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【マスコミ批評】水を運ぶメディア [偉愚庵亭憮録]
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投稿者 white 日時 2007 年 7 月 28 日 08:52:12: QYBiAyr6jr5Ac
 

□【マスコミ批評】水を運ぶメディア [偉愚庵亭憮録]

 http://takoashi.air-nifty.com/diary/2007/07/post_2a3f.html

金曜日, 7月 27, 2007

水を運ぶメディア
 サウジ戦の敗退を受けて、26日付けのスポニチは「3連覇夢散…オシム監督負け惜しみ連発」という見出しを掲げている。
 またはじまったな……という感じ。
 トルシエ時代に何回も味わった感覚だ。
 代表チームが負けると、スポーツ新聞が待ってましたとばかりに、監督解任世論を煽りにかかる。
 彼らにとって、解任アジテーション報道は、どっちに転んでも損にならない。
 まず、そのまんま解任という結末になったとして、それはそれでオッケーだ。新監督関連のあれこれとか、オシム総括とか、注目度の高い記事をだらだら書くことができるから。
 すったもんだの末に留任というシナリオも悪い展開ではない。解任騒動の裏で、確執報道だの観測記事だのご意見番の一言だのといった、与太な注目記事をずらずら並べることができるから。
 つまり、マッチポンプですよ。

 記事の全文を読むと、見出しから受ける印象ほど偏向しているわけではない。ただ、一般人(非サッカーファン。見出ししか読まないライトなファン)にアピールするのは、ほとんど見出しだけだ。そのことをよくわかった上でデスクはあくどいヘッドラインを立案している。
 結局、駅売りでのアイキャッチが生命線であるスポーツ新聞は、鬼面人を驚かすテの見出しをブチ上げていないと商売にならないわけだ。
 で、この種の悪目立ちな見出し(トルシエ乱心とか、オシム解任へとか、俊輔激怒とか)を瞥見したパンピーの皆さんは、「ああ、なるほど、代表チームにはどうやら内紛があるんだな」ぐらいな印象を胸に抱いて、忙しい朝の駅頭を通り過ぎて行くのでありました。まったく。
 
 あるいは、この記事を書いた記者は、代表監督を正面から批判する記事を書いた自分の勇気を、ちょっと自慢したい気分でいるのかもしれない。
 でも、記者君。そりゃ勘違いだ。キミの記事にきちんとした論拠があるのかどうかはともかく、外国人の代表監督を批判するjことは、この国のサッカー界では、反骨のジャーナリストの仕事ではなくて、むしろ、チキンなリーマン記者や、協会べったりのおべっかライターの持ち芸ということになっている。つまり、一見、代表監督という「権力者」に対して昂然と刃を向けたように見えるこの種の記事の眼目は、実は、「協会幹部」というよりデカくて身近な権力におもねるところにあるわけだからね。
 
 外国人の代表監督は、しょせん、何年か後にはこの国からいなくなる雇われマダムみたいなものだ。媚びを売ったところで、せいぜい向こう2年間ぐらいの利権がゲットできるに過ぎない。リーマン記者にとって、そんな短期利権は、まったくもって魅力を欠いて見える。第一、早晩、石もて追われることが分かり切っている人間と、誰が本心からの付き合いたいをしたいと思う? 縁起でもない。だって、オレらの国では、恥は、伝染病扱いだ。誰かが恥辱を受けると、そのまわりにいたすべての人間が、えんがちょになる約束になっている。だとすれば、そんなヤバい感染症を患っている潜伏期間の患者と肩を組むなんて、組織人として、ありえない決断じゃないか。実際、行きずりの、すげ替え用の人形首である監督ご本人は、恥辱コミコミで報酬を貰っているわけだから、それでオッケーなんだとして、オレの側に、そんな地雷処理業者と心中する理由はないのだよ。埴輪じゃないんだから。

 と、であるから、オシムの側に立つ人間は、社員記者の枠組みの中からは現れない。トルシエの時もそうだった。結局、外国人監督は、代表がヘタを打った時の、責任の捨て場に過ぎないのだ。
 というわけで、トレセンの機能不全や、代表マッチのスケジューリングの失敗や、協会の拝金主義による狂ったマッチメイキングといった、本来は監督の権限の外で起こっている出来事も、ぜんぶ監督の責任に帰される。
 そういうふうに、外部からやってきた「赤鬼」や「白髪鬼」みたいな、「異界の風来坊」がすべてを責任を背負い、あらゆる負債を精算した上で国に帰ってくれるからこそ、協会幹部のクビが守られる仕組みになっている。ま、極論と言えば極論だが。

