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(回答先: 投稿者 Kotetu 日時 2007 年 7 月 27 日 10:11:35)
「原発震災」と石橋克彦教授
2007年07月26日 | Environment
柏崎刈羽の事故をめぐって、気になったことの一つに、活断層の話がある。
阪神淡路大震災以後に顕著になった傾向として、原発と地震という話題になると、どうしても活断層の有無が話題になる。柏崎刈羽に対しても、活断層の真上に建てられていたことが問題である、といったような批判がある。対して原発を擁護する側は、建設の時点ではそれはわからなかった、といった逃げを打っていたりする。
だが、これは争点としてはややズレている面がある。活断層があろうとなかろうと、地震は起きるからだ。
まず何より、「活断層が地震を起こす」のではない。地震を起こす原動力はあくまでプレートの運動であり、活断層はその結果生じた「生傷」みたいなものである。ただそれは、地下の震源断層面(地震が本当に起こった場所)と必ずしも位置が一致しているわけではない。また、必ずしも地表付近に見える形で存在しているわけでもないから、まだ見つかっていない未知の活断層はいくらでもある。さらに日本は、衝突しているプレートとプレートの間にたまった歪みによって生じる、いわゆる「海溝型」の大地震のメッカだし、そのどれとも違う未解明なタイプとして、プレートの内部が割れて起きる「スラブ内地震」というのもある。
つまり、ここは地震が起きないから大丈夫という場所は元々ないも同然。大きな目で見れば、地震を含む「造構運動」の真っ只中に国土がある。いわばまだ未完成の、大地の建設工事現場に暮らしているようなものなのだ。
もちろんそんな中でも、近い将来の発生が警戒されている既知の活断層の近くに原発を建てることは、そうでない場所に建てるよりも、被害に会う確率が高いのは確かだろう。だが日本においては、既知の活断層付近で地震が起きる確率と、未知の活断層付近(または「活断層がない」ところ)で起きる確率とを比べても、そんなに大きな違いがあるわけでもない。そのくらいにいたるところ、潜在的なリスクを抱えているのだ。
ところで、僕がそこら辺のことを知ったのは、何度か取り上げている石橋克彦教授の『大地動乱の時代』によってであり、7/20の「想定外という逃げ道」というエントリーで書いたことも、その本で学んだことを主に下敷きにしている。
さらに先日、同じ石橋教授の『阪神・淡路大震災の教訓』(岩波ブックレットNo.420)を見つけて読んだ。薄っぺらい冊子だが、中越沖地震の起きた今年今月に書かれたのではないかと錯覚してしまうほど、重要な指摘に満ちた本で、今からでも全然遅くはない、なるたけたくさんの人に読んでもらいたいと思う内容だった。
阪神・淡路の2年後に書かれたこの本では、氏は上のような「活断層がなければ一安心」という誤解が震災後に広まっていることに加え、「阪神大震災級にも耐えられる」耐震技術、という無責任な表現の出現についても強く警鐘を鳴らしている。そもそも「関東大震災級にも耐えられる」といった無責任な神話にのっとって作られた都市が痛い目に会ったばかりだというのに、また新たな神話を作ってそれにすがろうとしている、と。
「・・・このような重大な誤解が、一部は専門家によっても流され、さらに批判精神を喪失したマスメディアによって助長されているのは大問題です。この調子で時間が経過すれば、また阪神・淡路をしのぐような大震災を経験する羽目になるでしょう。今度は、三大都市圏やそのほかの地方都市のどこかで超高層ビルや免震ビルが大きな損傷を受けたり、原子力発電所が被害を受けたりということもおこるかもしれません。」(P4〜P5)
この最後の「原発の被害」ということについて、教授は前著『大地動乱の時代』よりもずっと言葉を費やして、これを警告している。そして現在にいたるまで、他の地震学者の先頭を切ってこの危険性を訴える論陣を張っている。
そんな石橋教授の、今回の柏崎の事故についてのコメントを探していたら、意外なところでそれが見つかった。英国誌「タイムズ」の日本特派員とおぼしき、レオナルド・ルイスという人が書いた「ゲンパツ・シンサイ─日本に忍び寄る災害を表す用語」という論説である。浜岡原発の運転停止を求める市民グループによる、ストップ浜岡@ブログにて紹介されていた。
論説の中身は、もはや世界語にもなっている、「死」を想起させる不吉な日本語=「ツナミ」「カミカゼ」「ヒロシマ」に、新たなラインナップとして「ゲンパツ・シンサイ」というものが加わるかもしれない、という皮肉だが的を得た話である。確かに、世界のどこかで「原発震災」による大規模な被害が発生するとしたら、それは今のところ日本以外に考えられない。何より柏崎刈羽の事故は、その前触れとしてヨーロッパ人の筆者の目には映ったのだろう。
この中で、石橋教授は「原発震災」の語の生みの親として紹介されている。そして「今週、世界は史上初のゲンパツ・シンサイにどれほど接近していたか、気づいていない」そのほか、いくつかの衝撃的なコメントも合わせて載っている。
国内の新聞でも、「柏崎後」の石橋発言は少しは見つかる(「石橋克彦、柏崎」で検索)。ただ国内紙では編集側の方針からか、往々にしてトーンが弱められ、結局は「耐震基準の見直しを」のような無難な批判をしているだけのようにも読めてしまう。しかし実際には石橋教授は、震災による破局を回避する唯一の道は「自然の摂理に逆らわず、地震と共存する文化を」築くことだ、と一貫して主張している。おそらくは行政に影響力を行使する戦術的な思惑から、正面切って「私は反原発だ」と明言こそしないけれど、実質地震と原発が共存できるとはハナから思っていない人である。
注:それでも教授は原子力安全委員会の「耐震指針検討分科会」の委員を任されていたのだが、国と業界の圧力による審議の不正を見極め、「これでは国民に責任を果たせない」として辞任した(2006年)。
タイムズの記事からは、よりストレートに石橋教授の思いが伝わってくる。「今の日本は原爆を落とされる直前の広島のようなものだ」という言い方さえ、ゲスな政治家の暴言とはまったく異なる次元の、真に科学者としての責任の自覚から押し出された言葉だと、僕には受け取れた。
ネット上で読める石橋教授の発言は、その他に以下のようなものがある。内容は重複するところが多いので、読みやすそうなものを一つでも選んで読んでもらえればと。
石橋克彦 私の考え
ここがヘンだよ中部電力!
東海地震説から30年 石橋克彦神戸大教授に聞く(上)、 (下)
国は設置許可を取り消すべき・柏崎刈羽原発(外国特派員協会での共同記者会見、動画も)
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「原発震災」と石橋克彦教授 弱い文明
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