★阿修羅♪ > 議論27 > 633.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 異端聖書とされるエチオピア版「エノク書」にこそ、「大罪」が記されていると考える 投稿者 どん兵衛 日時 2008 年 3 月 23 日 23:21:09)
>わざわいなるかな、義人を迫害するあなたたち。あなたたちは滅ぼされ、迫害される
>わざわいなるかな、富のゆえに義人のように見える者、あなたたちの良心が、あなたたちを告発する。
>わざわいなるかな、義人たちの艱難を喜ぶ者、あなたたちの墓は掘られない。
>わざわいなるかな、義人の言葉をないがしろする者、あなたたちに救いはない。
義人が町に1人でもいればその町はソドムとゴモラのように滅ぼされることはありません。
広島と長崎に町には義人がいたがアブラハムのようにいさめる人がいなかったために、ソドムとゴモラのように滅ぼされたのでしょう。
ヤハウェが、正しい者が少しでもいればゆるそうと答えました。
ソドムとゴモラ[1](16節〜33節)
http://nunochu.com/bible/01_genesis/gen25.html
さて、ヤハウェ御一行はアブラハムのもとを出発しましたが、ソドムを見下ろすところまでアブラハムも見送りました。
ここでヤハウェは、二人の天使に「これからすることを、アブラハムに伏せておくのは正しいことだろうか」と言い出します。アモス書3:7にはこう書いてあります。
まことに、主なる神はその定められたことをしもべなる預言者に示さずには何事もなされない。
もし今、米国が日本に何の相談もなく、どこかと戦争を始めたとしたらどうなるでしょう。
現在日本は周辺事態法によって、米国が戦争を始めたらともに戦うことになっています。それが本当に日本の周辺だとしたら、米国の相手は米本土よりも日本を攻撃するでしょう。実際の戦争ともなれば自衛隊だけで足りるわけがなく、徴兵制という事態になるのは目に見えています。なのに米国が日本に何も言わずに勝手に戦争を始めたとしたら?
少なくともヤハウェは、これから戦争しようというときに、同盟者アブラハムに断りなくはじめようとはしませんでした。実はヤハウェはこれから、あの有名なソドムとゴモラを滅ぼしに行くところなのです。
[ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。わたしは降って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。ヤハウェからそう告げられたアブラハムは、ぞっとしました。ソドムの町の様子は、そこに住む甥ロトからたまの便りでもあれば知っていたでしょう。そしてヤハウェがそれを確かめたあとどうするつもりか。ノアの洪水の時、「神は地をご覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた」(6章12節)。ヤハウェが、堕落したソドムとゴモラを見て確かめた時、洪水の時のように町を滅ぼすであろうことは、アブラハムには十分に想像できました。
ヤハウェの一行がソドムに向かおうとすると、アブラハムは思わずその前に立ちふさがりました。ここからアブラハムの必死のとりなしが始まります。アブラハムは訴えます。その町に正しい者がいても、悪者と一緒に滅ぼすのか、と。50人の正しい者がいても、その50人のために町をゆるすことはないのか、と。
そんなことはあり得ない、全世界を裁くヤハウェは正義を行うべきではないか、と。
悪人が、自分の罪のために罰されるのは当然です。アブラハムも「かわいそうだから悪人をゆるしてあげて」とは言えませんでした。だからアブラハムは、創造者自身にかけて訴えたのです。正義そのものであるヤハウェが、悪者を裁くまきぞえで正しい者まで滅ぼすというのか。愛そのものであるヤハウェが、正しい者のゆえに町全体をゆるすことはないというのか、と。
ヤハウェが、正しい者が50人いればゆるそうと答えると、50人に5人足りなかったら、それでも45人の正しい者もろとも滅ぼすのか、と訴えます。さらに40人だったら、30人では、20人しかいなかったら、たった10人だったら、とヤハウェに訴えたのです。恐れ多くも神であるヤハウェにむかって、これほどしつこく口答えするのにどれだけの肝っ玉が必要だったでしょう。その信仰に応えるように、ヤハウェはアブラハムに「10人いたら、滅ぼさない」と約束したのでした。