。
「病院責任者側の責任は当然問われなければなりませんが、今回の安田病院の不正請求問題で明らかになったのは、行政の責任も非常に大きいことです。府の医療対策課は何をしていたのか。ルールに則(のっと)ったきちんとした医療監視がまったく行われていなかった。
また、病院側が出した新看護基準の届け出を受理するに際しても、府の社会保険管理課や国民健康保険課は、医療現場の実態をまるで把握していなかった」
チェックシステムが機能していないということは、端的に言ってしまえば、安田グループのような医療機関がまだまだ他の存在し、当局に摘発されることなく不正を働いている可能性がきわめて高いということだ。
ここで留意すべきは、安田系列3病院の規模を病床数ではかると、日本中の医療機関の全病床数のわずか0・07%を占めるにすぎないこと、そしてたかがこの程度の規模の病院が行った不正請求事件が、先に述べたように、「過去に例をみない巨額の不正請求事件」になってしまうことである。
私たちは、安田グループのしでかした不正請求の額の大きさに驚くのではなく、実は過去10年間に摘発された不正請求が、年平均わずか33億円でしか内という金額の少なさにこそ驚くべきではないいか。そう思ってみれば、指導医療官A氏の挙げた「ブラックは9兆円」という途方もない数字も妙にリアリティを帯びてきて、あながち真夏の夜の怪談話ではないと思われてくる。
厚生省のノンキャリの某課長代理は、「薬害エイズ問題を引き起こしたり、現役の事務次官が逮捕されたりと、ウチも大きなことをいえた義理ではないですが」> と苦笑いしながら、匿名を条件にこう語った。
「率直に言いますと、問題のある病院というのは、一般の方が想像されるよりはるかに多いんです。20数年間この仕事をしてきたおかげで、『聖職者』扱いされてきたお医者さんの裏の顔を嫌というほど見てきたものですから、本当に医者不信、病院不信になりましたよ。
ところが、いざ医者のやっている不正を糺(ただ)そうとすると、これが実に難しい。医師免許は法律でとてつもない特権を保証されていますから。これは医師というエリートは、悪いことをしないという『医師性善説』の前提に立っているからです。
同様に医療監視にしろ、何にしろ、医療に関する現行の法体系やシステムはすべて、基本的に『医師性善説』を前提にしているものだから、私らなどはたいしたことはできない。できることは、口頭や文書で改善を求める指導が大半です。
そのなかで、悪徳医師や問題のある病院に対して影響力を行使できる数少ない分野が『保険』なんです。だから、乱脈診療をやっていて問題だという病院に対して、その診療内容にストレートに切り込むことはまず無理なので、保険の不正の問題を突破口にして入っていくことが多い。しかしそれも、よほど確実な証拠が手に入ってからでなければ動き出せない。そういう法制度になっている。内部告発の手紙などは、私らのもとにも数多く寄せられるんですが、残念ながらそのほとんどが証拠不足で、動きようがない。我々としても実に、はがゆい限りなんですよ。
不正請求は間違いなく、医療費の膨張に一役も二役も買っていますから、なんとか手を打たなくてはいけないんですが。
期待しているのはレセプトの開示です。これが進めば、不正の発見につながり、ひいては不正請求そのものの歯止めにもなると、期待しているんです」
不正を減らすことができなければ、どのような制度改革を断行しようとも、保険料の引き上げを何度繰り返したとしても、赤字は決して減りはしない。現状のままでは、バスタブの栓を抜いたまま、お湯を注ぎ続けるに等しい。
ところが、子供でもわかりそうなこの理屈が、まったく理解されていない。
96年11月に厚生大臣諮問機関の医療保険審議会は、小泉厚生大臣宛に医療保険制度改正の建議書を提出したが、その文書のどこにも、不正摘発のメカニズムの見直しや強化について言及した箇所がない。意図的にかどうかはともかく、見事なまでにすっぽりと抜け落ちてしまっているのである。
なぜ医療界や厚生行政の世界では、こんな基本的な問題意識が欠けてしまっているのだろうか−−。
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さらなる負担を国民に
