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この人に聞きたい070919up
鎌仲ひとみさんに聞いた 足元にある”核 “を見つめて
1993年から建設の始まった青森県六ヶ所村の核燃料再処理施設が、
2008年に本格稼働を予定しています。
映画『六ヶ所村ラプソディー』で、村の人々が置かれた現実を描き出した、
ドキュメンタリー映画監督の鎌仲ひとみさんにお話を伺いました。
かまなか・ひとみ
大学卒業と同時にフリーの助監督としてドキュメンタリーの現場へ。文化庁の助成を受けてカナダ国立映画製作所に滞在し、米国などで活躍。1995年の帰国後はNHKで医療、経済、環境をテーマに番組を多数制作。2003年にドキュメンタリー映画『ヒバクシャー 世界の終わりに』を、2006年に『六ヶ所村ラプソディー』を発表。現在は東京工科大学メディア学部准教授に就きながら、映像作家として活動を続けている。著書に「ヒバクシャードキュメンタリー映画の現場から」影書房、共著に『内部被曝の脅威』(ちくま新書)「ドキュメンタリーの力」(子供の未来社)がある。
自分たちの加害性を、
しっかりと見つめる映画をつくりたかった
編集部 鎌仲さんの監督作品である、青森県の六ヶ所村核燃料再処理施設(*)の問題を取り上げた映画『六ヶ所村ラプソディー』が、昨年の完成以来、全国各地で上映されています。
鎌仲さんは2003年にも、イラクやアメリカ、日本の放射能汚染の現状を追った『ヒバクシャー世界の終わりに』という作品を発表されていますが、そもそも核やヒバクの問題に関わられるようになったのは、どうしてだったのですか?
*六ヶ所村核燃料再処理施設…日本原燃株式会社が所有する、使用済み核燃料からプルトニウムを取り出すための工場。取り出されたプルトニウムは再び原子力発電の燃料に使用し、いわゆる「核燃料サイクル」の基幹となるとされていたが、プルトニウムを燃料とする高速原子炉「もんじゅ」は事故発生によって停止したままの状態にあるなど、再利用の目処は立っていない。また、1日に排出される放射性物質の量は一般的な原発の1年分以上にあたるともいわれるなどの高い危険性も指摘されている。2008年から本格稼働予定。
鎌仲 1998年に、NHKの番組取材でイラクへ行ったんです。そのころのイラクでは、湾岸戦争後の経済封鎖による医薬品の不足で、子どもたちが次々に死んでいっていました。それについて取材するのが目的だったんですが、その中で、ただ医薬品が足りないだけでなく、子どもたちにガンや白血病が多発しているとか、障害児がたくさん産まれているといった話をも聞くことになって。ただ、私も核や放射能に関して無知だったし興味もなかったし、それがどういうことなのか、その時点ではよくわからなかったんですね。
編集部 『ヒバクシャ』で描かれているように、おそらくそれは湾岸戦争で使用された劣化ウラン弾(*)の影響だった可能性が高いわけですよね。その当時、劣化ウラン弾の危険性については指摘されていたんですか?
*劣化ウラン弾…放射性物質である劣化ウランを主原料とする砲弾で、衝突の衝撃などで燃焼すると酸化ウランの微粒子となって大気中に飛び散るため、「もう一つの核兵器」とも言われる。1991年の湾岸戦争で米軍が初めて使用したほか、1992年からのボスニア紛争、2003年からのイラク戦争などでも使用された。
鎌仲 すでに「劣化ウラン弾の影響じゃないか」という議論はイラク国内でもありました。でも、きちんとした調査で証明されているわけでもないし、アメリカは「安全だ」と言っている。使われたのは7年も前で、しかも子どもたちが住んでいるところからは何百キロも離れているし、というので、私自身もどこか懐疑的だったんです。
それで結局、番組は「現地の医薬品がなくて、子どもたちが死んでいっている」という、当初の予定どおりの内容になりました。「ガンなどが多発しているのは劣化ウラン弾の影響だという人もいる」ということは情報としては入れ込んだんですが、100%の裏付けのない情報を入れるのはどうなんだということで意見が分かれたりして・・・だから劣化ウラン弾との関係性をほのめかすコメントだけでも大変でしたね。
編集部 しかしその後鎌仲さんは、今度は劣化ウラン弾による被曝被害に注目して取材を始められるわけですよね。それには何かきっかけが?