 そこまでうがった見方をしなくても、代表監督と記者の間には、必ずやすきま風が吹く。
 なんとなれば、単純な話、記者のレベルが低いからだ。

 代表チームが闘うピッチには、数十万人のライバルとの競争を勝ち抜いてきた、選り抜きの宝石が走り回っている。
 代表監督もまた、世界中にあまたいる数万という監督候補の中から選ばれた一握りの人間のうちのひとりではある。
 そんな、サッカー界のスーパーエリートがひしめく代表戦のプレス席には、当然、苛烈な取材競争を勝ち抜いてきた選り抜きの記者が座っていなければならない。
 そうなのだ。代表戦のプレスルームというのは、アマチュアサッカーのピッチや、リーグ戦のプレス席での闘いを通じて、あらゆるライバル記者たちを出し抜いてきた、スポーツジャーナリズムの俊英たちが光り輝くような言葉で語り合っていなければならない、特別な場所なのだ。
 その意味で、代表戦のミックスゾーンは、厳しい上にも厳しい場所であるべきだ。ダサい記事を書いたライターや、共同会見でヌルい質問を発した記者が、恥ずかしくて二度と顔を出せないような、そういう、激越な競争の場であってくれないと、代表選手たちが闘っているゲームの価値と、バランスが取れないから。
 だろ?
 日本中の注目を集める、第一級の仕事場に、バカがまじっていて良い道理はないはずだろ?
 が、うちの国のプレス席には、リーマンが座っている。
 いや、難しい入社試験を通ったという意味では、彼らはエリートなのかもしれない。
 でも、彼らは、サッカージャーナリズムの取材競争や、サッカーに関するテキストのクオリティー勝負で勝ち抜いてきたという意味でのエリートではない。卒業した大学の名前だとか、入社面接の印象だとかが優秀だったという意味でのエリートに過ぎない。
 しかも、その種のエリートは、司法試験を通った弁護士や、公務員試験をパスしたお役人や、医師免許を獲得したお医者と同じく、二度と試練を受けない。
 つまり、一度新聞社の記者章をゲットすると、その記者の一生は保障されるのがこの国のジャーナリズムの構造なのだ。ショボい記事を書こうが、間抜けな取材を展開していようが、昼過ぎに出社して居眠りを決め込んでいようが(山岡、お前のことだぞ)、一度組合員になった記者は、決してクビにならない。だから、山岡は食い物の味みたいなけちくさいことに目くじらを立てる、矮小な人間になってしまった。

 ちょっと話がズレてきているな。
 
 でも、オシムが、ここのところやたらとメディアに対してケンカ腰になっているのは事実で、その理由は記者のレベルが低いからだ。この観察は、たぶん、外れていない。
 
 大新聞の記者や大手出版社の編集者が、多くの場合、非常に優秀な人たちであることは、私だって、よく知っている。
 ただ、うちの国のシステムは、そういう優秀な人間をスポイルするように出来ていて、それが外国人監督を苛立たせている、と、そこのところが問題なのだ。

 どういうことなのかというと、元来、才能に恵まれていて、一生懸命努力すれば必ずや良い仕事ができるはずの人材が、けっこうな頻度で腐っているということだ。

 走らないファンタジスタや、守備をしないミッドフィルダーの話をしているのではない。
 私は、まじめに働かないエリートの話をしている。

 先日、とあるライターさん(←編集者出身)と話していて意気投合したのは、「大手出版社のエリート編集者と、中小の編集者の違いは、《感じの良さ》に尽きる」ということだ。
 何百倍という競争率の入社試験をくぐりぬけてきた大出版社の社員さんや、大新聞者の記者君たちは、一見して感じが良い。見た目もすっきりしているし、話にも隙がない。出過ぎるでもなく、ガチガチに緊張しているでもなく、身のこなしも自然で、要するに、初対面の相手にストレスを感じさせないマナーというのか、オーラみたいなものが自然と身についている感じがするのだ。
 対して、中小の出版社の編集者さんには、奇妙な印象を与えるヒトがけっこういる。口のきき方にヘンなクセがあったり、きちんとこっちの目を見て話せなかったり。なるほど。これじゃ面接は通りにくいだろうな、という感じ(で、「結局、面接っていうのは、初対面の感じの良さぐらいでしか人間を分類できないんでしょうかね」という結論が出ました)。

 でも、ここが大切なところなのだが、一緒に仕事をみると、零細出版社の挙動不審な彼も、きちんとした仕事のできる、有能な出版人であることが判明するのだ。
「大丈夫かなあ、このヒトは」
 と思っていた、過緊張タイプの編集者が、何回か会ってうち解けるうちに、とても深みのある個性を持った青年であることがわかったりということは、珍しいなりゆきではない。
 逆に、デカい出版社の、いかにもデキそうな社員が、けっこうな抜け作であるという例もそんなに少なくない。
 いや、抜け作な彼が、本来は優秀な男であることはわかっている。第一、優秀でなければ、ああいう試験は通らない。
 でも、三十代にして一千万をはるかに超える年収を約束され、海外取材分のマイレージだけでプライベートのシンガポール旅行ぐらいはまかなえてしまう職業生活をしていたら、誰だってユルむ。
 オレも必ずユルむ。っていうか、働きません。決して。モロな山岡タイプになる。「一週間後に本当の豆腐を食わせてやる」とかなんとか、そういうきいた風なことをほざく、文化人気取りのクソ野郎になる。ぜひ。

 ということはつまり、日本のマスコミ企業というのは、元来優秀な人間を、老舗旅館の三代目みたいな調子のユルい人々に変貌せしめてしまう、なんとも罪作りなシステムなわけだ。

 人間が能力を発揮するためには、持って生まれた才能もさることながら、その才能を発揮し続けなければ生きていけない必然性みたいなものに恵まれていなければならない。
 オシムの言う「水を運べる選手」というのはそういうことだ。
 ただボール扱いが巧みだったり、天性のスピードや体格に恵まれているだけでは足りない。むしろ、サッカー選手としての、有効性は、その選手が「必死で走っているのか」というポイントにより多く依存している、と。
 
 であるから、編集者やライターは、あんまり恵まれていてはいけない。
 といって、あんまり悲惨な境涯も良くない。
 ひねくれるからね。
 結論を述べる。
 たとえば、ライターなら、月に換算して5本から10本ぐらいが、頃合いの仕事量ということになる。で、二年に1冊ぐらいな頻度で本が出る。でも、増刷はしない。不労所得は人間を堕落させるから。ちなみに、知名度も低めの方が良い。テレビだとか講演みたいなことでチョロく稼げるようになったら、誰も文章みたいな面倒くさい仕事はやらなくなるから。
 と、以上の条件を満たすと、一生懸命がんばってようやく食えるぐらいの、理想的な……うん、そうだとも、オレのことだよ。
 はい、そうです。お察しの通り、オレは自慢をしてます。

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