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http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2007/07/post_c23a.html
東電の柏崎原発の直下に活断層があり、それが地震被害を増幅させたことを知って、わたしはいまから二十年以上前、北海道新聞の社会部記者だったころ書いた、スクープ記事のことを反射的に思い出していた。
小樽の南、北海道の日本海側、後志(しりべし)管内泊村に建設された北海道電力の「共和・泊原発」の直下に活断層があることを、朝刊の1面トップで報じたのである。
その活断層にはなんと「発足(ハッタラ)断層」という名前までついていて、「活断層研究会」がまとめた『日本の活断層』という分厚い本に、その存在がハッキリ記されていたのだ。
この活断層を存在を確認したのは、北海道地質調査所の研究者だった。
確認取材に回ったわたしに、北海道大学理学部の某教授は、「発足断層」の存在を肯定する一方、記事にするなら、地質調査所の研究者(たぶん、その教授の教え子)に累が及ばないようにと、わたしに懇願したのだった。
わたしのこの記事が出たのは月曜日の朝刊。
ちょうど、その1週間前の月曜日、わたしが書いた、「和光大学の生越教授が警告、共和泊原発の地盤、液状化の恐れ」(うろ覚えだが、たぶん、こんな感じだったと思う)が月曜朝刊の1面トップを飾り、編集局の幹部が慌てふためき、右往左往したことにとどめを刺す、ダメを押しの、決定的な暴露報道だった。
もちろん、わたしは当時、一介の社会部記者。記事を書くことはできても、紙面での扱いを決めるのは編集局の幹部と、整理部の整理記者の権限。
わたしの書いた2本の記事は、いずれも編集局幹の不在の日曜日の出稿で、男気を出した整理部の記者たちが、1面トップに据えてくれたのだ。
当時の道新、つまり北海道新聞の編集局には、そうしたジャーナリスト魂がなお強烈に宿っていたのである。
あの60年安保の、「よって来たるゆえんは別として……」新聞各社共同声明に断固反対し、解体新書の以前に戻るつもりかと痛烈にコラムで批判した、須田禎一氏(元朝日記者、戦争報道の責任を取り、退社して道新入り)によって培われた反骨精神が、まだ脈々と生きていたのである。
わたしの「直下に活断層」記事が出たあとの、社の対応は情けないの一言の、権力迎合的なものだった。
月曜の夜、編集局に上がったわたしが見ている前で、政治経済部のデスクが訂正記事なのか続報なのかわからない記事に手を入れていた。
執筆した記者は、デスクがメチャクチャ、書き換えているのを見て、「わたしには責任がとれない」と言って、顔を真っ赤にして出て行った。
次の日の夕刊の3面に、何が何だかわからない、大きな記事が載った。ここはひとつ冷静になろうというような意味の「記事」だった。
当時、わたしは20代の末か30のはじめの若い記者。
何も恐れることなく、取材して記事にまとめた。
たぶん、このことが原因で(ほかにもいろいろあったが)、わたしは雑誌部門に配置換えさせるのだが、後悔はなかった。
わたしはむしろ、政治経済部の記事に対して声高に抗議しなかった自分を恥じた……。
そんな二昔前のことをいま思い出だすのは、柏崎の二の舞を恐れるからである。
わたしは北海道新聞の若い記者諸君に言いたい。
わたしの書いた記事を調査部で見て、ぜひもう一度、「発足断層」の問題を洗い出し、道民世論に問うて欲しい。
北電の地震対策がどうなっているか、調べてほしい。対策が十分でなかったなら、対策を強化するよう迫ってほしい。
それが君らブンヤの使命であり、当然なすべきことではないか?
このコラムが君たち、若い記者諸君の目にとまり、諸君が取材に動き出すことを念じつつ、権力に負けるな、道民のため、人びとのため取材して書け、と呼びかけながら、ひとますここで筆を擱くことにする。
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