鎌仲 その番組が放映されて、数百万人がそれを見たはずなのに、イラクの状況は何も変わらなかったし、日本の社会に何の影響を与えることもできなかった。そのことがとてもショックだったんですね。それで、これは自分で医療支援をやるしかないかなと思って、被爆体験を持つ医師の肥田舜太郎先生に会いに行ったのです。
そのときに、肥田先生からお聞きしたのが「内部被曝」という言葉でした。イラクの人たちに病気が多発しているのは、放射性物質である劣化ウラン弾の微粒子が身体の中に入って、内側から子供たちの遺伝子を傷つけているからだ、と教えていただいたんですね。
それを聞いて、それまでの自分の知識では理解できなかったことが一挙に見えた気がしたし、すごい衝撃でした。「ヒバク」というのは過去のことだと思っていたのに、今も、しかもイラクで子どもたちが被曝し続けている。NHKの番組は「薬がないから子どもが死んでいる」という表面的なものになってしまったけれど、そうではなくて、もっと本質的な部分に迫るものをつくらなくては、と思ったのが、映画『ヒバクシャ』の始まりなんです。
編集部 『ヒバクシャ』では、イラクだけではなく、核兵器工場があるアメリカのハンフォード州の住民や、日本の原爆での被爆者にも取材をされていますね。
鎌仲 日常生活の中に潜んでいる放射能汚染が、じわじわと人の身体を蝕んでいく。そういう本質には、国境もなければ、被害と加害という関係性ももう、ありません。イラクに行った米兵も被曝しているわけですし。その意味で、イラクと日本とアメリカという三つの国に、劣化ウラン弾と原爆と核兵器工場と理由は違っても、同じ「ヒバク」という体験をしている人たちがいるという事実を描いたときに、そこにすごく普遍的なものが出てくると考えました。そして、「内部被曝」こそがその「普遍」だと思ったんです。
編集部 さらに、後半部分では、次の作品につながることになる、六ヶ所村の映像も登場しています。
鎌仲 六ヶ所というか原子力発電所については、『ヒバクシャ』の最初の構想段階では入れる予定ではありませんでした。
でも、取材を進めていくうちに、イラクの人たちを苦しめている劣化ウラン弾というのは、実は私たちが出している「ゴミ」じゃないかという、新たな「気づき」が出てきてしまった。
編集部 といいますと?
鎌仲 日本は、原発の燃料になる濃縮ウランを、アメリカから輸入しています。そして、その濃縮ウランを製造する過程で出る廃棄物が、劣化ウラン弾の主原料である劣化ウランなんですね。いわば、日本で豊かに電気を使っている、そのツケがイラクに行っているわけで。ヒバクには被害も加害もないと言いながら、自分の加害性がそうして芋づる式に出てきてしまったんです。
それに、原発は安全で安心で、CO2も出ないからクリーンで、みたいな宣伝が行き届いていて、自分たちの使う電気エネルギーがどこから来て、出たゴミはどこへ行っているのかということに関しては、思考停止状態にされてしまっている。それは結局、アメリカが言うところの「核は平和を維持するために必要。放射能汚染はこの量以下なら大丈夫」というのと、まさしくシンクロする部分じゃないかと。
ただ、そうしたことを『ヒバクシャ』の中でははっきりと描くことはできませんでした。だからその「宿題」として、自分自身をちゃんと見つめる映画をつくらなきゃいけないと思った。それが『六ヶ所村ラプソディー』なんです。
原子力産業の「矛盾」を
そのまま描き出す
編集部 その『六ヶ所村ラプソディー』で印象的だったのが、再処理工場による被曝の危険性を描き出している一方、工場関連の仕事をしている人たちや推進派の学者にもじっくりと話を聞かれていることです。特に、施設関連の職を得ている人たちの、「再処理工場がなかったら、この村は仕事がなくて過疎化していくばかりだった」といった声には、さまざまなことを考えさせられました。
鎌仲 原子力産業には、いろんな「矛盾」があるんですよね。たとえば、「安全だ」というけれど、本当に安全なら東京に建設してもいいはずなのにそうはしない、とか。そうした矛盾を、突くのではなくてそのまま描き出したかった。たとえある人の言っていることに納得はできなくても、それをそのまま映し出そうと。そうして「賛成」と「反対」の間を行ったり来たりする、その間に、さまざまな矛盾の中を生きている自分たちの現実もまた、鏡のように映し出されてくるんじゃないかと思ったんです。
だから、今各地で『六ヶ所村ラプソディー』の上映がされていますけど、「何が言いたいのかわからない」という感想も多いんですよ。推進派の人には「反対派の映画だ」と言われるけれど、反対派の人には「生ぬるい」と言われますし(笑)。
編集部 どっちがいい、悪いということが、はっきりとは示されていないからでしょうか?
