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職場から
ロスト・ゼネレーションってぼくらのことか
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30代、これから自分探しの旅に出ようと思ってる
小杉 厘太郎
苦しい若年会社員世帯の暮らし
私は中小企業に勤める30歳のサラリーマンである。一昨年結婚はしたが、子どもはもうけていない。なぜなら経済的に子育てをする自信が持てないためだ。
妻も私も、せめて1人は子どもを育てたいものだと話してはいる。だが、どうしても踏ん切りがつかない状態が続いている。これが長らく社会的に問題になっている少子化の現場の一例なのだろうかと、わが事ながら思ってしまう。
いまの職場には6年ほど前に就職。少ないながらも安定した収入と、安定した休日を享受してきた。確かに独身の頃はそれでも食ってこれたが、結婚して妻子を養っていけるかといえば、いまの収入では到底無理なのだ。共働きだが子どもにまで回せる展望がつかないのである。
会社は社員が結婚したからといって、給与に色を付けるようなことはしない。
いまの中小企業の多くが、社員には家臣の如く滅私奉公の働きを求めている。しかし結婚するのは個人の勝手と、社員の家計までは面倒見きれないという。年功序列と成果主義の論理が混在したような、経営者側のご都合主義がまかり通っているのだ。それでか私の会社を見渡してみると、既婚者は極端に少ない。50歳以上の世代の人はほとんど職場に残っていない。経営者本位の会社運営の結果だと思う。
昇給の望みがなくなった
このような状況下、私の職場ではちょっとした出来事があった。私は営業の仕事から外され、建て前上は内勤扱いとなった。これは、今後大幅な昇給は見込めないことを意味する。
私が勤める会社では、「営業職以外は仕事と見做さない」という社風がある。営業職で成果があれば昇給もありうるが、それ以外は年1回の昇給時に1000円ずつ上乗せされていくだけなのだ。
この配置替えによって、私は走っていた人生の昇給レールを突然断たれた。一瞬どう考えればよいのか解らなかったが、これを機に眼が覚めた。私自身が、これまで年功序列の恩恵を無意識に期待していたのだ。
顧みれば、この職場への就職を決めた理由は、学生の頃から関わっている社会活動への支障にならないように、給与額はそこそこでも休日がしっかりしている所をというものだった。そこには仕事自体の内容についての考えやこだわりは、まったく入っていなかった。仕事はルーチンでこなせるもの、給料をもらうためと割り切ってできるものを、という打算だけで選んでしまったのだ。今になって思えば、食い扶持を稼ぐために一生懸命働いている人たちを馬鹿にした話だ。
しかも世の中は15年以上にわたる不景気を経て厳しくなっている。右から左の仕事で利益を得られる時代ではない。自分で考えない者に明日は無いのだ。
なのに私は、考えずに仕事をして収入を得たいとここまで来てしまった。当然考えない仕事は収入も低いのだ。そして年齢をかさね、結婚して一人前の収入が必要だという状況に、今とまどっている。
少なかろうが給料がもらえればいいやと、会社ぶら下がりの考えでやっていた私は、一事が万事いつしかそれが身に染み付いていた。もう一方の軸である社会活動の方でも、創意工夫と行動力がない面白くない人間になっていたと思う。
たしかに収入が低くても、自分の社会活動を続けるという志のためならいいではないかと考えることも不可能ではない。しかし妻子を持ったり子孫を残していくという、生物としての営みはどうであれ否定できることではない。
バブル崩壊後に社会人になった人達
では、今後自分はどのように考え人生を模索すればいいのだろうか。現在の日本社会へ眼を向けてみると見えてくる。私の世代はいまの日本社会でどのような位置にあるのかだ。
