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「07/3/26(475号)
構造改革派の落日の始まり
・財政学者は御用学者
筆者が思う今年になってからの最大の出来事は、日銀の利上げや中国ショックによる株価の下落なんかではない。政府税制調査会会長であった本間正明氏の突然の失脚である。本間氏といえば財政学者であり、財政経済諮問会議の委員など政府機関の要職を務めた人物である。政治の世界にも一定の力を持った学者として活動していた。
学者出身の論客の中で、本間氏が近年最も大きな影響力を振るった人物として筆者などは認識している。学者出身者で政治の世界に深く関与した人物では他に竹中平蔵氏がいる。しかし02/10/28(第271号)「竹中平蔵大臣の研究」で述べたように、この人物は学者というには主張に一貫性がない(さらに竹中氏に関しては、月刊文芸春秋で取上げていた論文のパクリなど、もっと酷い話があるがここでは割愛する)。このように筆者の認識では竹中氏は学者の範疇に入らない。
本間氏はある意味では典型的な日本の財政学者である。日本の財政学者のほとんどは財政の赤字を嫌悪する財政均衡主義者である。今日の日本の財政赤字に対しては、財政支出のカットに重点を置く者と増税を主張する者がいる。財政支出の削減を主張する財政学者は多く(たいてい公共事業は無駄と言う)、この財政支出の削減は「小さな政府」に繋がる。つまり日本の財政学者の多くは同時に「小さな政府」論者でもある。
日本の財政学者は奇妙である。学者として物事の真理を探究するというより、財政当局の広報係を努め、当局の方針の宣伝マンとして活動する。端的に言えば彼等はいわゆる「御用学者」である。財政と言えば「危機」であり、「再建」するものと決めてかかっている。財政が均衡することが、日本という国にとって最高に良いことであり、国民が幸福になるとでも思っているのであろう。
この御用学者達は財政危機と叫ぶが、借金が増えていること以外、危機の内容を何も説明しない。昔は、彼等も「財政の赤字が大きくなれば、物価がどんどん上昇するとか金利がどこまでも上昇する(いわゆるクラウディングアウト)」ともっともらしいことを言っていた。しかしずっと財政危機と騒がれている日本では一向に物価は上昇せず(わずかに物価が上昇しているが、これは原油などの一次産品の価格が上昇しているからである。理由は決して日本の財政が原因ではなく、新興国の需要が増えているからである。)、金利も上昇しない(短期金利は日銀が引上げたので多少上がったが、長期金利はむしろ下がり気味である)。一向にそのような現象が起らないので、卑怯者の彼等は危機の内容を具体的に述べようとはしなくなったのである。
彼等「御用学者」にとって財政はいつも「再建」するものであり、「再建」の対象以外の何ものでもない。たしかに財政学者の中にはこのような流れに異論(財政のマクロ経済における働きや財政の国民を福祉を増大させる機能を重視)を唱える骨のある学者はいる。しかしこのような財政学者は例外中の例外である。
昔、御用学者は軽蔑の対象であった。政府や政治に近づくことは、時として自説を曲げることになる。これが嫌な学者は、政治に関わることを避けたものである。ところが最近では逆に御用学者を希望する者が殺到している。政府の仕事に関わることによって世に出ようというのだろう。
実際、財政学者を中心に政府の機関の要職に就く学者が増えている。何の学問的業績がないのに大臣になっている者もいる。このような現実を見ていると、面倒な学問的な真理の追求より、行政の意向に沿った意見を吐き、役所に認められることを望む学者が増えることに不思議はない。
・有り得ない小さな政府
筆者は、本間正明氏こそこの御用学者の典型と認識している。御用学者の出世頭である。今日の御用学者としての要件は、財政再建と構造改革を主張することである。本間氏はこの両方を兼ね備えている。その本間氏がいとも簡単に失脚してしまったのである。
誰でも知っているが、失脚の原因は官舎に愛人との同棲していたという週刊誌の報道である。たったこれだけのことで政府機関の要職を全部辞めることになった。不思議なことに本気で本間氏を擁護する者が全くいないのである。本当に一瞬にして影響力を失ってしまった。
本間氏は財政学者としてスタートしたが、法人税減税の主張に見られるように、供給サイド(サプライサイド)重視の論客でもある。たしかに政府に関与したきっかけは財政学者としてであったが、頭角を現わしたのは構造改革派の論客として活躍するようになってからと筆者は見ている。本間氏をいわゆる構造改革派の一員と見なしても良いであろう。もっとも構造改革派こそが、本誌の攻撃対象である。
筆者は本間氏の失脚に何か裏を感じる。本間氏のような御用学者の本来の役目は役所の意向に沿った言動をすることである。最近の本間氏の言動がこの役所の意向から逸脱していると見られるのである。役所も財政支出を削減しようという段階では、構造改革派の論調(小さな政府論)が都合が良かった。しかしこの頃小さな政府ではとても日本は立ち行かないことが分かってきて、むしろ構造改革派が煙たい存在になったと考えられるのである。
一昨年の暮あたりから「格差」問題がクローズアップされるようになった。ワーキングプアーという言葉も定着してきた。実質的な無年金者が将来一千万人単位なろうとしている。そうなれば100万人単位のホームレスが出現することは確実である。年金給付額は現役時代の46%がやっとという見通し(先進国の中では最高だった給付水準が最低になる)である。今の法律や政策でなんとか10年間くらいは誤魔化せるかもしれないが、その先の日本は真っ暗である。
行政にもはっきりとした将来ビジョンがあるわけではないが、今後、小さな政府なんてことは絶対に有り得ない。筆者はこのことを断言しても良い。財源は増税か、もしくは筆者達が以前から主張している政府貨幣の発行、あるいは国債の日銀買入(筆者はもう一つ公的年金の積立金を担保にした債券の発行とその債券の日銀買入を提案)くらいしかない。しかし政治家は大幅な増税を避けたいであろう。いずれにしても小さな政府論者の居場所はなくなる。
政府としてはボロボロになっていても、「財政再建」の御旗だけは降ろすわけには行かない。しかし「構造改革さえ行えば日本の将来はバラ色」と主張する大馬鹿者の構造改革派が、段々と邪魔になってきたと考えられる。世の中が混乱しても「構造改革が徹底していないからだ」と言いそうなお気楽な御用学者達が、政府機関から一掃される可能性が出てきたのである。本間正明氏の失脚はその前触れとも考えられる。それが事実ならまさに構造改革派の落日の始まりである。
来週は構造改革派の論客の特徴について述べる。」
http://adpweb.com/eco/eco475.html