鎌仲 たとえばテレビ番組なら、最後に「答え」が用意されてあって、見ている人にはあれこれ考えさせない、思考停止状態にもっていく方法があります。でも、この映画ではその形を外して、自分で考えなければ「答え」は出ないようなつくり方をしています。制作中も「もっと説明しないと観客にはわからない」と周りから言われたんですが、なんとか押し切って。
私は、観客には映像を読み解いて思考する能力があるはずだと思っているし、「気づき」というものは、人から言われてではなく自分で発見しないと自分のものにならない。映画に出てくる人たちのことを自分に引きつけて、この世界の中で自分がどういう役割を果たしているのかということを、想像力を持って考えてほしいと思ったんです。
誰が彼らを「追いつめて」いるのか
編集部 ちなみに、推進派の方に取材されるには、いろいろと難しいこともあったのではと思うのですが、そのあたりはいかがでしたか。
鎌仲 すごく大変でした(笑)。
撮影を始める前につくって配布したチラシには、「原子力産業にかかわる人も反対する人も平等に取材し、その考えを聞きます」「どんな運動からも、自由な立場で作っていきたい」と書いたんですけど、「エネルギーを確保するために原発以外の選択肢はないのでしょうか?」と書いているだけでもう、反対派だという受け止め方をされて。まずは議論を開くということをやりたいのに、原発について、議論をしようということ自体が反対派だという感じでした。
日本原燃(*)には結局、最後まで取材を受けてもらえませんでした。先日も、再処理工場の部長さんにお会いしたので、「今取材を申し込んだら受けてもらえますか」とお聞きしたら、「再処理事業は正しいと言えばね」と言われて(笑)。いいとか悪いとかじゃなくて、まずそれがどういうものなのかということを国民が知らされていないことが問題だと言っているのに、「無条件でこちらの主張を受け入れろ」っていうのはあり得ないですよね。
推進派の学識者についても、映画に出ていただいた一人を除いて、取材を申し込んだ全員から断られました。
*日本原燃…原発の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し、再び原発の燃料にするという「核燃料サイクル」の商業利用のため、国内電力会社9社などの出資によって設立された株式会社。六ヶ所村の核燃料再処理施設を所有し、ウラン濃縮、使用済み核燃料再処理、低レベル放射性廃棄物埋設などの事業を行う。青森県の企業としては最大規模を誇る。
編集部 工場で働かれている方への取材についてはどうだったんですか。
鎌仲 原燃の関連の仕事をしている地元の人たちの集まりにたまたま出ることができて。そこで名刺をいただいた方に片っ端から電話をしたんですけど、最初はみんな逃げられました(笑)。何度電話しても「留守です」と言われたりね。
それなら、まずはこっちから情報公開しようと思って、それまでに取材した内容をまとめたビデオを「六ヶ所村通信」という記録作品にして販売したんですよ。そうしたら、それを見た方に「反対派の話ばかりじゃないか」と言われたから、すかさず「じゃあ、それを話していただかないと」と(笑)。そこから、「話してもいいよ」という方が出てきてくださったんです。
あと、再処理工場で働いている下請けの人たちが、原燃の職員を招いて開いている勉強会があるんですよ。そこにも半年くらい、カメラを持たないで通いましたね。そのうちに出席されている人たちとも仲良くなって、「まあ、話してもいいか」みたいな雰囲気ができてきたり。
編集部 その勉強会というのは、どんな話がされていたんですか?
