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「構造改革派の生態
・構造改革という社会改革運動
本誌はずっと構造改革派を批難してきた。ただ一口に構造改革派といっても定義がはっきりしない。まず筆者は構造改革派を古典派経済学の信奉者と見なしている。しかしこれだけでは古典派経済学の学者や研究者が全て構造改革派になると誤解されるかもしれない。構造改革派を、古典派経済理論を真理と捉えるに止まらず、古典派経済学のメカニズムが機能するような経済構造を実現しようという、社会改革運動の実践者と筆者は考えている。
古典派経済学の理論は極めて単純であり、誰でも簡単に理解できる。古典派経済学の世界では、まず価格が伸縮自在に動くので、物の売残りというものがない(セイの法則)。賃金率も変動するので失業もない。さらに金利も自由に変動するので、貯蓄・投資が常に一致し、有効需要の過不足は生じない。構造改革派は、経済に不都合や問題が生じるのは、経済が持っているこのような自律調整メカニズムの働きを阻害する要因が現実の経済に存在するからと決めつける。
一つの具体的な阻害要因は建築・土木業界の談合に見られるような競争に係わる問題(不完全競争)である。また賃金率の自由な変動を阻害する労働組合の活動や最低賃金制度の存在を彼等は批難する。金利の規制に反対し、金利(金融)の自由化を主張する(郵貯は民営化どころか廃止せよと言っている)。一見、彼等はあらゆる分野での競争政策の推進を唱えているように見える(来週述べるがここにとんでもない誤魔化しがある)。
構造改革派の主張をまとめると、各種の規制や公共投資に見られるような経済への政府の介入をなくすことである。そのためには規制の撤廃(緩和といった生易しいものではない)や財政支出の大幅な削減(裏返しの話としては大幅な減税)、そして金融の自由化(政府系金融機関は廃止)が必要と説く。まさに小さな政府の実現である。
構造改革派は同時にグローバルリズムの信奉者でもある。この社会改革運動自体が、一国に止まらず世界に広がる性質を持っている。また彼等も世界的に社会改革運動を進めた方が、改革の果実も大きいと考えている。したがって構造改革派は自由貿易と国際的な金融の自由化を主張する。さらに物や金に止まらず、人の移動も自由化すべきと主張する。移民の自由な受入も彼等の主張の一つである。
このように見てくると、日本でもここ20年くらいの間に、構造改革派の主張する政策がかなり取入れられてきたことが分かる。中途半端ではあるが、構造改革派の社会改革運動が成果を収めてきたのである。少なくとも今日まで、構造改革派は「我が世の春」を謳歌していた。
一頃は構造改革派の主張(一時的な痛みを堪えれば、バラ色の未来が開かれる)が一世を風靡した。それこそ政治家や官僚だけでなく、マスコミや一般国民も構造改革に賛同した。小泉氏も構造改革派の首相として熱狂的な支持を集めた。しかし構造改革が進んでも平均的な人々の暮らし向きが良くなったとは思えない。むしろ今日の日本人の多くは、将来に対して暗い見通しを持っているのである。
・構造改革派の共通点
構造改革派の主張は論理的ではない。構造改革派の教典は古典派経済学である。しかし古典派経済学に基ずくレッセフェール(自由放任主義)経済は、06/6/26(第442号)「自由放任(レッセ-フェール)の経済」
http://adpweb.com/eco/eco442.html
で述べたように歴史的に破綻している。現実の経済は古典派理論のようには動かなかったのである。
ところが構造改革派の人々は、なんと経済が古典派理論通りうまく動くように、今度は現実の社会の構造の方を変えようというのである。倒錯した感覚である。ハルマゲドンを予言した新興宗教団体が、実際にハルマゲドンを起こそうとしたのと非常に似ている。たしかに構造改革派は新興宗教的な体質を持っている。社会改革運動とは実に胡散臭い動きである。
構造改革派の論客にはいくつかの共通点がある。一つは自説を唱えるばかりで、相手の話を全く聞かないことである。先週号で取上げた政府税制調査会の前会長本間正明氏もそうであった。テレビ番組でシナリオに沿って司会者を相手に話をする場合はごく普通に話をする。
しかし討論形式のテレビ番組に出ると態度が一変する。もっとも構造改革派の論客は討論形式の番組(論敵、つまり反対意見を持っている者が出ている)にはまず出ない。筆者は珍しく本間氏が討論形式の番組に出ているのを一度だけ見たことがある。しかし驚いたことに本間氏は、彼の発言に対する他の出演者からの反論や疑問点に一切答えない。ただひたすら何度も自説を繰返すだけなのである。構造改革派の本質を見たという感じである。
しかしよく考えてみれば、あれだけテレビに登場しながら、竹中平蔵氏が討論形式(論敵のいる)の番組に出たところを見たことがない。田原総一郎氏のような司会者を相手に台本通りのやり取りに終始している。質問する周りのコメンテータは全て茶坊主である。
竹中氏などは「IT革命で500万人の雇用が日本に生まれる。それを阻害しているのがNTTだ。」といった発言に対して、「根拠を示せ」とか「いい加減なことを言うな」と言い出しそうな者がいる番組には一切出ない。また討論形式の番組に頻繁に出ていた論客も、構造改革派の色が濃くなると、途端に討論形式の番組に出なくなる(いつの間にか政府関連機関の役職に就いているケースが多い)。
構造改革派の論客のもう一つの共通点に「虚言・妄言」発言がある。「IT革命で500万人の雇用が日本に生まれる」だけでない。「ケアハウス建設で500万人の雇用が生まれる」や「生産性の低い企業や産業を潰せば経済成長率が大きくなる」というデマ話もあった。極め付けは「規制緩和で経済成長率が高くなる」であろう。これについて本誌は04/3/29(第338号)「規制緩和に飛びつく人々」
http://adpweb.com/eco/eco338.html
で反論した。構造改革派は次が次と奇想天外な「虚言・妄言」を繰出す。時間が経ち「その話はおかしい」と知れ渡ると、次の「虚言・妄言」が飛出すといった具合である。
彼等の「虚言・妄言」発言の常套手段は、前提条件を明らかにしないことである。例えば財政破綻の定義である。借金が大きくなること以外、財政破綻の定義を決して明らかにしない。財政破綻を起こしたどの国でも、政府が発行する債券(国債)が買われなくなり、国債価格が暴落し、金利がとんでもなく上昇している。ところが財政破綻が心配されている日本では全く逆の現象が起っている。しかし卑怯者の構造改革派は、このことには決して触れないまま、「借金時計」で人々を脅し続けているのである。」
http://adpweb.com/eco/eco476.html