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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071130-00000007-gen-ent
水割りをくださ〜い 涙の数だけ……フラれた女の切ない心情をつづった「メモリーグラス」が大ヒットしたのは81年。歌ったのは同曲を作詞作曲した堀江淳さんだ。その女性的な声は今でも耳に残っている。しかし、最近はとんとあの歌声を耳にしない。堀江さん、今どうしているのか。
「テレビに出ないとすぐ『あの人は今』にされてしまうんですよね。ボクはもう慣れましたけど。だって、印税持って東南アジアに移住したとか、音楽やめて故郷の苫小牧に戻り、市の水道局に勤めてるとか、果ては死亡説までさんざんあらぬウワサを流されましたから。ただ、水道局勤務は自分でも驚いた。同姓同名の方が勤めていて、よく調べたもんだと感心しちゃいました、ハハハ」
新宿駅に近いホテルの喫茶室で会った堀江さん、こういって笑った。やせているというより、細い。
「デビュー当時の47キロがまったく変わってません。毎晩、焼酎のお湯割りを7、8杯飲みながら、けっこう食べるんですよ。それでも太らないし、人間ドックの検査も異常なし、です」
現在はシンガー・ソングライターとしてコンサート活動を続けると同時に、他の歌手に楽曲を提供している。堀江さんの手による曲を歌った歌手には中森明菜、涼風真世、まきのめぐみなどが。
さて、堀江さんは81年、自ら作曲したデビュー曲「メモリーグラス」がいきなりの大ヒット。たちまち売れっ子になった。
「あの曲は札幌のライブハウスで歌いながらパブでバイトしてたとき、女性のお客さんの話からヒントを得て作りました。公称53万枚とか70万枚のヒットとかいわれてるけど、詳しい数字はボクにもわからない。テレビの歌謡番組で歌いまくったことしか覚えていません」
当然、フトコロは潤った。
「もちろん、ド〜ン!! ですよ、ハハハ。札幌から出てきた当時は6畳一間のオンボロアパートだったのが、いっぺんに都内の一等地の3DKマンションですもん。でも、それがマズかった。ハタチのガキなんておカネの使い方を知らないでしょ。フツーじゃない使い方をして、気がついたら、実になるものはひとつもなかった」
おまけに、その後はヒットにも恵まれなかった。
「『メモリーグラス』以上か、それと同等の曲を作らなければ、ってさんざん悩みました。結局、音楽関係の本を買って一から勉強し直し、それでいろんな歌手の方に楽曲を提供できる自信がついたんです」
都内に夫人、2人の女の子の4人暮らし。
「OLだった女房は今も働いてます。ボクが一時低迷してたとき、収入面でずいぶん助けられましたね。子供は来年、大学と高校のダブル受験。カネがかかるし、当然、これからは晩酌も控えなければならないでしょう、ハハハ」
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