われわれはポスト・バブルの失われた10年などと呼ばれる暗黒の不景気の頃に、大学や高校を卒業して社会へ出る時期を迎えた世代である。バブル経済の崩壊を機に、ほとんどの企業の新卒採用人数は1991年にピークを迎え、翌年からは採用数の大幅減や採用なしへと転じた。ここから企業の求人倍率は1・0前後を低迷し続けるようになった。不足人員は、より安く雇える派遣やパートなどの非正規雇用で補われる。
同時に派遣労働者市場が急拡大し、若者の雇用はより不安定化した。そのため短期間の採用が主となる非正規人員には技術やノウハウの継承が行われず、企業内での世代の空洞化と自壊の危機が懸念される現在へとつながるのである。
ようやく2006年辺りから、いわゆる2007年問題をにらんだ企業の採用増がおきた。求人倍率は1・6程度まで持ち直してきている。ただし求人されているのは、あくまで新卒に限られている。90年代以降すっぽり抜け落ちてきた世代はこれまで通り対象外なのだ。当該世代にとっては、今後も就職氷河期の受難が人生に付きまとう。
この世代でも、年功序列の価値観がいまだ健在な企業では、うまくそのレールに乗っかっている者もいるだろう。だが将来的には年金制度の破綻や、国債の債務残高への対処先延ばしのツケが、いずれ立ち現れてくる。収入のうち現在より多くの部分が、国や自治体に吸い上げられるようになり、目減りせざるをえないことは明らかだ。まさにわたし達は、自分の家族のためではなく、上の世代を養うため、あるいはそのツケを払わされるために働くことになる。
受難の世代が生きる道は
自分の身におこっていることから、この先をもう一度考えてみよう。
昇給の道が閉ざされたことによって、私は職場でのモチベーションが急激に低下した。
それによって改めて人生について考えるよい契機となった。仕事とはなにか。自分が本当にやりたい事とは何か。自分の中の動機と向き合うことになった。
そして自分は、既に日本社会でのレールを踏み外していることに改めて気がついた。いま私は会社を辞めたいと考えている。そして自分のやりたい事で、食っていく道を模索するつもりだ。
もちろん勢いだけで無闇に会社を飛び出すのではなく、妻と相談し、やりたい事とは具体的に何なのか、次の職場を探すのか、今の職場に残って再度頑張るのかなど精査して、行き倒れにならないような目処をつけてから、行動は起こすべきと考えている。
しかし基本的なスタンスは変わらない。自分の生きたいように生きるということだ。どうせ自分を押し殺して本意でない仕事を続けても、今後の増収が期待できないのであれば、続ける理由はもうそこには無い。たとえ収入が低くても自分のやりたい仕事で、生きがいを持って生きていく方がマシだ。
親の世代のせいにしてみたところで未来がひらける訳でもない。それならば、自分の世代は普通に生きていては希望を持てない暗黒の世代なのだと、腹を括るしかないだろう。
時代が既に変わったのだ。人に雇われていたって安定が期待できない以上、そこにとどまって死を待つ理由は無い。
あたかも開国したての日本や、第二次世界大戦敗戦直後の日本に生きるのと同様だ。前の世代が旧態依然のシステムを維持してきたところで、その膠着した体制が崩壊した時点にいまは立っているのだ。まさにこれから、新しい日本の形を作っていく時代に来ているのだと思う。
(30歳・会社員)
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最近、オタクの人が増えているような気がする
戸坂零一
野村総合研究所は、オタクと呼ばれる人たちの消費行動は企業などにとっても「無視できない存在に成長した」と評価し、「もはやオタクはニッチ(すき間)市場ではない」と報告書で結論づけた。国際的にもオタク文化は日本文化として定着してしまった。秋葉原に行けば、ゴスロリ(ゴシック・アンド・ロリータ)やメイドの服を着た人たちがウジャウジャいる。
最近、IT業界に転職したこともあってか、自分の周りにもオタクの人が増えている。もちろん、職場の人みんながオタクというわけではないし、どこの会社にもいる普通の人達だ。みんながメガネ掛けてヒョロヒョロしているわけでもない。しかし、普通の人たちなんだけれども趣味がちょっと偏ってる気がする。
