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(回答先: 政治板リンク:国民生活について 国民の責任を安易に対米批判に摩り替えるべきではない。 投稿者 stix 日時 2008 年 2 月 12 日 09:13:48)
小泉政権が誕生したのも、メディアの強力な後押しがあったとはいえ、日本国民の意識水準が生んだもんだ。これがこの国民の政治意識の水準、国力のレベルちゅうことがでける。国民が自ら好んで首絞めたことになる。
国民全体のこと真剣に考えて引っ張っていく立場にあるはずの日本のエリート層(官・民)の質の低下ちゅううもんも直感するで〜。藤原肇『小泉と…病理』に、「要するに、東大卒のエリートは国民を見下しており、優秀な学生に鍛えることをしない…」「日本の大学は”悪貨は良貨を駆逐する”法則に従い、…若者の遊園地に墜してしまった」とあった。
政治家も国民を真に考げえるプロが非常に少ないんでなねえけえ。錬金術と利権漁りのプロは多い。別の見方すっと、国民という肥やしがこんなのを育てているちゅうことにもなる。メディアで働くホワイトカラーからも、その使命感がビンビン伝わってくるこたぁ少ねえ。根は深いのー。
小泉流の薄っぺらい「自己責任」論に反発するあまり、国民自らの政治責任をあんまり考えなくなっているフシは確かにござるの〜。まぁ、これがうまく運べば、過去にもこれからもヘンテコな政権は生まれねえんでしょうが、国民自らが背負った、てえへんな課題でござるのぉ〜。
ま、言葉足んねえとこ、補ってくんろ。