求める厚生省
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本稿のこれまでのところは、『世界』97年9月号に掲載された。以下、同誌10月号に発表した続編を続ける。
拙稿の全編の中で、「保健医療費27兆円のうちの約3割=約9兆円は不正請求の疑いが極めて高いブラックゾーン」という現役指導医療官の証言を紹介したが、これが思わぬ反響を呼んだようである。「あれが事実なら許せない。なぜ今まで行政は放置してきたのか」という読者の声や、他のマスコミからの問い合わせが私のもとに寄せられた。97年8月10日に放映されたNHKの「日曜討論」では、「医療費の約3割が不正請求という話があるが、事実か」と問いつめられた日本医師会幹部が、弁明に終始するという一幕も見られた。
読者の驚きや憤りはもっともである。9月1日からスタートした新保険制度により、患者の自己負担分が大幅に増えることになった。ところが厚生省は、新制度がまだ実施されてもいない8月の段階で、さらなる負担増を国民に求める腹づもりであることを明らかにした。8月8日に発表された「21世紀の医療保険制度」という厚生省案によれば、保健医療費における患者負担分を一律3割、大病院の外来にかかった場合には、何と5割まで引き上げるというのである。
しかも、この厚生省案には、不正請求摘発のための具体策は、例のごとく何も書かれていない。健保財政の破綻のしわ寄せを、国民に対して負担増という形で一方的に押しつけながら、不正請求の摘発についてはまるで及び腰なのである。
職員数を水増しするなどして、約20億円もの診療報酬を不正受給していた大阪・安田病院の安田基隆院長らが7月28日に、詐欺容疑で逮捕されたが、安田病院と同様の悪徳病院は全国どこにでもあることを、この国の庶民は肌で感じている。小手先のごまかしの「改革」では、もはや国民を説得することはできない。
医療ジャーナリストの油井香代子氏は、こう語る。
「診療報酬の不正請求が医療費を押し上げる一因となっています。ところが、厚生省はその不正請求を放置したまま、健康保険の自己負担増という一番安直なやり方で、健保財政破綻の危機を切り抜けようとしているのです。
現行の指導医療官制度は充分とは言えないものですが、少なくとも指導医療官が給料に見合う働きをできるようになりさえすれば、自己負担分をカバーしてありあまるほどの不正請求を抑えられるはずなのです」
前号でも述べた通り、どれだけ国民に負担増を負わせたとしても、はびこる不正請求を放置していては、医療費の伸びを抑えることはできない。栓を抜いたまま、バスタブにお湯を注ぐようなものである。
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歯科の不正請求は約5割
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なぜ、こんな状況がまかり通るのか。
第一の理由として考えられるのは、レセプトの審査そのものが、おざなりなのではないか、という疑いである。
前号で登場願った現役の指導医療官A氏は、レセプト審査の実態についてこう述べる。
「レセプトの審査は、期日がひどく限られている。支払基金の場合は、月に5日間、国保は4日間です。こんな短時日で、膨大な量のレセプトを、ほんの数人の審査委員で見なければならない。一日中やっていると腱鞘炎になるほどです。
一枚のレセプトを審査するのに要する時間は、だいたい3秒から5秒。パラパラとめくるだけで、念入りなチェックなど、のぞむべくもない。審査委員の中には、まったく何も見ないでハンコを押しているような人もいます」
そんな杜撰(ずさん)な審査しか行われていないにもかかわらず、支払基金はレセプト一枚の審査につき113円60銭の手数料を取っている(現在は116円80銭に値上げされた)。その手数料も、すべて我々が納める保険料から支払われているのである。
不正が横行するもうひとつの理由として、何といっても医師自身のモラルの低下をあげなくてはならない。
