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(参考)
学力低下をよぶ習熟度別学習
http://www.asyura2.com/07/dispute27/msg/608.html
投稿者 tk 日時 2008 年 3 月 16 日 00:18:33: fNs.vR2niMp1
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公教育で「習熟度別学習」の実施も十分考えられます。
それは学習集団が相互承認している場合においてです。
この前提があれば学力下位層が劣等感を抱くこともないし
上位層はできることがあれば協力していきます。優越感など持ちません。
確かに、ノリでくっついた小さい集団の群れでは「習熟度別学習」は逆効果でしょう。
「習熟度別学習」の機能が上手く働くには学習集団としての団結が鍵になります。
信頼関係がしっかり築かれた上では「習熟度別学習」も一つの方法です。
それは#【公教育の再生】によって可能と思っています。
集団の危険性が強調され、集団の良さまでも見失われていくのは問題です。
昔の状況が掴みにくいので大人の意見を参考にしたいけれど
これまでは少なくとも学習集団の長所みたいなものが生かされてきたのではないだろうか。
自分たちはその恩恵を受けているにもかかわらず集団に対し過剰に反応する。
拡大解釈され集団主義は日本人特有の危険な考えだとさえも言われている。
その影響で子どもが集団というものに対し、醒めた見方を持ち嫌悪するのは自然なことだ。
いじめは人間関係が無理に強いられる環境で起こるとして
集団の同調性自体が、いじめの根源な「絶対悪」であると捉えられます。
もちろん、それはそれで傾向としてあると思うけれども、少し行き過ぎに感じている。
これからは学習集団の良い面に対しても見直しが必要です。
やはり動機の面で学友の存在は大きいでしょう。
少人数の友達としか遊ばず他のグループには関せずという面も
いじめが起こったときに無視してしまう原因になります。
少人数の関係を越えた付き合いが不足すると
将来大人になっても他者を他者として認められません。
集団の同調性が行き過ぎすぎることに対しては
教師や親以外の大人との「ナナメの関係」を重視していきます。
友達との関係ばかりにならなければ学習集団も生かされる。
若者は新しい考え方が大切だと過去を否定したくなりがち。
大人の考えることは全部おかしいことだと。もちろん身近な教育については特に。
いや、それ以上に大人が自分たちの頃の教育が悪かった言って良い面すら認めようとしない。
戦後教育が全て悪なのでこのような社会になったのだと。
ただし過去の知恵をそうやすやすと捨て去って本当にいいのだろうか。
若者は若者で時代の流れを分析し考慮した上で、過去の長所を振り返る必要があるのだ。
伝統文化や古いものなど。これからは若者がその大切さを大人に思い出させるのだ。
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#【公教育の再生】を真剣に考えよう。
http://www.asyura2.com/07/dispute27/msg/613.html
投稿者 あっくん 日時 2008 年 3 月 16 日 10:37:48: hhGgKkD30Q.3.