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□【政治・選挙】選挙の予測は当たらない [The Commons]
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070726-02-1301.html
2007年7月26日
選挙の予測は当たらない
マスコミの選挙予測がぴたりと当たることなどまずない。一つにはアナウンスメント効果と言って、選挙予測報道で不利とされた政党や候補者が実際の選挙では有利になり、逆に有利と報道されると不利になる傾向があるからである。報道を見た有権者に「判官びいき」の心理が作用するのである。だから候補者は「当選確実」と予想されるよりも「当落線上すれすれ」と報道されることを喜ぶ。
「当選確実」の二重丸をつけられると落選の可能性も出てくる。どんなに候補者が引き締めを図っても運動員に緩みが出る一方、支持者も安心してしまいどうしても投票しなければという気にならない。世界一の発行部数を誇る新聞社の政治部記者が、「上層部からの指示で落選させたい候補者の予想を実際の調査とは異なる二重丸に変えさせられた」と小声で教えてくれたことがある。落選させたければ新聞社は二重丸の予想をつけるのである。
しかしアナウンスメント効果には時として全く逆のことも起こる。有利だと伝えられると「勝ち馬に乗ろう」という心理が働いて、さらに多くの票を獲得する場合があるのである。
今回の選挙ではどのメディアもはじめから与党に厳しい予測をしているが、その危機感をバネに与党陣営は引き締まっている。与党が死に物狂いの選挙戦を展開し、反対に野党陣営が上滑りすると、予想とは異なる結果が出てくることになる。与党は予想より負けない。それとは逆に有権者が勝ち馬の野党に乗って、巨大与党が支配する衆議院に対抗する勢力を参議院に作ろうとすれば、与党は予想以上の大惨敗となる。どちらに動くかは選挙戦最終日まで何が起きるかを見極めないとわからない。
2005年の郵政選挙ではどのメディアも小泉総理が本気で自民党分裂選挙に打って出るとは思っていなかった。分裂選挙は自民党に有利なはずがなく、自民党は選挙に勝てないと言っていた。分裂選挙で民主党が漁夫の利を得るとも言われていた、しかし私はそれとは違う見方をしていた。歴史の前例を探してみると、分裂選挙は不利どころか有利に働いた事例があったからである。
私が注目していたのは1952年に行われた吉田茂総理による抜き打ち解散・総選挙である。サンフランシスコ講和条約によって独立を果たした日本が再軍備を行うかどうかで、自民党の前身である自由党は二つに割れていた。再軍備を主張していた鳩山一郎グループとそれに慎重な吉田茂グループとの対立である。暗に吉田総理の退陣を求める鳩山一派を排除するため吉田総理は8月28日に抜き打ち解散を強行した。
小泉総理も抵抗勢力を自民党から排除するため8月8日に解散を強行した。8月の解散というのは日本の政治史上この二例しかない。
自由党は赤薔薇組と白薔薇組とに分かれて分裂選挙を戦った。結果は分裂選挙にもかかわらず自由党が過半数を超える240議席を獲得し、野党の共産党が全員落選した。選挙後鳩山一郎氏は吉田総理に妥協して自由党分裂は回避された。
小泉総理はこの事例を頭においた上で郵政選挙を行ったと私は見ている。そして結果は予想を超える自民党の圧勝となった。
それでは今回の選挙に良く似た前例はあるのだろうか。
参議院選挙の年に国会の会期を延長することはまずない。ところが今回は安倍総理がどうしても公務員制度改革法案を成立させたいと会期を12日間延長した。この滅多にない会期延長の前例は、通常国会が1月に召集されるようになってからは1998年の一回だけである。当時の橋本総理が予算を成立させた後にさらに補正予算を組むため8日間の会期延長を行った。なにやら似ている。そこでそのときの政治状況と今とを比較してみた。
93年の衆議院選挙で野党に転じた自民党は、国民的人気のある橋本龍太郎氏を総理に立てて96年の総選挙で新進党と戦い衆議院の過半数を回復した。しかし参議院では89年の大惨敗以来なお過半数を割り込んでいて連立を組まないと政権運営ができない。現在の自民党も衆議院では十分すぎるほどの議席を持ってはいるものの、参議院は公明党と組まないと過半数を上回らないので単独では政権運営が出来ない。全く同じ状況である。
しかし98年の選挙では自民党は参議院でも単独過半数を確保することが目標だった。そうしないと安定的な政権運営が出来ない。しかし現在ではその目標は消え失せて、公明党と合わせて過半数を取りたいというレベルに下がった。自民党単独政権はもはや過去の話となった。
橋本龍太郎氏も安倍晋三氏もその国民的人気によって総理に推された。二人とも甘いマスクのせいか特に女性に人気がある。就任当初は高い内閣支持率を誇ったが、参議院選挙を前にしての支持率は二人とも危険水域にまで落ち込んでいる。98年6月の橋本内閣支持率は朝日新聞26%、読売新聞29.9%と3割を切った。橋本内閣はロッキード事件で有罪となった佐藤孝行氏を入閣させたことと消費税率を上げたことが支持率急落の原因である。安倍内閣の支持率も最近の調査では3割を割り込むようになった。こちらは年金記録問題と松岡農水大臣の自殺が急落の始まりだが、いずれも「政治とカネ」の問題と生活不安の問題という点で共通している。
自殺といえば98年にも議員の自殺者が出た。株の取引疑惑で逮捕されようとしていた新井将敬衆議院議員が逮捕の許諾請求を国会が議決する直前に首をつって自殺した。
98年の参議院選挙用の目玉として橋本総理が力を入れたのは霞が関の改革だった。通常国会で中央省庁改革法を成立させ、省庁の数を1府12省にスリム化することにした。
安倍総理も参議院選挙を意識して官僚の天下りを規制する公務員制度改革法の成立に力を入れた。国会の会期を延長してまでも安倍総理は成立を図った。
98年の選挙は自民党が単独過半数を目指していたように、必ずしも自民党に不利な選挙と思われてはいなかった。序盤でマスコミは「自民堅調の戦い」と報道したが、結果は改選議席61を17議席も下回る44議席で惨敗だった。選挙中に橋本総理の定率減税を巡る発言が恒久なのかどうかで二転三転したためだと言われている。
安倍総理も選挙前に「消費税を上げないとは言っていない」と消費税引き上げを示唆する発言を行ったが、その後一転して「消費税上げは回避できる」と発言するなど、発言にブレが出た。
選挙結果を受けて橋本総理は退陣を決め、後任には外務大臣の小渕恵三氏が就任した。
今回の選挙結果で安倍総理退陣があるとすればデッドラインはどのあたりか。公明党と合わせて過半数を確保するためには自公で64議席とらなければならない。公明党の獲得議席数を13とすると自民党は51議席取らなければならないが、すでに新党日本の荒井広幸参議院議員や民主党の会派に所属していた無所属の松下新平参議院議員が野党を離れることを表明している。そのため49議席でも過半数は超える。保守系無所属議員への多数派工作なども考えられ、もう少し少なくとも退陣はしないだろう。
しかし98年選挙と同様の44議席かそれ以下ならばやはり退陣をせざるを得なくなる。そうなれば後任候補の筆頭は98年同様に外務大臣の職にある者ということになるのだろうか。
もしそうなればまさに歴史は繰り返すだ。ただ冒頭で述べたように選挙予測は当たらないのが常なので、そこのところはよくよくご理解をいただきたい。
(田中良紹)
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