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株式日記と経済展望
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http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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真の国力とは経済的なものであり、その国カをアメリカ人は
もはや持っていない。超大国アメリカというのは、神話にすぎない。
2007年1月31日 水曜日
Emmanuel Todd
◆帝国以後―アメリカ・システムの崩壊 エマニュエル・トッド(著)
http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0103359064
日本の読者へ
本書はフランスでは二〇〇二年九月初旬に刊行された。批評界は明らかにアメリカ帝国の衰退という仮説を冷静に受け止める準備ができており、本書は全体として好評をもって迎えられた。
その日以降に起った出来事の推移は、本書が提出した解釈と予測の正しさを広範に立証していると言わねばならない。過程が加速化したとさえ言うことが出来る。つい最近まで国際秩序の要因であったアメリカ合衆国は、ますます明瞭に秩序破壊の要因となりつつある。
イラク戦争突入と世界平和の破棄はこの観点からすると決定的段階である。一〇年以上に及ぶ経済封鎖で疲弊した、人口二三〇〇万の低開発国イラクに世界一の大国アメリカ合衆国が仕掛けた侵攻戦争は、「演劇的小規模軍事行動主義」のこの上ない具体例に他ならない。
メディアを通して華々しい戦闘が展開するだろうが、これによって根本的な現実、すなわち選ぱれた敵のサイズがアメリカの国力を規定しているという現実が覆い隠されるようなことがあってはならない。弱者を攻撃するというのは、自分の強さを人に納得させる良い手とは言えない。
本書の中心的命題の通りに、戦略的に取るに足りない敵を攻撃することによって、アメリカ合衆国は己が相変わらず世界にとって欠かすことの出来ない強国だと主張しているのである。
しかL世界はそのようなアメリカを必要としない。軍国主義的で、せわしなく動き回り、定見もなく、不安に駆られ、己の国内の混乱を世界中に投影する、そん。なアメリカは。
ところがアメリカは世界なしではやって行けなくなっている。その貿易収支の赤字は、本書の刊行以来さらに増大した。外国から流入する資金フローヘの依存もさらに深刻化している。
アメリカがじたばたと足掻き、ユーラシアの真ん中で象徴的戦争活動を演出しているのは、世界の資金の流れの中心としての地位を維持するためなのである。そうやって己の工業生産の弱体振り、飽くなき資金への欲求、略奪者的性格をわれわれに忘れさせようとしているのである。
しかし戦争への歩みは、アメリカのリーダーシップを強化するどころか逆に、ワシントン政府のあらゆる期待に反して、アメリカ合衆国の国際的地位の急速な低落を産み出した。
それはまず第一に、中心的勢力による管理運営が拙劣なために引き起こされた世界経済の危機を悪化させた。アメリカ経済それ自体も、ますます不可思議極まる対象とみなされるようになっている。アメリカ企業のうち頭のてっべんから足の爪先まで現実のもので虚構を含まない企業はどれとどれなのか、良く分からなくなっている。
アメリカ経済がどのように動いているのか、そのさまざまの構成要素に対して利子率ゼロヘの到達はいかなる結果をもたらすのか、これも良く分からない。アメリカの指導階層の経済的不安はほとんど手に取るように分かる。
新聞は毎日毎日ドルのレートの変動を不安げに見守っていたではないか。しかしとりわけアメリカ経済がこの戦争の衝撃に耐えられるかどうか分からないのである。
この戦争は厳密に軍事的な面ではマイナーであっても、第一次湾岸戦争の時のように「同盟国」が財政負担をしようとはしなくなっているので、経済面では出費のかさむものであることが判明しつつあるからである。アメリカ合衆国の赤字は国内と対外とを問わず急激に膨張しつつある。
