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http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20070215/119113/
安倍晋三首相は一体誰から経済政策の指南を受けているのだろうか。
2月13日の衆議院予算委員会で、「格差問題」を民主党の菅直人氏と議論した際、「成長こそが格差を是正する決め手」であるとして、1960年代初頭に繰り広げられた「高度成長論議」を持ち出した。
いわく、「1960年代初頭にも成長か、格差是正かという議論があった。成長することで、その果実を広めていく政策が正しかったことが証明されている」(日本経済新聞より)というのだが、これは当時の論争を自分に都合の良いように曲解している。というよりも、とんでもない勉強不足と言っていいだろう。こんなお粗末な認識で、経済政策を展開されては、たまらない。
【果実乏しき時代の論争に倣う愚】
首相の言うように、当時、池田勇人首相の経済指南役で、「所得倍増計画」の立案者であった下村治氏(大蔵省を経て日本開発銀行理事などを歴任したエコノミスト)と、経済学界の大御所である都留重人氏(一橋大学経済研究所所長、一橋大学学長などを歴任、2006年2月5日死去)との間で、「高度成長の是非」を巡り激烈な議論があったことは事実である。だが、それは「より高い成長率か、それともより低い成長率か」を巡る議論であって、「成長か、具体的な格差是正策か」の議論ではなかった。
例えて言うなら、下村氏が日本経済という車には潜在力があり、時速80キロの速度を出すことが可能だと主張したのに対し、都留重人氏、大来佐武郎氏、吉野俊彦氏といった「安定派」と呼ばれるエコノミストたちは、そんな速度を出したら、車のエンジンが壊れてしまう、安全運転ができないと主張したのである。実際のところ、下村氏は雑誌「エコノミスト」に「安全運転につき、お静かに」という論文を書いて、安定派に反論している。
格差の是正、つまり果実をできるだけ広く公平に分配するには、果実そのものがなくてはならない。だが、当時はその果実が乏しかった。政府は毎年米の作付けを一喜一憂して注目しており、しばしば米不足が生じたし、外貨は政府の一手管理下にあり、自由に物を輸入することすらできなかった。外貨準備は 20億ドルから30億ドルの間を往来し、ちょっと設備投資が盛り上がると、たちまち底をついた。つまり果実そのものが不足する貧しい経済だった。
だからこそ、「まず果実を増やそう。日本経済にはそれだけの潜在力がある」という下村氏の政策が時の首相・池田勇人を動かし、最終的に勝利を収め、先進国に追いつき追い越す路線を敷くのに大いに貢献したのである。
今は違う。日本は世界第2位の経済大国の地位を誇る。にもかかわらず、ジニ係数で見る所得格差は拡大しており、上野の森、隅田川のほとりのみならず、至る所にブルーシートのテントが広がっている。十数年前にはなかった光景である。民主党が指摘するまでもなく、「1億総中流国家」は幻となって消えた。
【公平な分配メカニズムは経済ではなく政治の責任】
生活保護の老齢加算の廃止に対して、各地で高齢者による違憲訴訟が起きている。憲法で保障された最低生活が困難になっているという理由からだ。自治体による国民保険料や介護保険料の引き上げ、住民税の高齢者所得控除の廃止などによって、高齢者の生活は確かに苦しくなっており、現代の姥捨て山が出現しつつあると言っても、言いすぎではない。そのうち、高齢者の反乱が何らかの形で起きることだろう。これもまた格差拡大の現れでもある。
経済は果実の公平な分配を促すメカニズムを内在していない。成長が競争によってもたらされるのは事実だし、成長によってもたらされた果実(すなわちGDP=国内総生産)がなければ分配もできないことも事実だが、分配を促すのは政治の力なのだ。
経済政策をトラック競技に例えるなら、1970年代終わりあたりから、欧米各国は「競争促進=成長政策」を展開した後、「公平な分配」に力点を移した。そして、今再び成長政策のメーンスタンド前に戻ってきつつある。具体的に言うなら、70年代終わりから80年代にかけてのサッチャーリズムやレーガノミックスが成長政策であり、その路線を英国労働党のブレア首相や米国民主党のクリントン大統領が修正した。欧州大陸でも大なり小なり似たようなサイクルが見られ、最近は再び企業に活を入れる政策が始まっている。
官邸に権力を集め、官僚たちの固める既存権益を打ち壊そうとした小泉首相は、そういう意味では「遅れてきたサッチャー」だった。
【格差是正策は対症療法、本格的な「分配政策」に向き合え】
ある程度の格差拡大は成長の必要悪だが、行き過ぎると、果実そのものを蝕む恐れがある。マーケット拡大の足かせになる。いくら贅沢な暮らしをすると言っても、高額所得者の数は知れており、合計の購買力は大衆のそれの比ではない。その証拠に経済は順調に回復しているにもかかわらず、消費は足踏みをしているではないか。
経済政策のトラック競技で見る限り、日本は1周半ほど遅れている。格差拡大の現実を直視するなら、遅まきながら、日本にも本格的な分配政策が必要になっている。そのためのしっかりとした実証と総合的な理論が登場しなければならない。ただ「成長、成長」とオウムのように繰り返しているだけでは、真に豊かで活力のある、そして民心の落ち着いた国は実現しない。