「今の医者たちは、自分の利権さえ守れれば、国の財政がつぶれても構わないと考えているんじゃないでしょうか」
そう言いきるのは、群馬県高崎市でしか医院を開業している丸橋賢氏である。
「一般医科の不正請求もひどいが、歯科の不正はもっとひどい。歯科の診療報酬請求の5割は不正請求です」
丸橋氏はそう言いきると、県内の歯科医院のレセプトのコピーを見せた。
「これは、この病院の職員が私のところへ送ってきた内部資料です。これをみると、患者に対して盲嚢掻爬(もうのうそうは)術という歯周病の手術を行ったことになっていますが、実は架空請求なのです」
この盲嚢掻爬術という手術を行ったとして請求する歯科医院は、高崎市内でも非常に多い。ところが不思議なことに、県内の医療機器卸売業者によれば、この手術に必要なグレーシー型キュレットという特殊なメスを購入している歯科医院は、高崎市内ではほんの数件しかないという。
「それ以外の歯科医院は専用メスすらもっていないのに、平然と架空請求し続けているわけです。これはほんの一例で、不正請求のやり方は何十種類もあります。医者の間では、ただ単にレセプトに『作文』を書き込むだけでおカネが入ってくるため、『魔法のボールペン』などと医者の間では呼んでいます」
率直に言えば、丸橋氏から「5割が不正請求」と聞かされても、にわかには現実感が湧いてこなかった。
ところが後日、都内の某歯科大学に勤務するC教授に尋ねたところ、「歯科の不正請求は、保険請求の約半分を占めているはず」と、丸橋氏の言葉とまったく一致する回答が帰ってきたのである。「最近、こんなことがありました」と、C教授は語る。
「私のところに警察の捜査関係者が、都内のある開業歯科医のレセプトをもってやってきた。詐欺の疑いがあるから見てくれという。見てみると、ある年にある患者の歯を抜いたことになっているのに、翌年は同じ患者の同じ箇所を、虫歯治療して充填したと書いて請求している。滅茶苦茶なんです。
ところが、警察の内偵捜査が進んでいるという情報が、その開業医の耳に入ったのでしょう。逮捕に至る前に自殺してしまった。痛ましい話ですが、発覚したら自殺しなけりゃならんと思いつめてしまう犯罪行為を、はぜ、積み重ねてきたのか。愚かしいというしかない」
問題はその後である、とC教授は言う。
「その歯科医師が卒業した大学の関係者たちが、『誰が密航したのか、調べ上げて制裁してやる』と言って息巻いているのだそうです。もしも彼らが、自分の大学のOBの自殺を悲劇だと思うなら、そんな悲劇が二度と起こらないように、学生やOBに対して不正請求を行わないよう、指導を徹底すべきでしょう。
嘆かわしいことですが、医者の世界問いのは非常に閉鎖的で、身内をかばいあう結束意識だけ強く、当たり前の社会常識が通じないところがあるのです」
不正請求がなぜかくも横行するのか、その理由の一端が、C教授の語るエピソードの中に図らずも表れている。
開業医は一人ひとり独立した存在のはずである。にもかかわらず、なぜ足並みをそろえて、似たような手口で不正請求を行っているのかといえば、大学単位や地域の医師会単位で結びつき、互いの不正をかばいあう風潮が蔓延しているからなのだ。加えてそこに行政や政治との癒着が加わる。構造的な汚職のメカニズムが確立されてしまっているのである。これが不正請求が横行する第三の理由である。
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抱かせろ、飲ませろ、
握らせろ
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前出の丸橋氏は、癒着と馴れ合いの現状について、こう告発する。
「どこの都道府県でもそうですが、不正は歯科医師会ぐるみで行われています。医者が高い入会金や会費を払って、医師会に入るのは、不正請求してもお目こぼしとなるよう便宜をはかってもらえると期待しているからです。逆に、医師会を批判したり、不正に対して毅然とした態度をとると、ひどい目に遭います」
丸橋氏はかつて地元の群馬県歯科医師会の理事を務めていた。その当時、不正行為が蔓延している現状を医師会内部で批判したところ、嫌がらせや脅迫があいつぐようになったという。