全世界の指導階層は、世界資本主義の調節の中心たる大国はただ単に正常な経済合理性の規則を踏み外しつつあるだけではないのかと、ますます疑いを強めている。
冒険主義はそれゆえ軍事にのみ見られるものではない。金融にも見られるのだ。そして今後数年ないし数ヶ月間に、アメリカ合衆国に投資したヨーロツパとアジアの金融機関は大金を失うことになるだろうと予言することができる。株価の下落はアメリカ合衆国に投下された外国資産が蒸発してしまう第一段階に他ならない。
しかしアメリカ合衆国の主たる挫折は、現段階においてはイデオロギー的かつ外交的なものである。というのもアメリカは、いよいよ世界支配を完成しつつあるどころか、世界の統制権を失いつつあるからである。
自由世界のリーダーとして立ち現われるどころか、アメリカ合衆国は国連の意向に反してイラク攻撃を開始した。これは国際法の蹂躙であり、正統性の失墜はだれの目にも明らかである。しかしイラク攻撃が開始される以前から、アメリカの戦略システムは解体を始めていた。
ドイツの服従はアメリカの政治家やジャーナリストからは言うまでもないことと考えられていたが、そのドイツが戦争に「ノー」と言った。これは言ってみれぱヨーロッパの戦略的自律性への動きの始まりを宣言したに等しい。
こうしてドイツはフランスに、アメリカの戦争を遅らせるために国連で有効な手を打ち始める可能性を与えたのである。安保理決議一四四一をめぐるネゴシェーションの際に、本書とう尾になされた提案の一つ、すなわちフランスが安保理の議席と拒否権をドイツと分かち合うという提案は、実際上ほとんど現実となったに等しかった。
ドイツの戦争反対の姿勢がなかったなら、フランスは何も出来なかっただろう。このように回復された仏独カップルの有効性は、まさにヨーロッパ人全体の感情を表現している。ベルリンとパリの行動はもちろんヨーロッパ連合内の他の諸国の暗黙の同意なしには不可能だったろう。
現段階ではヨーロッパ・システムの周縁部諸国の政府は、新たに生まれつつあるヨーロッパという実体の戦路的利益の自覚には追い付いていないようであるが、国民は違う。アメリカの戦争に対する国民の反対は、スペインでも、イタリアやポーランドやハンガリーでと同様に、同質的で大衆的で明白であった。
安保理での討論の際にアメリカのエリート外交官.ジャーナリストが露呈した盲目振りはまことに極限的で、ドイツが孤立していると決めつけたものであるが、実はその時ドイツは、その独立行為と平和への愛着によって、強固な国際的正統性を回復していたのである。
本書が提示した第二の予言、すなわちヨーロッパとロシアの接近も、その正しさがいまや立証されている。この接近はアメリカ合衆国の無気味な軍事的行動様式によって必要となった。パリとベルリンとモスクワの接近は、ソ連の支配を逃れてNATOに加入したか、しようとしている東欧諸国からすれば、何かしら困惑させられるものがあるかも知れない。
しかしハンガリー、ポーランド、その他の当該諸国がこの戦略の大転換に懸念のみを抱き、フランスおよぴドイツと結束するのをためらっているのは、何とも遺憾である。ロシアはその均衡を取り戻したが、国力が非常に弱まっており、帝国主義的であることは止めている。その利益とするところは、平等の基礎の上に立つヨーロッパとの戦略的パートナーシツプである。
旧「人民共和国」は、アメリカ合衆国は彼らのために戦略的には何一つすることができないということを理解しなければならない。生産欠損の状態にあり、言葉による以外に彼らを護ってくれる力がないのだから。彼らにとって真の安全保障は、ヨーロッパヘの全面的な加入と、ヨーロッパ共同防衛政策への積極的な参加によってしか実現しない。
ロシアはこの危機をきっかけとして、冷戦の遺産たる外交的孤立から脱却した。最後に残されたロシアの重要な弱みとは、日本との相互理解とパートーシップの関係を確立することが出来ていないという点である。
ロシアの西方での退潮の規模の大きさ、ヨーロッパ諸国との協調を取り戻したいというその意思、これのためにロシアは東方で譲歩を受け入れ、それによってアジアの戦略的均衡に肯定的に寄与することができないのである。
