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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu136.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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税負担が上がれば企業は外国に逃げ出すなどと国民を脅迫する
経団連や経営者に、愛国心を持てなどと説教されるいわれはない
2007年1月29日 月曜日
◆財界よ、驕るなかれ 1月27日 山口二郎
http://yamaguchijiro.com/?eid=558
今ほど大企業の政治的影響力が高まっている時はないだろう。昨年末の税制改正の答申では個人に対する定率減税の廃止とは対照的に、法人に対しては減税が打ち出された。通常国会にはホワイトカラー・エグゼンプション制度が提出されることになった。当初はこの制度によって残業手当をもらえなくなるホワイトカラーは少数との試算もある。しかし、派遣労働に関する規制緩和の歴史が示すとおり、この種の規制緩和はどんどん拡大するに違いない。いざなぎ景気以来の長期拡大の成果も、労働者や家計には十分分配されていない。そのことに対する評価は様々であろうが、この現実自体を否定する人はいないであろう。
そんな折、日本経団連が御手洗ビジョンを発表した。これは、愛国心の強調や憲法改正など重大な論点を含む政治に対する積極的な提言である。正月の新聞でこの提言を読んだとき、私は経済界の役割について錯覚していたことを思い知らされた。
日本のような多元的民主主義の国では、様々な職能団体が集票力や政治献金をテコに、政治に対して発言している。そうした活動は、しばしばエゴイズムという批判も受けるが、各種の団体が自分たちの利益を追求して政治に関わることが、民主政治のエネルギーを供給したことも事実である。市場と同様に、民主政治の政策形成過程にも「神の見えざる手」が働き、各種団体のエゴイズムの発露が全体として均衡の取れた資源配分をもたらすという楽観論を唱える政治学説もあった。経済団体が、農協、労働組合などと同列に、自らの利益を追求するのは当然の権利であり、別に文句をつける筋合いの話ではない。
ただ、私は経団連など経済界の頂上団体は、その種の個別的職能団体よりも一段上の広い視野や高い見識を持っているのだろうと思っていた。実際昔は、永野重雄や小林中などの国士型財界人がいたものだ。広い視野という時、私は頂上団体に「合成の誤謬」を是正するための発言や行動を期待していた。合成の誤謬とは言うまでもなく、個人や個々の会社が近視眼的に合理的な行動を取り、それが社会全体で総計されると、かえって社会に大きな害が生じるという現象である。個々の工場が生産効率を求めるあまり有害廃棄物を垂れ流せば、環境破壊が起こるといった話である。
今の日本を覆う暗雲は、合成の誤謬に由来している。個々の企業は労働コストを削減するために非正規雇用を増やし、サービス残業を強いている。その結果、低賃金労働を余儀なくされる若年世代はとても家族を持つ余裕などなく、少子化は一層加速する。その悪循環は分っていても、厳しい競争にさらされている個々の企業は、雇用の仕組みを自分だけかえるインセンティブを持たない。一社だけで社員を大事にしても、他社が変わらなければ競争に負けるだけである。こういう問題こそ、頂上団体が取り組むべきである。個々の会社の利害を超えて、日本社会の持続的発展を図るために経営者が何をなすべきか理念と方法を示すのが、経済団体の役割ではないか。
私は終身雇用と年功序列賃金に戻れなどと時代錯誤的な主張をしたいのではない。社会保障における合成の誤謬を是正するために、企業にも責任を果たしてもらいたいと言いたいのである。日本的な企業社会を前提とした社会保障システムから、企業は離脱し、社会保険における使用者負担を避けるために非正規雇用を増やしている。ただでさえ賃金の低い非正規雇用労働者は国民年金や国民健康保険の保険料を払う余裕はなく、結果としてそれらの社会保険の財政基盤はますます脆弱化し、国民の将来不安は一層高まって行く。こうした悪循環を断ち切るには、社会全体の仕組みを作るしかない。たとえば、雇用形態に関係なく使用者が支払った賃金に比例して社会保障税を徴収するといった仕組みを日本でも導入する必要があると私は考えている。具体策はともかく、大所高所の理念論が財界からは聞こえてこない。