「いたずら電話がかかってきたり、脅迫の手紙が届いたりなどというのは序の口です。現状を憂える少数の仲間の医師たちと会合を開くと、どこから聞きつけたのか、その席に、頼んでもいないのにコンパニオンがやって来たり、5万円のお刺身セットが届いて請求されたりする。
それだけではない。不審な人物が家の周囲をうろついて、『丸橋の暮らしぶりはどうか、どんな人間が出入りしているか、娘は何歳か』などと近所の人に根掘り葉掘り聞き回ったりするのです」
丸橋氏が見せてくれた脅迫の葉書のひとつには、「青二才、責任を取れ! 取らずば天誅を下す(家族・家)」と大書きされていた。
「ある時、私のところに監査の通知がきた。冗談ではない。不正請求など一切していないのに、監査に入られるいわれはない。私は手続きを踏んで異議申し立てをしましたが、監査は強行されました。
ところが、当時の指導医療官本人は、常勤なのに、歯科医院を役所の目の前で開業し続けていた。保健課の人間もいい加減なもので、適当な時刻に『先生そろそろ』といって呼びに来る。彼が抜け出している間は、無資格の助手や妻が、患者の歯を削ったりする。もちろん、無資格診療ですから完全な違法行為です。
あまりにも目に余るのでこの人物を告訴した。すると私に圧力をかけていた連中もまずいと踏んだか、それ以降、脅迫も嫌がらせもぴたりと止まりました」
同様の圧力を味わった医師は他にもいる。やはり、地元の歯科医師会に対してたてついた人間ばかりであるという。
「逆に、医師会の実力者や上層部の移行に従順な人間に対しては、レセプトの審査も確実に甘くなるんです。
群馬県内のある市の歯科医師会長が、不正請求のため監査にかかることになったのに、結局、もみ消されてしまったことがありました。私自身が県の保健課の職員から聞いた話では、自民党の中曽根派の県会議員が6回も保健課に足を運び、圧力をかけたそうです。
地元医師会は、いざというときのために、政治連盟を通じて有力議員たちに欠かさず献金しているのです。現役の歯科医師会役員の不正が発覚したのに、たった数百円の返還で済んだという事例もありました」
医師会と、レセプトを審査する審査委員会および指導医療官の馴れ合いはひどい、と丸橋氏は憤りを隠さずに続ける。
「審査委員会は本来、学識経験者の代表と診療担当者(医師)代表、保険者代表の三者で構成されなくてはならないと、国民健康保険法などで定められていますが、すべて地元の医師会会員が占めるという異常な状態が続いてきました。診療報酬を請求する側の人間たちが、自分たちのレセプトを審査しているわけですから、不正の摘発など不可能です。
また、指導や監査を専門的に行うべき立場の指導医療官も地元医師会とべったり癒着している。そもそも指導医療官が、地元の医師ではどうしようもない」
群馬県の場合、現役の歯科医師会の役員が二代にわたって続いた。これではチェック機能などまったくないに等しい。
「レセプトの審査委員会が終わった日は必ず、指導医療官は医師会の接待を受けるのが慣例になっていました。一次会は料亭、二次会はクラブやスナック、そして最後に医師会にあてがわれた女性とホテルに泊まってしめくくるんです。忘年会や納涼会でも同様です。
たびたび『講演会』と称する催しが医師会主催で開かれるのですが、その場合も最初から会場は料亭なんです。
一般会員が酒を飲みながら待っていると、『講師』の指導医療官が、医師会の役員らとともに、すっかりできあがった赤ら顔で登場する、そしてその指導医療官が、酔っぱらったまま、ひと言『本日はお招きに預かりまして、ありがとうございました』と挨拶すると、『講演』は終わりとなり、講演料名目の現金が手渡され、あとはただの宴会となってしまう。
そして最後はお決まりですが、医師会が用意した女性とホテル行きとなるのです。これらはすべて、私自身がこの目で目撃したことばかりです」
「抱かせろ、飲ませろ、握らせろ」という、贈収賄における黄金の「三位一体」が、何ひとつ欠けることなく、衆人監視の中で堂々とまかり通っているわけである。信じがたい腐敗ぶりと言う他はない。
