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最近、DVDで、今村昌平監督の『黒い雨』
(1989年公開)を観ました。
この作品の事は、公開当時から知って居ましたが、
公開当時、映画館で観る機会を得なかった私は、
その後、永く、この映画を観ぬまま、時が流れて
居ました。
御存知の通り、この映画は、井伏鱒二の同題の
小説を今村監督が映画化した作品です。この作品は、
1989年 のカンヌ映画祭でも公開されて居ます。
当時から関心は 有ったのですが、ついつい見ずに
居た作品でした。その『黒い雨』を、最近、この
DVDを観て、深い感動と衝撃を受けずには居られ
ませんでした。
物語は、広島に原爆が投下された際、広島市内
には居なかったものの、広島周辺で放射性降下物
を含んだ「黒い雨」を浴び、更には、市内に入っ
て原爆投下直後の広島市内を歩いた若い女性の
物語です。この主人公(矢須子)が、戦後、叔父
夫婦と田舎で暮らす中で、被爆を理由に結婚を
断られ続ける中で、原爆の意味が問はれるのですが、
深く印象的だったのは、登場人物たちを見つめる
今村監督の静かな視線です。今村監督は、この
映画の製作に当たって、こう語って居たそうです。
「この映画は声高であってはならない。低声で
なければ・・・」
今村監督のこの言葉通り、全篇、白黒の画面で
進行するこの映画は、主人公の矢須子(田中好子)
とその親族(北村和夫、市原悦子)の戦後を静かに
描きながら、あの日(1945年8月6日)起きた
事の意味を観る者に問ひ掛けます。
(作家の広瀬隆さんは、この映画がカンヌ映画祭で
公開された際、この作品が感動を呼び起こした
状況にフランス政府が危機感を抱き、この作品が
グラン・プリを受賞するのを阻止するべく映画祭
に圧力を掛けたと、著書の中で述べて居ます。
原子力産業とマスコミの関係を伺はせる逸話です)
このDVDを観て1週間が経ちましたが、まだ、打ち
のめされたままです。
武満徹氏の音楽が素晴らしい事も特筆されます。
* * * * * *
このDVDには、1989年に完成され、日本国内と
カンヌ映画祭などで公開された『黒い雨』の全篇の
他に、或る驚くべき物が収められて居ます。
その驚くべき物とは、1989年の『黒い雨』完成の
際、今村監督が撮影しながらカットして居た、19分
の未公開カラー部分なのです。
1989年に完成、公開された『黒い雨』は、全篇が
白黒で、物語は、被爆した主人公の矢須子(田中好子)
が、原爆症と思はれる症状を発症し、トラックで、
病院に運ばれる場面で、終はって居ます。
これはこれで、エンディング・タイトルの、武満徹氏の
音楽と相まって、一つの立派な完結した芸術作品に仕上
がって居ます。
しかし、このDVDに収められた未公開のカラー部分は
私に衝撃を与えました。この未公開のカラー部分は、
原作の小説には全く無い物語で、今村監督は、当初、
このカラー部分を今日の『黒い雨』の後にエピローグ
として挿入する積もりで撮影し、編集も終えたのですが、
迷ひに迷った挙げく、削除して、今日の『黒い雨』に
したと言ふのです。
このDVDには、その削除された19分のカラー部分が、
独立した短編映画の様に収められて居るのですが、その
未公開のカラー部分に、私は、打ちのめされたのです。
* * * * * *
その未公開カラー部分の内容は、主人公の矢須子
(田中好子)が、公開された『黒い雨』の結末の
後も生き延び、原爆投下(終戦)から20年後の
昭和40年(1965年)に、巡礼と成って、四国の
霊場めぐりに向かふと言ふ、驚くべき内容なのです。
矢須子(田中好子)は、原爆症に陥りながらも、
かろうじて 生き延び、それから、乞食の様な姿で、
一人、 四国の霊場を巡ります。その道すがら、
彼女は、 戦後の日本の町を歩き、カミナリ族の
若者に からまれたり、観光バスに乗った団体旅行
者 たちから、食べ物を投げられたりして、本当に
惨めな姿で、一人、四国の霊場を歩きます。
そして、その19分の終はり近きで、巡礼と
成った主人公(矢須子)は、乞食の様な姿で、
こう独白するのです。
「死ぬその日まで、私は美しくありたい。
たとえ偽りの美しさであっても。
全てを捨てた筈なのに、私はまだ自分を
捨て切れないのだろうか。」
田中好子の声が、ナレーションで、こう、矢須子の心
を語った後、 矢須子(田中好子)は、夕方の林の中で、
一人、石の羅漢像たちに出会ひます。そして、その誰も
居ない林で出会った羅漢達の姿に、死んだ人々の幻を
見るのです。−−そこで、この未公開部分は終はって
居ます。
今村監督は、最後の最後まで、このエピローグを
挿入するかどうか迷ひ続けた様です。そして、
結局、このエピローグを挿入しないで、今有る
『黒い雨』を完成させたのですが、この主人公
の独白を聞いて、原爆を「女」の視点から捉えた
この下りは、「女」を描き続けて来た今村監督
でなければ創造し得ない物だったに違い無いと、
私は、思ひました。
* * * * * *
実を言ふと、私が、この映画(『黒い雨』)を公開後
18年間も見て居なかったのには理由が有りました。
それは、私が、今村昌平監督が嫌いだったからです。
私は、若い頃に今村昌平監督の『豚と軍艦』や
『神々の深き欲望』を観て、正直言って、その
濃厚な性描写などに辟易させられて居ました。
それで、今村昌平監督の作品に、少々先入観の
様な物を抱いてしまって居たのです。
そんな理由から、1989年に公開された時にも、
その後も、今村監督が作ったこの映画(『黒い雨』)
を見ぬまま、18年間を過ごして来たのですが、
今回、DVDでこの傑作を観て、そんな自分を恥じ
ずには居られませんでした。
『黒い雨』は、今村監督の若い頃の作品とは非常に
違った作品です。しかし、その静かな物語の中に、
矢張り、今村監督らしい視点が感じられるのは、この
未公開カラーにおいて、原爆を生き延びた主人公
(矢須子)が、「私は、死ぬまで美しくありたい」
と独白する部分でしょう。
ここには、人間の業とも呼ぶべき渇望が描かれて
居る。原爆によって生命を脅かされ、愛する人々を
失なひながら、なお、「美しくありたい」と思ふ
事こそは、「女」としての被爆者の願望であり、
煩悩です。それを、こじきの様な姿の巡礼と成った
主人公(田中好子)に独白させると言ふところに、
セックスや金への執着に生きる女たちを描き続けて
来た今村昌平ならではの、人間を見つめる視線が
有る事に、気が付かずには居られませんでした。
若い頃の私だったら、今村監督のこんな視点に
気が付かなかったかも知れません。しかし、
私も人並みに年を取り、「死ぬまで美しくあり
たい」と言ふ田中好子の独白に、本当に、心を
打たれました。−−生きると言ふ事は、こう言ふ
事なのだ、と思はずには居られません。
今村昌平監督は、原爆と言ふテーマを通して、
何と深く、美しく、女性と言ふ物を描いたのだろう、
と思ひます。
平成19年8月6日(月)
広島に原爆が投下されて62年目の日に
西岡昌紀
http://nishiokamasanori.cocolog-nifty.com/blog/
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