ただもうけを増やすためだけに税金を負けろ、規制緩和をしろと言うだけでは、財界は他の職能団体と同じである。財界が改革推進派で、農協や医師会が抵抗勢力だなどというのはとんでもない錯覚である。農協の言う日豪経済連携協定反対も、経済界が言う規制緩和も、等しく自分たちのエゴイズムを主張しているだけである。一方は偉く、他方は卑しいという話ではない。だから、経済界はもっと謙虚になるべきである。
御手洗ビジョンの中で国民に愛国心を持てなどと説教をするにいたっては、笑止千万である。そもそもナショナリズムとは、同じ日本人という国民の同質性を強調するものである。経済界のトップが愛国心を持てと他人に説教するならば、貧乏人も過疎地の人もみな人間らしく暮らせるような政策を維持するために、企業自身が率先して税金を払うべきではないか。税負担が上がれば企業は外国に逃げ出すなどと国民を脅迫する経営者に、愛国心を持てなどと説教されるいわれはない。本誌1月13日号の雇用破壊特集で、経営者の奥谷禮子氏は「過労死は自己管理の問題だ」と言い放った。ならば、意味不明の公共心なるものを振りかざし、個人の自己主張を抑えようとする新教育基本法は間違いということになる。会社の都合よりも自分の都合を優先させ、法で保障された有給休暇はきちんと取れるような強い個人を育成するよう、経団連挙げて運動してもらいたい。
グローバル資本主義の中で利益を追求しながら、ナショナリズムを煽る。組織においてパターナリズムの上下関係を温存しながら、個々の労働者に自己責任と競争原理を押し付ける。今の経済界の主張は、論理一貫性を欠いた「いいとこ取り」である。企業の社会的責任が問われている今こそ、経団連はじめ経済団体には、特定の業界の枠を超えた大所高所の理念を持ち、バランスのとれた政策提言をしてもらいたい。(週刊東洋経済1月19日号)
◆日本の財界人の自信 1月29日 経済コラムマガジン
http://www.adpweb.com/eco/
(前略)
企業の構造改革ムードが高まるにつれ、企業のトップの資質も変わった。共生派の温情主義的な会社経営者は消え去り、合理的な構造改革派のサラリーマン達が出世して、会社のトップを占めるようになった。当然、この流れは財界にも波及し、財界は構造改革派の牙城に変身した。先週号から財界の変質について述べているが、財界を構成する大企業経営者陣の資質の変化もこれに大きく影響している。
今日の財界人は変な自信に溢れている。この背景に自分達の成功体験がある。構造改革によってバブル崩壊後の経営危機を乗切り、かなりの大企業は今日最高の利益を上げている。彼等の認識では、構造改革はやはり正しかったということになる。
構造改革派に席巻された財界は、自信を持って国にも構造改革を要求する。自分達の成功体験が元になっているから強い。そして日本経済の低迷も国の構造改革が不十分だからと主張する。国も構造改革を行えば、日本経済は停滞から脱却できると考える。一企業で正しいことは、国全体でも正しいと無邪気に信じ込んでいるのである。
例えば日本の大企業は構造改革によって過剰債務を解消してきたのだから、国も財政赤字を解消すべきと考える。またリストラで小さな本社機能を実現したのだから、国も小さな政府を目指すべきと主張する。成功体験が背景にあるため彼等は頑固である。
今日、構造改革派に変質した財界のターゲットとなっているのが国の行政機構である。民間がリストラでスリムになったのだから、官も合理化すべきというのである。公共投資などの財政支出を削減し、政府が行う事業にも民間手法を取入れるべきと主張する。いわゆる小さな政府の実現である。
たしかにこれらの主張は大衆の賛同するところである。しかしこれらが実現したとしても、本当に日本経済が浮上し国民が幸福になるのかが問題である。もちろん構造改革派の財界人は、これによって日本経済は良くなると固く信じている(信じたがっている)。