丸橋氏らが厚生省に直接働きかけたこともあり、現在の群馬県の指導医療官のポストには、地元の利害とは関係がない中央採用の人物が就いている。しかし、「状況はまだまだ改善されていない」と丸橋氏は言う。
「審査委員会の方はほとんど変化がない。大学関係者が二人だけ加わりましたが、あとは医師会の息のかかった人物ばかり。医師会の会員たちが、自分たちの都合のいいように、甘い汁を吸える利権構造は今でも温存されたままなのです」
やりきれない話であるが、こうした癒着と腐敗の構造は、群馬県内だけに見られるものなのだろうか。そう尋ねると、丸橋氏は躊躇することなく否定した。
「群馬だけではない。日本全国、どこへ行っても似たような構造になっています。歯科だけでなく、医科も大同小異です。これを根本的に改革しない限り、被保険者が支払う保険料を悪徳医師が食いつぶし、その結果、医療費が高騰したといっては、患者に負担増を求める悪循環を断ち切ることは絶対できません」
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元指導医療官の告発
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癒着の構造について考えるとき、鍵となるのは、全国で約100人を数える指導医療官の存在であろう。指導医療官は、本来、地元の医師会からも、地元の官僚からも一歩距離をおいた存在であり、「医療費Gメン」とも呼ばれている。この制度が十全に機能すれば、不正摘発に一定の力を発揮できるはずである。
ところが現状はそうではない。ベテランの指導医療官のB氏は、「我々の置かれている立場は、非常に不安定なんですよ」と、実情についてこう語る。
「指導医療官は、医師免許を持った人間がなることと定められている。そのため、厳しい審査をしたりすると、医師会側から『同じ医者なのに、裏切り者め』と、激しい反発を買う。逆に役人の側からすれば、単なる『捨て駒』にすぎない。非常に孤独な存在であり、それゆえ医師会側に取り込まれやすいのです」
指導医療官と医師会の癒着ぶりについて、当事者の立場から生々しい証言を寄せることのできる人物がいる。2年前まで歯科指導医療官を務めていた佐藤一郎氏である。
佐藤氏は、京都府で歯科指導医療官を務めていた92年から95年の間に、府の歯科医師会の幹部や府内の歯科医師などから審査に手心を加える見返りに、計420万円の賄賂を受け取るなどして、95年3月に懲役2年6ヵ月、執行猶予3年の判決を受けた。
執行猶予中の佐藤氏を自宅に訪ねると、重い口を開き、ぽつりぽつりと自身の体験を語った。
「おカネを受け取ったのは事実です。今となっては遅すぎますが、何と愚かなことをしてしまったのかと、我ながら情けない思いでいっぱいです。
当然のことながら、指導医療官の職は解かれ、420万円の追徴金を支払い、歯科医師免許も取り消されてしまいました。自業自得と言われればそれまでで、人様の同情を買う余地はないのでしょうが……」
佐藤氏が犯した贈収賄という犯罪それ自体については、当然のことだ。しかし、その「犯行」に至る経過をみてゆくと、気の毒な側面もないではない。
彼個人を断罪するだけでは、本質を見誤ることになると、事件の消息を知る関西の医療関係者D氏は語る。
「もともと三重大医学部口腔外科の助教授をしていた佐藤さんは、国立京都病院の歯科医長に転出後、請(こ)われるまま、ドロドロとした地域の医療界の現実を知らずに、指導医療官となった。彼とすれば、当たり前のやり方で、審査をしていたつもりが、指導の件数が前任者の数倍にもなってしまった。
このままでは大変だと、懐柔工作が行われるようになり、結局、彼もその汚れた水に飲み込まれてしまった。そしてそれまで、なまじ厳格な指導を行っていたために、憎しみを買って密告されてしまったわけです」
再び佐藤氏本人の述懐に戻ろう。
「私が着任してきたときには、前任者が積み残した仕事が山積みになっていました。私も前任者にならって、仕事をせず、事なかれ主義を通していれば、問題は起きなかったのかもしれません。しかし、そんな『処世術』が私には身についていなかった。私としては、普通に仕事をしたつもりなんですが……
