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http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20070323/121591/
「昨年までは(収益を上げる)良い子だったが…」
小型ディスプレー事業の不振で、2007年3月期は2期連続の最終赤字に転落するセイコーエプソン。3月14日、記者会見に臨んだ社長の花岡清二は無念さをにじませた。
エプソンはプリンターメーカーのイメージが強いが、携帯電話用など10インチ以下の小型液晶は世界シェアでトップ3に入る。携帯ブームに沸いた2000〜01年頃には60%という圧倒的なシェアを誇ったこともある。
今期は406億円の特別損失を計上し、独自技術であるMD-TFD液晶(モバイル・デジタル薄膜ダイオード)から撤退。ディスプレー事業の解体とも言えるリストラを余儀なくされる。その理由については「年率3割という予想を超える価格下落の影響」を挙げるが、状況は他社も同じだ。
エプソンを独り負けに追い込んだ“時限爆弾”は、実は2001年頃に仕込まれていたとの見方が強い。それは花岡の前任者である草間三郎(現会長)の時代である。
独断の買収・投資相次ぐ
「1+1=2ではなく、3にも5にもなる」
2004年3月24日、三洋電機と液晶事業を統合した三洋エプソンイメージングデバイス(当時)の設立会見に臨んだ草間は三洋社長(同)の桑野幸徳を見やりながら、胸を張った。
低価格のカラーSTN液晶を中心に携帯に強いエプソンと、高精細なアモルファスTFT(薄膜トランジスタ)液晶でデジタルカメラに強い三洋。両社の協業で事業規模と用途を一気に拡大するというシナリオだ。
「いい話じゃないか」
会見の半年前、銀行関係者を介して統合話を持ちかけられた草間は二つ返事で統合を決断したという。統合で事業規模は3600億円程度まで拡大する。持たざる技術を相互補完できる効果もあると目論んだ。
社内には、鳥取三洋電機など生産性の高くない工場を抱え込むことを不安視する声も当然あった。それでも桑野と意気投合し、前のめりになっていた草間の耳には届かない。
「はっきり言えば草間さんの独断。『ああ、またか』という諦めともつかない空気があった」
かつてエプソンで、ディスプレーを含む電子デバイス事業を率いたOBは重たい口調で振り返る。「またか」とは、以前にも周囲が危ぶむ提携、買収を草間主導で進めていたからだ。
典型的なのはエプソン鳩ケ谷(埼玉県)のケース。2000年7月に業績不振に苦しむ日本テキサス・インスツルメンツ(TI)から約20億円で買収した液晶ドライバーの主力工場だ。
TI時代からTFT型の液晶ドライバーを製造し「電子デバイス事業とのシナジーがある」とされた。だが、ここはTIが日本に設けた最初の工場。老朽化は誰の目にも明らかだった。日本TI社長(当時)の生駒俊明が「工場を従業員ごと引き受けてくれる相手を探すのに苦労した」と語るほどの“オンボロ工場”を反対を押し切って買い取った。
周囲の懸念は的中する。本体の収益に全く貢献しないまま、2002年10月に会社は消えてなくなった。
2001年6月に米IBMと合弁で設立した半導体製造子会社の野洲セミコンダクター(旧日本IBM野洲事業所、滋賀県)も鳩ケ谷と似た経緯をたどる。
鳩ケ谷よりよほど生産性は高いが、IBM自身が“延命”を諦めていたほどの工場だった。東芝など電機各社に身売りを持ちかけても、どこも首を縦に振らない。そんな中、唯一興味を示したのが、またしても草間だ。
「世界のIBMから声をかけられたのがよほどうれしかったのだろう。役員会で野洲の件を話す時、草間さんは満面の笑みを浮かべていた」と当時を知る関係者は振り返る。
野洲事業所の生産ラインを合弁会社に移す一方、当時の最先端である直径300mmのシリコンウエハーの製造ライン導入も計画した。実現しなかったが、技術導入料として数百億円をIBMに支払う契約は履行されている。
赤字が続き、昨年6月にIBMの持ち株を94億円で取得しテコ入れしたが成果は上がらず、今3月末には清算される。工場や設備はオムロンがわずか50億円で買い取る。エプソンが投じたカネの大半はIBMの懐を潤すだけに終わった。
去っていく優秀な技術者
鳩ケ谷、野洲、そして三洋エプソン…。“無謀”とも言える投資が相次いだ背景を、OBはこう説明する。
「『株式を上場すれば2000億円のキャッシュが入ってくる。どんどんカネを使え』とハッパをかけられた。役員会でも、投資案件の効果をじっくり議論する雰囲気ではなかった」
2003年、エプソンは東京証券取引所第1部上場を果たす。大型投資が目立つのはそれに先立つ2001年頃からで、結果を見る限り判断に甘さがあったのは否めない。
実は、一連の買収や投資を苦々しく見つめていたのが、現社長の花岡である。
草間は時計(ウオッチ)事業の技術者として入社したが、設計・開発に携わった期間は長くない。プリンターの設計などに携わった後、畑違いの商品企画部やTQC推進室長などを渡り歩く。エプソンでは異例の8回の異動歴を持つゼネラリストである。
花岡はプリンター一筋の典型的な技術者。1994年には720dpi(ドット/インチ)と、写真並みの印刷が可能なインクジェットプリンターを他社に先駆けて開発。その手腕を多くが認め、技術者からの信望も厚い。
「尊敬する経営者はいません」。草間から社長を引き継ぐ交代会見で、花岡はこう語った。隣には、悲願の上場と過去最高益を花道に退く草間がいた。
「遅きに失した」との声もあるリストラ
就任後、花岡は野洲セミコンダクターの清算や今回のディスプレー事業リストラなど、草間時代の“負債整理”に追われた。その過程で多くの優秀な技術者が会社を去っている。「ディスプレーが苦しい本当の理由はキーマンがいないから」。このOBの指摘には花岡も同意するだろう。「低温ポリシリコン液晶」の基本特許を持つ大島弘之は台湾の液晶メーカー、トッポリ・オプトエレクトロニクスへ。画期的な希土類永久磁石の発明者である下田達也は大学へと去った。
「リストラで(ディスプレー事業の)膿は出し切った。今後はV字回復だ」
来期も赤字が見込まれるディスプレーを売上高の約6割を占めるプリンターなどの情報関連機器で補う構えだが、プリンターも粗利率の改善など課題が多い。昨秋から会見の回数が減り、一部で健康不安説や社長交代説がささやかれる花岡。双肩にかかる責任は一層重くなる。 =文中敬称略