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□【政治・選挙】市場・道徳・秩序 [池田信夫 blog]
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/059e292546d5b12de0591f462339c2b8
市場・道徳・秩序
2007-07-27 / Books
日本の官僚がアメリカに留学して「カルチャー・ショック」を受けた体験としてよく出てくるのは、パーティなどで"I'm a bureaucrat"と自己紹介すると、相手が「つまらない奴だな」という顔をしてよそに行ってしまう、といった話だ。これは英米の官僚と日本の官僚の位置づけの違いで、向こうでは官僚というのはclerk、日本でいう「ノンキャリア」のイメージなのだ。
日本のキャリアのような「知識人」が官僚になる国は珍しい。独仏がそれに近いといわれ、日本のシステムは明治時代にプロイセンの官制をまねたというのが通説だが、私の印象では、日本の官僚には儒教の影響が強いように思う。ちょっと前まで、霞ヶ関に立っていた案内板には「霞ヶ関官衙」と書かれていた。官衙というのは、律令制の官僚組織を示す言葉である。
『靖国史観』にも書かれているように、明治維新は儒教による革命であり、その指導者も儒教に圧倒的な影響を受けていた。丸山真男以来、明治維新が儒教を「克服」することによって近代化をなしとげたとする見方が政治思想史の主流だが、本書(文庫として再刊)のような最近の研究は、むしろ儒教的伝統との連続性を指摘している。
明治政府の思想的支柱が儒教であったことを何よりも明確に示すのは、いうまでもなく教育勅語であり、これを起草した元田永孚は、明治天皇のもっとも信頼する儒学者だった。他方、それに敵対する立場と考えられている中江兆民も、著者によればルソーの「主権者」を「君」と訳し、人民全体が「有徳君主」になる儒教的理想として民権論を考えていた。それどころか幸徳秋水でさえ、思想の根底にあったのは「武士道」(儒教の日本的変形)だったという。
日本の官僚機構で求められるのは、テクノクラート的な専門知識ではなく、あらゆる部署を回って国政全体を掌握する「君」としての素養である。これも科挙以来の中国の官僚機構と同じだ。科挙の試験科目には、法律も経済もなく、求められたのは四書五経などの「文人」としての教養だった。官僚の権威を支えたのは専門知識ではなく、知識人としての「徳」だったのである。
それを象徴するのが、中国の官僚の心得とされた「君子は器ならず」という『論語』の言葉だ。君子は、決まった形の器であってはならない。必要なのは、個別の技術的な知識ではなく、どんな事態に対しても大局的な立場から臨機応変に判断できる能力である。だから科挙官僚は、現代の概念でいえば政治家なのであり、個別の行政知識については幕僚とよばれる専門家(日本でいうノンキャリ)を従えていた。
つまり「霞ヶ関官衙」と永田町には、2種類の政治家がいるのだ。そして法律の建て前では前者が後者に従うが、実際には情報の量でも質でも前者が圧倒的に優位であり、後者をコントロールして彼らの目的を実現する。この奇妙なダブル・スタンダードが、日本の政治を混乱させている最大の原因だ。その一つの原因は政権交代がないからだが、逆にいえば、政権はつねに「官衙」にあるから、政権交代があってもなくても大した違いはないともいえる。事実、細川政権に交代したときは、霞ヶ関主導はかえって強まった。
官僚の権威を支えているのは法律ではなく、こうした最高の知識人としての知的権威である。たとえば経産省がIT業界に対してもっている許認可権はほとんどないが、彼らが「情報大航海プロジェクト」を提唱すれば、業界がみんな集まってくる。それは、霞ヶ関が日本で最高のシンクタンクだと、まだ思われているからだ。しかし当ブログでも指摘してきたように、少なくともITに関しては、儒教的ジェネラリストは「情報弱者」でしかない。
だから最近の官僚たたきで、公務員になる学生の偏差値が顕著に下がっているのは、ある意味ではいいことだ。霞ヶ関は、もはや日本のthe best and the brightestが行くべきところではない。そして、官僚がただのclerkでしかなくなれば、民間がそれにミスリードされることもなくなるだろう。その意味で、キャリア官僚というシステムを解体することが究極の公務員改革である。
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