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http://it.nikkei.co.jp/business/news/index.aspx?n=MMITzv000013042007
ご存知の方も多いと思いますが、上海の株式指数はこの1年あまりに急上昇し、3倍にもなろうとしています。平均株価が1株当たりの純利益の37倍にもなっているといいます。
業務がほとんど中国に限られ、サービスレベルも世界のそれに程遠い工商銀行の時価総額は一時的に世界一になり、現在も金融機関では世界2位に留まっています。
銀行の店頭では投資信託を買い求める人々が行列をなし、まるでバーゲン会場のようです。その行列に家政婦の姿も多いことで話題になりました。OLがカードで借金して株を買うことも珍しいことではありません。
2006年の始めまでは、中国株は実に不人気でした。証券会社が昼食の弁当サービスを用意して顧客を招きいれようと必死でした。中国のGDPは長い間成長を続けていたのにも関わらず、株式市場はずっと低迷し、欧米アナリストの批判の的になっていました。
その理由は会計の不透明性に加え、政府の不勉強と無関心が大きかったと思います。上場企業の大株主に巨大な国営企業が多く、その分の株式はきわめて安い値段で取得しているうえ、「非流通株」として市場と無関係に存在していました。
株式市場が信頼を取り戻すきっかけはこの非流通株の改革でした。2006年前半までにほとんどの非流通株が開放できることになり、市場に入る準備が整いました。市場の受け入れ能力に配慮し、非流通株は一定の期間を待たないと売買できない制限が付きました。
市場改革が進んだうえ、実際に流通する株数が少ない昨年の株式の高騰は理解できます。米の著名投資家であるジム・ロジャース氏も2006年前半に上海A株の高騰を予測し、購入していました。
しかし、昨年後半に入り、A株の指数が2000ポイントを試し始めた時点から中国の株式市場が急に怪しくなりました。冒頭に申し上げた怪現象もこの時点から顕著になりました。昨年11月から中国の貯蓄率が初めて減少に転じました。家政婦が貯金を引き出してファンドと株を買う現象がこのデータを裏付けました。
それに気がついたジム・ロジャース氏は中国メディアのインタビューでA株の行き過ぎを指摘し、買うべきではないといっていますが、痛い目にあったことのない個人投資家はそんな声に耳を傾けることがないようです。
個人投資家の大挙流入で株式市場が過熱し、その急上昇をみてさらに個人投資家がやってくるサイクルが昨年後半からずっと続きました。不合理的な株価が危険だというよりも、ほとんどの人々が株式の暴落を経験したことがなく上昇を信じ込んでいること自体が危険なのです。
まだ、ほとんどの人々は2008年の北京オリンピックまで株価の暴落はあり得ない、きっと政府が守ると信じ込んでいます。これもきわめて危険な考えです。
前回のアジア金融危機も示したとおり、政府は一定レベルの危機に対処できますが、その危機があまりにも大きく育った場合、コントロールできないことが証明されています。当時は欧米のヘッジファンドの陰謀と言われましたが、その根底にあるのは無防備な金融政策であり、市場の歪みでした。
確かに現在の中国の金融政策では外資が金融市場で果たす役割は極めて限定的ですが、その代わりに遅かれ早かれ一般投資家が市場の歪みに気付くはずです。その瞬間からこれまでのサイクルが逆に回転し始めるでしょう。
日本はいわゆるバブルが崩壊して以降、その時の株価水準には戻っていません。一方、中国はまだまだ発展途上です。経済の規模と比較して株式市場の存在感はまだまだ小さいものです。しかし、だからといってバブルが弾けることなく永続的に続くという論理はどこにもありません。
2月の急落は既に市場の緊張心理を打ち出していました。今でもはっきりとした原因はつかめていません。政府系銀行の知人に聞いたら「外資の仕掛けだ」と言いますし、外資の知人に聞いたら「政府の仕掛けだ」と言います。一つだけいえるのは、それだけ市場を警戒しながらも賭博的な心理で人々が動いていることです。
大きな調整がいつ、どのような形で実現されるかはわかりませんが、真の投資家はすでにその調整後のことを念頭に行動しているはずです。
株式市場がまだまだ未熟な中国では、株のバブルが弾けても経済の実態に大きな影響が出ないと思います。ただ、それによって引き起こされる世界株式市場への影響がむしろ心配です。中国にとっても世界にとっても中国の株式市場の健全な育成は避けて通れない道なのです。
[2007年4月16日]
-筆者紹介-
宋 文洲(そう ぶんしゅう)
ソフトブレーン マネージメントアドバイザー
略歴
1963 年中国山東省生まれ。85年に北海道大学大学院に国費留学。天安門事件で帰国を断念し、札幌の会社に就職するが、すぐに倒産。学生時代に開発した土木解析ソフトの販売を始め、92年28歳の時にソフトブレーンを創業。98年に営業など非製造部門の効率改善のためのソフト開発とコンサルティング事業を始めた。00年12月に東証マザーズに上場。成人後に来日した外国人が創業した企業が上場するのは、初のケースとなった。05年6月東証1部上場。06年9月会長を退任し現職に。著書には「やっぱり変だよ日本の営業」「ここが変だよ日本の管理職」などがある。