私が指導をたびたび行うので、府の歯科医師会の会員たちは不満を募らせて、執行部を突き上げたそうです。会員たちとすれば、『高い会費を払っているのに、なぜ佐藤を抑えられないんだ』という不満があったわけです」
京都府しか医師会の会員となるには、500万円近い入会金を払わなくてはならず、その後も、約23万円の年会費を納めなくてはならない。そのうえ、自民党などへ政治献金するための政治団体・日本歯科医師政治連盟に対しても、多額の会費を納入させられる。そうした支出の「見返り」として、レセプト審査で「手心」を加えてもらう、そんな『取り引き』が慣例化していたのである。「とはいえ、指導医療官の権限はたいしたものではない」と佐藤氏は続ける。
「実際には、お飾りのようなものです。いざ指導や監査をやろうとすると、事務方のハンコが必要になる。保健課の課長らがハンコを押さなければ、何もできない。そうした圧力のために指導や監査がつぶされたケースは多々あります。
府の保健課と医師会もべったりで、被保険者の利益を代弁すべき立場の支払基金もまた、彼らと癒着していましたから、被保険者の立場に立って不正を暴こうとする人間は誰もいないような状態でした」
「医療費Gメン」などと持ち上げられてはいるが、指導医療官の現実は、何のことはない、組織の中で汲々としている子役人と変わるところはないのだ。
「次第にやる気をなくしてきたときに、『他府県の例にならって、悪いようにはしないから』と、甘い言葉を節か医師会の幹部からかけられ、94年6月から『講演料』の名目で月に20万円ずつ受け取るようになってしまった。悔やんでも悔やみきれないとはこのことです……。
私のしでかしたことは、まったく弁解の余地がない。しかし、恥をしのんで、こうして、自分の体験をお話しするのは、私の事例を『他山の石』として、私のように何もかも失うような人間が今後は現れてほしくないと思うからであり、また、不正請求がまかり通っている土壌を変えなくてはいけないと痛感したからです」
そう述べてから、佐藤氏は、「ただ」と、一呼吸おいて、無念の表情を浮かべながら言葉を続けた。
「贈収賄というものは、本来、贈賄側も収賄側も、同程度の罰を下されるべきではないでしょうか。しかし、この事件で下された行政処分は、公平なものとはいえません。
私は歯科医師免許取消となってしまった。しかし、収賄側の処分は、府歯科医師会の尾上徹前会長と鈴木実元会長が6ヵ月の偉業停止処分、浅井計征元専務理事と今井和彦元常務理事が同4ヵ月というきわめて軽いものにとどまり、その後はまた元通り、医者を続けているのです。これはあまりに公正さを欠いているのではないでしょうか」
前出のベテラン指導医療官のB氏は、「佐藤氏を擁護するつもりはないが、彼ひとりをスケープゴートにして、それで終わりにしていいはずはない」と、怒気をはらんだ口調で言う。
「95年に佐藤氏の事件が発覚した翌年、全国の指導医療官が東京の厚生省に集められました。その会議の冒頭で、『もっと気をひきしめよ。綱紀粛正せよ』と訓示を垂れたのは、誰あろう、当時の岡光序治事務次官ですよ。
それから1年もしないうちに、岡光自身が収賄で逮捕されてしまった。つくづく、現在の医療行政の腐敗は根が深いな、と思い知らされました」
佐藤氏の事件は、医療界に「一罰百戒」的な心理的効果を、わずかながらでも及ぼしたかもしれない。しかし今まで見てきたような癒着の構造そのものに、大きな変化がもたらされたわけではない。レセプト審査のシステムを抜本的に改革し、不正請求を一掃しようとする動きは、ほとんどみられない。
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刑事告発に統一基準を
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問題点を整理しよう。
第一に、指導医療官は、地元と癒着することのないように中央で試験を行うなどして一括採用し、「医療費Gメン」の名にふさわしい権限を与え、不正摘発の任務にあたらせるべきであるが、今でも各都道府県単位で地元のコネによって採用される状況がだらだらと続いている。