最も意外な離反は、トルコがアメリカ軍の領土通過を拒絶したことだった。このNATOの軍事的支柱は、アメリカヘの支援を棄てて、国家的利益を選んだのである。この事例ほどアメリカ合衆国の現実の弱体振りを具体的に例示したものはない。このアメリカ合衆国の弱さの根本的原因は、ここで強調しておかなけれぱならない。
この外交危機の間、同盟国の離反が起っても、ワシントン政府はその都度反撃し、強制力なり報復能力なりを行使することはできなかった。その理由は簡単である。アメリカはその対外政策のためのカネ経済的・財政的手段をもはや持たないのである。
通商の黒字によって蓄積される現実の金は、ヨーロッパとアジアにある。アメリカはもはや財政的に言って、世界規模の栄光の乞食にすぎないのであるから。アメリカ合衆国から発されるいかなる経済制裁の脅しも、いかなる金融フロー中断の脅しも、もちろん世界経済にとって破滅的には違いないが、それで先ず最初に打撃を受けるのは、あらゆる種類の供給にっいて世界に依存しているアメリカ合衆国それ自身なのだ。
アメリカ・システムが段階を追って崩壊して行くのは、そのためである。その事態に対してアメリカ合衆国は、弱小国への好戦的活動を増大させる以外に対処するすべがないのだ。
真の国力とは経済的なものであり、その国カをアメリカ人はもはや持っていない。超大国アメリカというのは、習慣で持っているだけの神話にすぎない。どこかの国がゲームの規則を守るのを止めて、アメリカ合衆国に「ノー」と言おうものなら、直ちに…と思いきや、何と一同が驚いたことには、何も起こりはしないのである。
日本はこの危機の間、あまり活動的ではなかった。少なくともそれだけは言える。しかし日本の住民の深層の感受性はおそらくヨーロッパ人のそれに極めて近いと思われる。
日本はドイツに次いで、第二次世界大戦後に生まれたアメリカ・システムの第二の戦略的支柱である。ドイツと日本という輸出産業の二大経済大国を統制下に置いているということが、イラクに向けられる演劇的小規模軍事行動主義の煙幕を透して見える、世界に対するアメリカの権力の現実の姿なのである。
ドイツはアメリカの後見から独立しつつある。日本はほとんど動かなかった。日本政府がアメリカの行動を受け入れた理由は、日本の地政学的孤立によって大方説明がつく。ドイツはヨーロッパの中に包含され、一応は核武装大国であるフランスと手を結んでいるため、非常に弱体化したロシアと協調することができ、戦略的犠牲をあまり払うことなしに、アメリカの統制を逃れることが出来る。
日本の方は、北朝鮮問題と、アメリカ合衆国に替わる地域的同盟者がいないこととを考慮しなくてはならない。もしアメリカ合衆国の外交的.軍事的無責任性が今後ますます確実となって行くとしたら、日本が軍事的・戦略的により自律的でないことを、もっと明確な言い方をするなら、世界の均衡の再編成によりよく参画するためによりよく武装されていないことを、ヨーロッパ人たちは大いに悔やむことになるかも知れない。
しかし私としては、日本国民にとってヒロシマとナガサキの後遺症のあらゆる広がりと深さを実感し理解することができない以上、思弁を行なうことは差し控え、謙遜の態度を示すべきであろう。アメリカとの関係は日本人にとって未だかってない複雑さに支配されたものとならざるを得ない。
目下のところアジアにおけるアメリカの安全保障システムヘの依存の度合いが高いが故に、アメリカの軍事的行動様式のある程度の野蛮な側面は、ヨーロッパ人以上に自覚してもいるのである。
もしかしたらアメリカの戦費に日本が財政的協カをしないというだけでも、アメリカ・システムの崩壊には十分な貢献となるかも知れない。確実なのは、ドイツが第二次世界大戦中の一般市民への大量爆撃の被害とは何であったかを敢然として考察しようとしている現今、イデオロギー面において、世界は一九四五年の核攻撃に関する論争をしないで済ませることはできないということである。
ある種のアメリカの軍事行為は、戦争犯罪のカテゴリー、場合によっては人類に対する犯罪のカテゴリーに入れられるべきなのである。世界がこの論争を受け入れない限り、アメリカ合衆国は非武装住民に対する爆撃というお気に入りの軍事的慣習行動に専心することを、大した批判も受けずに続けることができるだろう。