鎌仲 たとえば、これから工場でこんな試験が始まる、といった施設からの報道があっても、一般の人は読んでもよくわからない。それを詳しく解説してくれたりとか。あと、現場で働いている人たちは、やっぱり安全なのかどうかを聞きたいから、それについての質疑応答があったりもしました。それに対して、原燃職員は当然「大丈夫です」と言うわけです。
編集部 でも、「安全ですよ」と答えている原燃の正社員の職員は仕事の指示をするだけで、たとえば放射能を含んだ汚水を片付けるとか、被曝の可能性がある、まさに“汚れ仕事”は、ほとんど下請けの方がやっている、という話を聞いたことがあります。
鎌仲 そう。正社員はきれいなコントロールルームにいて、現場には行きません。彼らは「クリーンです、ヒバクなんかありません」と言うけれど、現場で働いている下請けの人たちは、放射性物質の本当にすぐそばでバルブを閉めたり、なんて作業をやっている。放射性物質にまみれた衣類を洗うクリーニング業者もいます。そんなことをやっていて、「被曝はない」なんてあり得ないですよ。
原燃側はICRP(国際放射線防護委員会)の勧告にのっとった安全数値内だから大丈夫だというけれど、そもそもその勧告そのものが、「ALARA(as low as reasonably achievable=合理的に達成できる限り低く) 」といわれる考え方に基づくもの。社会に利益をもたらすんだから最小限の犠牲はしょうがないということで、犠牲が出るということは織り込み済みなんです。
*ALARA…国際放射線防護委員会が1977年の勧告で示した、放射線防護についての基本方針で、「すべてのヒバクは社会的及び経済的要因を考慮に入れながら合理的に達成可能な限り低く抑えなくてはならない」とする考え方。
編集部 そこでその「犠牲」が何なのか、誰が「利益の犠牲」になっているのか? を考える必要があると思いますが、映画の中では、下請けで働いてらっしゃる方たちは「安全だと思っている」といった答え方をされていました。それは、本当にそう思っておられるのか、そう信じるしかない、ということなのか…。
鎌仲 どうなんでしょうね。「安全だ」と言われているし、それはあえて口に出さないという暗黙のルールがある。「安全なのかどうか」なんて考えていたら仕事ができないし、そんな選択肢はないところに追い込まれているんだと思います。
映画に出ていただいた下請け労働者の方に、「もし、ほかの場所で働くという選択肢があったらそうする?」と聞いたら、「あればね。ないけど」という返事が返ってきました。
編集部 映画を見たときにも感じたことですが、そうした構造は沖縄の米軍基地と非常によく似ていますよね。「危険だからいらない」という人がいる一方で、それがないと食べていけない人が数多くいるという事実もそうですし、本来は日本人全体が自分の問題として背負うべきことなのに、「沖縄問題」あるいは「六ヶ所村の問題」として矮小化されてしまっているという点もそうだと思います。
鎌仲 沖縄は基地で、六ヶ所村は再処理施設だけれど、構造はまったく同じですよね。
そう考えても、彼らを「ほかの選択肢がない」ところへ追い込んでしまっているのは誰なのかといったら、それはやっぱり、原発を一部の人たちだけに押しつけて、何も考えずに電気を使っている私たち自身なんじゃないかと思うんです。
つづく
『六ヶ所村ラプソディー』は、現在、全国各地で上映が続いています。
こちらでスケジュールを確認して、
ぜひ見に行ってみてください。
次回は、原発について、エネルギー問題について、
さらにお話を伺っていきます。
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