第二、レセプトの審査委員会も、三者構成の建前が、全国各地で完全に形骸化している。地元医師会推薦の医師がメンバーを占めて、身内が身内を審査する現状は一向に改まる気配がない。また本来ならば、保険料を毎月支払う我々被保険者の利益を守る背金があるはずの支払基金や国保連も、不可解きわまりないことに、不正請求を厳しく審査していこうとする積極的な姿勢に乏しい。
第三に、何より根の深い問題と思われるのは、「診療報酬の不正受給は犯罪である」という当たり前の認識が、医療界や厚生行政の世界においては決定的に欠けていること、そして第四に、行政が刑事告発する場合でも、その基準があまりにも不明確であることだ。
刑事訴訟法では第239条2項で、公務員の刑事告発義務が定められている。安田病院の安田院長らが逮捕されたのも、大阪府がこの条項に基づき大阪地検に詐欺罪で刑事告発したためである。
問題は、告発に踏みきる基準が各自治体ごとにバラバラなことだ。数十万円程度の不正受給事件でも刑事告発が行われ、医師の逮捕に至るケースもあれば、数億円単位の不正受給が発覚した場合でも、地域によっては刑事告発が見送られるケースもある。これは明らかにおかしい。
保険行政は、国が自治体に委任した、いわゆる機関委任事務であり、地域差が許される地方自治体の固有事務ではない。従ってサービスも罰則も、全国で平等かつ一律に行われるべきであり、不正受給事件に対して刑事告発に踏みきる際の統一基準を早急に定める必要がある。また、そうでない限り、地域における医師会と行政と審査委員らとの構造的な癒着を断ち切ることは難しいだろう。
こうして並べていくだけで、不正請求を一掃するための手だてが何一つ打たれていないことに、改めて安全とせざるを得ないが、唯一、光が見えたとすれば、最近になってレセプトの開示が認められるようになったことだろう。
レセプト開示の運動を7年前に始め、今日まで引っ張ってきたのは、大阪の高校教師・勝村寿士氏である。90年12月、陣痛促進剤による自己のため、誕生後9日目に長女を亡くした勝村氏は、裁判の資料とするために、公立学校共済組合にレセプトの開示を請求したが、「厚生省の指導で見せられない」という理由で拒まれるという苦い体験を味わった。
「なぜ、自分たちのプライバシーに関わる情報を、自分たちが手にすることができないのか。この壁は何としても破らなあかん」という思いから、以後7年間にわたり、「医療情報の公開・開示を求める市民の会」の事務局長として、薬害問題を訴える他の市民団体等と連携しながら、厚生省との交渉を粘り強く続けてきた。
「薬害問題にしても、不正請求の問題にしても、根はひとつ、医療界と厚生行政の閉鎖性にあります」と勝村氏は言う。
「医療に関するすべての問題の解決のためには、何よりも医療情報の公開が必要です。レセプトの開示は、情報という『武器』を手にする第一歩。今はまだ、面倒な手続きを踏まなければなりませんが、その遠くない将来、病院の窓口で誰でも受け取れるようになると思いますよ」
医療問題は、同時に経済の問題でもある。この点を勝村氏は強調する。
「医療に関わる問題には必ず、背後に経済的な動機やりがいが控えている。レセプトという一枚の紙切れには、医療内容とその対価の情報が書き込まれているわけです。この情報を我々がそれぞれ『医療消費者』の一人としてフルに活用すれば、医療界の旧態依然とした厚い壁を突き崩せることができるはずです」
かつて日本医師会に快調として25年間の長きにわたって君臨し続けた故・武見太郎氏は、「医師会は高いモラルと技術を備えた職能集団である」と公言してはばからなかった。
頑(かたく)なに「医師性善説」を信奉していたはずの武見氏は、しかし生前にこんな言葉も漏らしていた。
「(医師の集団は)3分の1は学問的にも倫理的にも極めて高い集団、3分の1はまったくのノンポリ、そして残りの3分の1は、欲張り村の村長さんだ」
医師会は、武見氏自身の言葉を借りれば、「自由主義経済化における開業医の独立を守る」誇り高い組織であったはずなのに、気がつけば、「欲張り村の村長さん」だらけになってしまっていたのではないか。
安田病院のような事件を「稀有な例外」として片づけてしまうのではなく、逆にこれを奇貨として、保健医療システムの真の改革につなげていくべきである。