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神社仏閣の城下町では「福が来る」「ご利益がある」と銘打ってなにやら怪しいものを販売している。
商品と福との関連性は全くないのだが、なぜこのような似非業方が全国津々浦々行われているのだろう?
今から、この業界の福と利と商品と宗教の関連性を論ずる試みを行う。
ご利益と呪いの科学(宗教のエスピテーメ)
呪いという言葉はすでに独り歩きを数千年続け、今の世の中にも存在をし続けている。
だが、呪いと現実世界の事象とは全く関連性はないものの、ある事象が起こるとある一定条件を満たしたものに、必ず呪いと関連付ける思考プロセスが成り立つ。
その一定条件というのが「宗教」である。
たとえば悪いことがおきると思われるものには
・目の前に黒猫が横切ると悪いことがおきる。
・巨木を切ると誰か死ぬ。
・注連縄をまたぐ
・天皇の御神影にお辞儀をしない
・動物の屍骸が玄関に
・仏壇神棚の手入れをしない
などなど。
これら全て、悪いことがおきることと行為は全く関連性が無いにもかかわらず、悪いことがおきるとこれらに原因を求める傾向がある。
もうおわかりだろう。各宗教というエスピテーメが共有情報として多大な人数に共有されればされるほど、ある特定の行動はタブーとなり社会に浸透、人民コントロールを宗教的恐怖により行うことが可能となる。
古来、宗教を用い国家という幻想を人民という奴隷に強要してきた歴史を見ればよくわかるであろう。
では、呪いのカウンターパートである利益、徳、の部分はどうであろうか?
こういったものは成功のジンクスとしてすでに実生活にのろいと同様浸透している。
そのうちの有名な一つは「四葉のクローバー」に見ることが出来る。
もちろん幸福、ご利益の行為と実際の現像は呪いと同様全く関連性がない。
にもかかわらず、なぜこの言葉のみが独り歩きするのかは、前述同様奴隷コントロールの一環であろう。
国家に都合の良い行動には宗教的関連性ロジックと報償をあたえ、現像と宗教をつなぐ行為を率先して行う。
このロジックを上手に取り入れた販売商法がご利益商法である。
「この神社はご利益がある」
「この寺に祈願すると望みがかなう」
など全くの幻像を宗教ロジックと絡め関連性の無い物品を販売する。
「ご利益」があると言葉を吐くたびに、勘違いした奴隷たちが商品を購入していくようになるのだ。
こういった宗教用語をふんだんに取り入れた商売は全国に蔓延しているが、とりわけ神社仏閣近辺では、奴隷たちの脳みそが宗教汚染されやすくなるため、販売は好調になる。
毎年の福袋が良く売れるのは、その日一日が宗教汚染され、正常な判断が行われないために行われる似非商品販売期間となる。残り物を購入しないのも縁起がよくないと思われるからで、「残り物には福がある」という言葉には、完売を狙う販売者側の意図が見え隠れする。
つまり、幸福・ご利益などという宗教用語は現実世界に存在するわけではなく販売者側に立った言葉であり、宗教用語を吐くたびに販売額が伸びるため幸福・ご利益があるのは業者側のみであることがわかる。