イギリスは、対イラク戦争に参加することでこの軍事同盟にアングロ・サクソンという奇妙な民族色を添えているわけだが、長期的には未知数であることに変わりはない。トニー・ブレアは戦略ヴィジョンの完壁な不在で身動きが取れなくなっているようである。
しかしアメリカ政府への同調という彼の政策はイギリスの国際的立場を手酷く破壊するものであった。とはいえそれによって戦争開始以前のイギリスの世論が戦争反対であったことを忘れるようなことになってはならない。イギリスについては辛抱強く見守る必要がある。
ヨーロッパ人の側から攻撃的態度を見せ、アメリカ合衆国に対してこれこれの態度を採るべしとイギリスに要求するようなことは、この島国を大西洋をまたぐ同盟の中にしっかりと根付かせてしまうというマイナスの結果しか産まないだろう。逆にアメリカ合衆国に好きなようにイギリスを振り回させておけぱ良いのだ。
イギリスは自ずと何らかの形の倦怠に囚われ、外交的.軍事的にうんざりしてしまい、自らのヨーロッパ人としてのアイデンティティの自覚に立ち至るだろう。アメリカのエリートたちのヨーロッパ嫌いは、イングランドだけをお目こぼししてくれはしないだろう。実はアメリカ合衆国にとって、彼らの真の出身地であるイングランドこそは、ヨーロッパなるものの精髄をなしているのである。
ロシア、日本、ドイツが、そしてイギリスが、あり得ないとは言えない、外交的自由を取り戻した時に初めて、第二次世界大戦から産まれた冷戦の世界は決定的に終わりを告げることになるだろう。イデオロギーと帝国の時代は終焉を迎えるだろう。
複数の大国、ヨーロッパ、アメリカ合衆国、ロシア、日本、中国の間の均衡がシステムの規則となるだろう。これらの大国のうちのどれ一つとして、自らをこの地上における「善」の独占的・排他的な代表であると宣言することはなくなるだろう。それによって平和はより確実に保証されるだろう。
この文を草しているこの時点において、イラク戦争の結末はいかなるものか、正確には分からない。分かっていることは、イラクの軍と住民の低抗はアメリカ政府が予想したよりはるかに強大であるということである。
読者を驚かせるかも知れず、不快感を与えることさえあり得るとしても、私はこの序文を終えるにあたって、次のことを強調しておきたい。すなわち、イラク戦争は地域的には大問題であり、道徳に関わる根本的問題であるとしても、戦略的には副次的問題にすぎない、ということである。
アメリカの衰退の分析は長期的な指標に依拠するものであり、イラク戦争というエピソードはシステムの断末魔の身震いの中で起った偶発事にすぎないということになるだろうし、覇権を握る強国の衰退は、長期的に言って旧世界の自己組織能力を解放して行くだろう。
歴史を説明するモデルの強固さは、こうした偶発事に抵抗することのできる能力、この場合で言えぱ、イラクでの戦争の結果が正確なところどのようなものであろうと、有効性を保っていることのできる能力に存する。
一九八○年のソ連軍のアフガニスタン侵入はソヴィェト帝国の崩壊を妨げはしなかった。むしろ逆である。イラクに対する戦争は、アメリカ・システムの命を救うことはないであろう。 (P1〜P10)
二〇〇三年三月二六日
エマニュエル・トッド
◆エマニュエル・トッド著 「帝国以後」「2050年前後にはアメリカ帝国は存在しない」 2003年12月15日 株式日記
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu60.htm
(私のコメント)
日本の外交評論家やジャーナリストの外交評論は、多かれ少なかれ日米中の三国関係から見た世界観でしか外交が見えていないようだ。日本のマスコミ報道はアメリカや中国の代弁者のごときであり、アメリカにつくか中国につくか中立かの三択的な選択を迫っている。