(私のコメント)
昨日書いたように最近の経団連は消費税を上げろとかホワイトカラーエグゼンプション法案を成立させようとか、何かと国民を苦しめるような事ばかりやっている。経済コラムマガジンで書かれているように日本企業は「共生派」と「競争派」に分かれていたが「共生派」の企業が多かった。
ところが最近の経団連の企業は「競争派」が圧倒的に多くなり、トヨタの奥田前会長やキヤノンの御手洗会長などは「競争派」の典型だ。多かった「共生派」の企業は失われた15年不況で消え去り、残ったのは「競争派」の構造改革派ばかりになった。
昔は高度成長時代であり企業と言う組織の拡大には「共生派」の方が有利であった。系列企業や社員との関係を重視して拡大して行った。しかし拡大路線が限界に来て、さらにバブルの崩壊で高度成長が止まると「競争派」の方が有利になり、トヨタやキヤノンといった勝ち組企業が残った。
このような「競争派」」企業は従業員にも厳しく、系列企業にも平気で厳しい条件をつけてきて、長年の系列企業でも従わなければ関係を切る。だから国内の生産子会社を切り捨てて中国に工場を移転する事など平気でする。さらには正社員を派遣社員に切り替えて賃金を引き下げる。
このようなやり方は厳しい状況では確かに有効だ。そうしなければ競争に負ける。しかし景気が回復して経済が拡大し始めると「競争派」企業は系列企業や従業員に反旗を翻されて織田信長的な最期を遂げる事になる。最終的には徳川家康的な「共生派」型の企業が生き残るのではないかと思う。
最近は企業の不祥事が頻発して、従業員のモラルの低下していますが、正社員から派遣社員やパート労働者に切り替えれば当然モラルは低下する。今まで考えられなかった欠陥商品を生産したり、リコール騒ぎが頻発するようになった。従業員の質の低下やモラルの低下は製品の質にも反映する。
織田信長的な構造改革路線で突き進めば確かに停滞は打ち破る事ができる。革新的な手法で有能な部下を抜擢して、無能な部下には厳しい処罰を下す。しかし織田信長の後半の人生は部下の裏切りが相次いで明智光秀に殺される。
このような信長を見て、秀吉や家康はいかに部下に裏切りをさせないか苦労した。戦国大名にとっては仲間や部下の裏切りが一番恐い。織田信長も何度もそれで危機的状況に陥った。そして最後まで勝ち残ったのは「共生派」の徳川家康だった。
確かに市場原理主義的な自由競争社会は構造改革には適した方法ですが、安定する事がない。アメリカと言う国も非常にアグレッシブな国ですが、安定する事はなく、アメリカ企業は従業員の流動性も高く、ライバル企業への転職も当たり前のようにある。これでは技術の蓄積も従業員の忠誠心もなく、求心力が衰えれば企業組織は分解してしまう。
それに対して「共生派」の日本企業は系列企業や従業員を終身雇用して大切にしたから裏切りは少なく、日本市場への外資の参入は非常に難しかった。だから外資は市場開放とか規制緩和とかで参入しようと試みた。そのような外資と手を組んだのが「競争派」の日本企業であり、オリックスの宮内会長が典型だ。
トヨタやキヤノンなどもアメリカ市場が大切なマーケットだから外資と協力関係にあり、バブルを崩壊させる事で「共生派」の企業を追い込んでいった。だから「競争派」の企業は外資と手を組む事で生き残る事ができたが、だからこそ反日的なことを平気で言えるのだろう。
キャノンの御手洗会長の愛国心の強調などは違和感を感ずるのですが、法人税を負けなければ本社を海外に移すなどと言う非国民的なことを平気で言う。いずれはニッサンのように外人社長になって社内の公用語も英語になる事だろう。
多国籍企業と言うのは国籍を持たず反国家的な組織ですが、いずれは多国籍企業が世界を支配して従業員は奴隷のように酷使される時代が来るのだろうか? しかし織田信長の最後のように裏切り者が出てきて多国籍企業といえども「共生派」の多国籍企業しか残らないだろう。
ニッサンもソニーも外人社長になったが業績が不振だ。多国籍企業といえども国家と共生できる企業でないと、根無し草的な企業は長くは続かないだろう。トヨタもキヤノンも日本人の反感を買えば根無し草となって他国の多国籍企業に食われてしまう事になる。