職場の課長も40代前半だが、私の歓迎会の席で鉄道について熱く語ってくれた。「君はパシナを知っているか。満鉄の蒸気機関車で当時の日本の技術の粋を集めて作られ、当時の日本の鉄道技術の高さを示すものとして」云々。課長職ともなると言うことが違うなと感心した。
職場の中で一番のオタクといわれている人も40代前半だ。休みの日には秋葉原で女の子の写真を撮っているそうだ。ストーカー行為をやっていたのは結婚後だというのを聞いたことがある。だから結婚はしているらしい。ゲームオタクでもあり、任天堂のゲーム機・Wii発売の時は、ヨドバシカメラ秋葉原店に徹夜で並んでいた。たまたま、その時の姿が翌朝のズームインSUPERに映っていた。さすがIT企業、その日のうちに映像がインターネットでダウンロードされ、職場の皆で嘲笑していた。そんな中で、ちょっと気になるのは鉄道オタクが増えていることだ。私はドイツ・メルクリン社のZゲージには強い興味がある。なんだお前もオタクかと言われそうだが、鉄道好きの人は増えているのだ。ガソリン価格の高騰で車離れが進んでいるのだろう。
消費動向ということから言えば、最近は自動車趣味者もオタクに含まれるそうだが、「電車男」もあるように、鉄道オタクといったらオタクの代表的なものだ。鉄道の旅や、鉄道写真、鉄道模型といったらオタクそのもの。鉄道といっても、国鉄時代の鉄道だったり、昭和の風景を求めての鉄道の旅など多い。
鉄道と同様、アニメだったら昔のアニメ、食玩の題材は昭和の匂いを感じるものが多い。YouTubeで見るのも昔のアイドルだったり、左翼オタクは80年代の新左翼について語っていたりする。石油減耗で、文化的にも昔を懐かしむ黄昏の時代に入っているのかもしれない。
さて私の職場だが、職場の机の上に、食玩の「駅弁紀行」の弁当を並べている人もいれば、「鉄道コレクション」のNゲージ、「世界の帆船」シリーズの帆船の模型を並べている人などがいる。秋葉原の海洋堂で売っているようなものが並んでいるのだ。共通して置いてあるのはUSB扇風機だ。私は、今まで何回か仕事を変えているが、こういう職場環境は初めてだ。
そんな職場の人との付合いで、銀座のデパートで行われた鉄道模型展へ行った。職場の先輩は貨物車オタクの人で新作の貨物車に見入っていた。その人は同じ型の貨車を複数のメーカーで集めており、河合商会のが一番だと言っていた。銘酒選びみたいなものなのだろう。その人の大学時代の友人も一緒だったが、彼は通勤電車の模型専門だそうだ。オタクというのは専門化していく傾向があるのだ。
鉄道模型展の後、秋葉原に呑みにいくことになった。なぜ秋葉原かというと、その通勤電車オタクの人が買いたいものがあったからだ。
しかし、買ったのは鉄道模型ではなく、萌え(アニメ・マンガ・ゲームなどの登場人物に対する興味・執着などをあらわすスラング)系のDVDだった。オタクというのはオタク的な趣味を掛け持ちしているのだ。その人は、3次元萌えだが、自分はそれほどオタクではないとか言っていた。なぜなら女の子がランドセル背負ってどうこうというのは興味ないからだそうだ。だったら中学生以上ならいいのだろうか。彼はニュース23のお天気お姉さんが水着を着てどうこうというのも、自分は興味がないからとも言っていた。理由は、テレビに出ていてメジャーだからだそうだ。そういうDVDを知っている時点で十分オタクだと思うし、ニュース23のお天気お姉さんってそんなにメジャーなのだろうか。仮にメジャーだとしても、よりマイナーなものを求める(つまり他人が知らない)のがオタクなのだ。細分化して、突き詰めるのである。
そういえば、職場の同僚にも、松浦亜弥のファンだった人がいる。「だった」と過去形なのは、メジャーデビューする前の松浦亜弥が好きだったという意味だ。メジャーになった今、興味はないそうだ。
(35歳・派遣社員)
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http://www.bund.org/culture/20070125-1.htm