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□「任天堂」宮本専務の素顔 [日刊ゲンダイ]
http://news.livedoor.com/article/detail/3153128/
「任天堂」宮本専務の素顔
2007年05月10日10時00分
根っからのゲーム好きだ。昨年秋、幕張メッセ(千葉)で開催された「Wii(ウィー)」発表会の壇上で、プロテニスプレーヤーの杉山愛選手と一緒にテニスを楽しんだ。もちろん「Wiiリモコン」をラケットのように使うゲームソフトでの対戦だが、杉山選手が熱くなるほど宮本茂・任天堂専務(54)の腕前はプロ並みだった。「本物のテニスでは絶対に勝てませんけど、ゲームだったら何とか……」と関西弁で話す宮本氏(京都府出身)に会場は笑いの渦。
その宮本専務が、米誌「タイム」が選ぶ「世界で影響力のある100人」のひとりに選出された。日本からは宮本氏のほかにはトヨタ自動車の渡辺捷昭社長(65)だけだから、もの凄い快挙だ。
「いつも笑顔で、物腰も柔らかい人です。今回、選出されたのはWiiの成果でしょうが、ゲーム開発者としては世界の実力者ですから」(経済ジャーナリスト)
「スーパーマリオ」や「ゼルダの伝説」など、任天堂を代表するゲームソフトの開発責任者として知られる人物だ。任天堂に入社したのは、宮本氏の父親の友人と山内溥相談役が知り合いだったからといわれる。1977年に金沢美術工芸大学(工業デザイン)を卒業して任天堂入り。当時の任天堂は花札のイメージが強く、ゲーム機とは無縁だった。
「山内相談役がゲーム機ビジネスに参入を決めた80年ごろから、宮本氏はゲーム開発者としての実力を発揮し始めます」(前出のジャーナリスト)
完成間近のゲームソフトに「ダメ出し」することもしばしば。「宮本氏のチェックを通らず、発売延期になったソフトは数知れず」(ゲーム業界関係者)という恐ろしい一面も持つ。
ニンテンドーDSが登場した時(04年)、宮本氏に「山内さんは何と言っていますか?」と質問すると「いや、今は何も言いませんよ」とはぐらかされた。この時、山内氏はすでに社長を退いていた。新ゲーム機は、岩田聡社長(47)と宮本氏の2人が懸命に開発したということを暗に強調していた。
実力者だけに、任天堂の次期社長との声も聞かれる。だが本人は「経営のことは分からない。自分はゲーム一筋」と、きっと意に介さない。「世界の100人」は、いつも新ゲームソフト開発に夢中だ。
【2007年5月7日掲載】