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(回答先: 人間と生命の誕生 投稿者 初哲学者 日時 2008 年 2 月 10 日 12:58:19)
昔といっても、古代、中世、近世、時間的な広がりがあるし、
アジア、新大陸、ヨーロッパ、地理的な広がりもある、お書きになられていることが漠然としていて、REの書き方がが難しい。
あなたの疑問に答えているかわかりませんが、思いつくままに書いています。
受験参考書的に書くならば、「人間の発見」は、ギリシャ時代だった。
そして、中世のキリスト教の支配、宗教戦争、ルネサンスの時代を経て、ヒューマニズム、(人文主義、人間主義とでも訳すのでしょうか)が発生し、それが、人権思想に発達した。
ですから現在は、「人の命は地球より思い」とされている。
人間、人権という概念がない時代、ない地域において、当時ひとは、現在の人以下の価値しかなかったのか?
人権思想を唯一のものさしとするならそのとおりだ。
しかし、古代、中世の思想家達の慧眼は、すでに人間の崇高性に着目している。
キケロ(ローマの政治家)は、捕虜の扱い、奴隷の扱い、侵略した町の扱い、いろいろな史実を挙げて、それらの扱いへの注意深い義務を説いている。
中世末期、スペインの新大陸への侵略があり、相当数の原住民が虐殺された。侵略者から見れば,原住民は野蛮人に見えた。
16世紀のフランスの思想家、モンテーニュは、すでに、その「侵略者の野蛮」を指摘している、付け加えるならば、野蛮人(原住民)の平和的な戦争の仕方を書いている。
しかし、人権思想が発達した今日でも野蛮な戦争を正当化する政治家、それに追従する人たちが多数いる。
今イラク、中東地域では戦争状態といっても過言ではありますまい。少し前までは、日本が中国で戦争してました。
蛇足ですが、原爆二つも落とされて、誰も責任を取らないという無責任日本の始まりです。
悲劇は、兵隊といってもシャバでは普通の人、それが戦場へ行くと、敵を殺さぬと、こちらがお陀仏になるということだとおもいます。
相手が、人間だとおもって人を殺せるでしょうか? 戦争の野蛮性は継続しています。
宗教戦争では、宗教の名の下に、スターリン下の、あるいは文革下で、政治的信念の名の下、相当数の人たちが、理不尽に殺された。
天使になろうとして、ブタになるの言葉どうりの悲劇をいまだ止揚できずに、21世紀を迎えてしまった、人間たち。
人間は、死んで初めて、その人物(像)が定着する、生きているうちは煮ても焼いても食えない。(小林秀雄)