しかしヨーロッパから見れば様々な選択の幅が見えてくる。大東亜戦争にしても日本のエリート達は日米中の中でナチスドイツとの同盟ややソビエトとの中立条約で外交の打開を図ったが、逆にアメリカの逆鱗に触れて戦争に突入してしまった。。しかし対アメリカ外交に関してはヨーロッパを絡めて外交をしたほうがアメリカの弱点を突くことが出来る。
しかし組んだ相手が悪かったのでありドイツやソビエトではなく、フランスやイギリスを取り込むことが出来たのならアメリカとの外交交渉も打開の道があったのかもしれない。イギリスやフランスはアメリカの弱点を知っているからだ。
エマニュエル・トッド氏はフランスの評論家ですが、ポストアメリカニズムを提唱している。イギリスやフランスとアメリカとはアメリカ建国以来の深い関係であり、エリート層においては深い関係がある。日本人では知りえない内部情報を英仏のエリート層は知っている。ドイツやロシアとなると外様になるからアメリカの動きを見誤る事になる。
イギリス人やフランス人から見ればアメリカなどと言う国は彼らの植民地だったところでありアメリカは新興成金国家でしかない。だからイギリス人やフランス人はアメリカ人を田舎者とかいった見下した見方をしているが、だからアメリカと言う国を冷静に見ることが出来る。
日本は大東亜戦争でアメリカに負けていまだに植民地状態が続いてアメリカ人に頭が上がらない。しかし英仏人から見れば同じ白人でもアメリカ人はヨーロッパで食詰めた人が移住した国であり旧植民地人でしかない。日本人が朝鮮人や中国人を見下すのと同じような関係がある。
ところが日本人とイギリス人やフランス人との関係では、日本は英仏の植民地ではなかったし、逆に大東亜戦争では英仏は日本によってアジアから追放された国であり英仏は負い目がある。大英帝国の機動部隊はインド洋で日本の機動部隊により全滅した。
だから日本としてはアメリカを動かそうとするならば英仏を通じて話をしたほうが通しやすいし誤解を生まなくてすむ。ちょうど韓国が日本を動かす時にはアメリカに泣きつくのと同じ構図だ。日本がアメリカにものを言えば角が立つが、間に英仏を立てれば角が立たない。だから日本の核武装も英仏を通じてアメリカを説得すべきなのだ。
フランス人から見ればアメリカの中東政策はお粗末に見えるだろう。フランスから見れば中東は裏庭であり文化的なつながりも近い。現在のアメリカのお粗末なイラクにおけるやり方はアメリカの衰退を象徴するものでしかない。
エマニュエル・トッド氏が指摘するようにアメリカはイラクにおいてイデオロギー的にも外交的にも負けたのだ。その象徴は国連で決議が得られなかったことであり、フランスだからこそ安保理でアメリカに反対できた。それに対してアメリカ人はフランスパンやフランスのワインの不買運動で憂さを晴らしたが、アメリカ人はフランスから見れば田舎者なのだ。
このようなフランス人から見れば日本人のアメリカに対する卑屈な態度は理解できないものだろう。英仏から見ればアメリカの文化人は二流なのであり、ハーバード大学やエール大学の大学教授になるには英仏の大学を出なければなれない。ところが日本のエリート達は二流のハーバードなどに留学している。だから日本のエリートは劣化してしまった。
アメリカの知識人や文化人の中には日本を見下したものの言い方をする人がいるが、彼らもヨーロッパの知識人文化人から見れば二流なのであり成り上がり者なのだ。だから最近のアメリカ文化の劣化は目を覆うものがあり50年後にはただの田舎国家に成り下がるだろう。エマニュエル・トッド氏は最後に次のように書いている。
《 二十世紀にはいかなる国も、戦争によって、もしくは軍事力の増強のみによって、国力を増大させることに成功していない。フランス、ドイツ、日本、ロシアは、このような企みで甚大な損失を蒙った。アメリカ合衆国は、極めて長い期間にわたって、旧世界の軍事的紛争に巻き込まれることを巧妙に拒んで来たために、二十世紀の勝利者となったのである。この第一のアメリカ、つまり巧みに振舞ったアメリカという模範に従おうではないか。軍国主義を拒み、自国社会内の経済的・社会的諸問題に専念することを受け入れることによって、強くなろうではないか。現在のアメリカが「テロリズムとの闘い」の中で残り少ないエネルギーを使い果たしたいと言うなら、勝手にそうさせておこう。 》(p279)